物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 11 ツツジの話
-ツツジ-
ツツジはわざと、朝ゆっくりと出廷することにしていた。
一時期は早めに出廷していた時期もあったのだが、そうすると周囲がどんどん早く来るようになったからだ。
城におけるそのような上下関係の機微を、ツツジ自身はくだらないと思っていたが、害のないものは放っておく主義である。自ら遅めに出廷することで解決するならば、その方が手っ取り早い。
その分、庭に手を掛けられるようになったのも有難かった。
朝食を終えると、暫くしてセダムは出廷するために家を出るが、ツツジは庭へ出る。アオイが家に居た時もそうだった。基本的に庭の植物たちは定期的に降る雨で水遣りの必要はない。庭をぐるりと一周しながら、植物たちの様子を確かめ、気になったものには手を入れる。
少し前から千日紅の花が咲き始めた。それ程華やかな花ではないが、濃い紫色が美しい。ツツジの好きな花のひとつだった。
東側の壁に這わせてあるブーゲンビリアも最盛期を迎えようとしている。これは家の見栄えを気にするリリィの希望で植えたものだったが、今ではそれも悪くないとツツジは思う。
庭の主ともいえるオリーブの古木は、花の時期を終え、豊かな枝を張り出している。まだまだ生きてくれそうだ。
一通り庭を眺めて満足すると家を出る。城までの道程にも植物が溢れている。しかしそれらは、上級官吏の館の集まるこの地区の見栄の塊である。どの家も、華やかな植物たちで綺麗に庭を整え、外壁や門の周囲にも余念がないが、家の主本人が世話をしている所を、少なくともツツジは目にしたことが無かった。
人間の見栄と嫉妬が一番醜いものだとツツジは考えている。そしてそれは、ツツジの生きている城の世界に、最も幅を利かせている感情だった。ツツジが何よりも望むのは穏やかな生活である。だからこそ、なるべく人から嫉妬を買わないように、嫉妬の感情を持つ者がつけ入る隙を与えないように、細心の注意を払っている。
不機嫌な表情は自然と身についた。自分が幸福であると周囲に宣伝することは得策ではない上、不用意に親しい人間を作らないためだ。
ただでさえ医局長という立場を狙っているものは多い。何せ局長になれる者は一時期に五人と決まっているのだ。
その中で、医局という場所は、配下の「室」の数が格段に少ない。医務室か薬師室の室長になれば、次期局長になれる確率は高い。その分、室長争いは激しく、医局長であるツツジに取り入ろうとする者も後を絶たなかった。
医局内の争いは医局の内部崩壊につながる可能性がある。ツツジは、不安の芽は先回りして摘み、しかし必要以上には目立たないように、医局内の秩序を保つことに全力を尽くす必要がある。
穏やかな生活が好きならば何故医局長になどなったのかと問われたら、それは、これがツツジの考え得る限り、最も穏やかな道だったからだ。
上流貴族の家に生まれたツツジは、身内から上級官吏を出したいという親族の意思により官吏になることを望まれた。親の反対を押し切って就きたい職業などなかったから、自然と官吏になった。
官吏になったならば、出世の途中に居る程醜い争いの中に身を置くことになる。なるべく早く局長になることが、穏やかな生活への近道だった。一度局長になってしまえば、あまり無茶をしない限りは引きずり降ろされる心配はない。親や家族に出世を急かされることもない。大手を振って自らの好きなことに没頭することができる。
職業は何でも良かった。仕事場では必要以上に働かず、仕事をしていない時間には、美しい庭に囲まれて本を読む。美味しい茶があれば尚更良い。その時間がツツジにとって何よりも大切な時間だったのだ。
連れ合いのリリィは、ツツジとは正反対のような人物だ。華美を好み社交的で、毎日何処かへ出かけて行っては人脈を作ることに余念がない。
見栄っ張りなところは辟易するが、ツツジにとって有り難いのは、ツツジが医局長の立場を維持し、それなりの評判を得てさえいれば、細かいことに口を出さないことだった。家に居る時にツツジが何をしていようが興味は無いらしかった。
息子二人は物静かな性格だったが、ツツジとはまた違う。息子たちがツツジと同様であったならば、リリィの支配欲も気にならなかっただろうが、アオイは政略結婚を嫌がり医師という仕事そのものに意味合いを見出してしまったようであるし、セダムは元の生活との落差がありすぎたようだ。
しかしセダムはその後、真面目に医術の勉強に励んでいるので、リリィの機嫌も良い。あとは、この後の出世争いに何処までついてこられるかだが、果たしてリリィの意を汲んでセダムを自分の後釜に据えるのと、セダムの思い通りにさせてやるのと、どちらがツツジに穏やかな生活を提供してくれるかは、まだ測りかねていた。
梟の間にはまだ誰も居なかった。
此処は、王族の居住棟にある、会議を催す為の部屋である。重要な決議を行う会議や、週一回行われる局長会議はこの部屋で行われることになっていた。知恵の象徴だと言われる梟の装飾があちらこちらに施されている。
程なく他の局長が集まってくると、入口付近に立っていた側近が王を呼びに行った。ツツジは既にいつもの場所に腰かけている。局長たちは形だけの挨拶を交わし、それぞれ決められた席に陣取った。
ツツジが比較的親しいのは法務局長のシェフレラである。局長の中でも最も位が高い余裕からか、態度が落ち着いており、実際に優秀な男だ。
傭兵局のワジュロは戦士出身なだけあって威圧感があり、物言いも高圧的だった。文化局のランタナは世渡り上手、建築局のプリムラは学者肌で、自らの知識をひけらかす傾向がある。いずれにせよ、皆それなりの曲者だった。
王と王配が部屋に入ってくると、皆は一度立ち上がって最敬礼をする。
「どうぞお座りください。」
自らが腰を下ろした後、王が言う。
アオイよりも若いこの女王の評価は難しい。よくやっていると言えばやっているように思えるが、前王に比べればやはりまだまだ頼りない。年齢なりに頑張っていれば良いというのではないところがこの立場の難しい所だ。曲がりなりにも一国を背負っているのだ。今この場が成り立っているのは、明らかに前王である上皇の後ろ盾があるからだろう。
ツツジはそれよりも、王の隣に座る王配に一目置いていた。口数は少ないが、時々発するそれは妙に説得力があり、それによってこの場の流れが決することが度々あった。
「えー。では、これより、七月第三週の局長会議を執り行いたいと思います。先ずは各局長より各局の様子のご報告を。」
先程入口に立っていた側近がそのまま進行役を務め、別の側近が二名書記を務めている。二名居るのは、発言の記録が意図的に歪められたり、誤りがあっては困るからである。
此処での決議は、そのまま国としての決定となる。王すら、国に関する何かをひとりで決めることは許されなかった。とはいえ、前王は此処で否決されるような話の進め方はしない人物であったのだが。
ツツジは今日、この場で新薬の治験の承認を貰う予定だった。基本的な議案は少し前に上げてあるので新しい話ではなかったが、細部までを話すのは今日が初めてである。無論、ツツジも事前の根回しは済ませてあるので、此処で否決されるようなへまはしない。
薬師室からの計画に被験者の医療補償が含まれていたことには驚いたが、よくよく検討してみると害よりも利の方が大きかった。おそらくそれ無しに議会にかけていたら、安全性について指摘を受けたに違いない。補償を入れることで結果的に医局側の自信や責任感を示すことができる。
ツツジの目論見通り、王から幾つかの質問や確認が出たものの、議案は呆気なく通った。
「議会の承認を得た。後はお前に任せる。」
医局に戻ったツツジは、王の署名と王家の玉印を貰った書類をアオイに手渡した。
「有難うございます。早速被験者の募集を開始するよう薬師室に申し送ります。」
「うむ。…お前、時間があるなら少し付き合わんか。」
「今ですか?ええ、治験の案が通ったならば、今日は特に急ぎの仕事はありませんが…この書類だけ、薬師室に届けて参ります。」
「先に中庭に居る。」
「かしこまりました。」
城にはいくつか庭園が造られているが、ツツジはこの中央の中庭が一番好きだった。もう随分と長い間シラーという庭師が担当しており、華やか過ぎず上手く植物の特性を生かした庭に仕上がっていると思う。その腕を買って、ツツジはシラーに年に何度か自宅の庭の手入れを頼んでいる。大きな木の剪定などはツツジの手に負えないからだ。
ツツジは、立派な桂の木が木陰を作っているベンチに腰かけてアオイの来るのを待った。局長室で話をしても良かったのだが、先程まで会議室に籠もっていたこともあり、外の空気が吸いたかったのだ。
盛夏のこの時期、午後の時間帯の人影はそう多くはなかった。行き来している官吏たちは、ツツジに形式的な会釈をし、皆忙しそうに早足で通り過ぎていく。当然仕事中なのだろう。
アオイはすぐにやってきた。
改めてその表情を観察して、以前のアオイと比較する。確かに家に居た時のアオイは覇気がなく蒼白い顔に暗い眼をしていた。今も、力が漲っているようには見えないが、穏やかな意思を感じるようになった。
セダムの一件があってから、アオイとこうして仕事以外の話をするのは初めてである。あの一件があって以来、ツツジは少しだけ考えを改めた。
自らが穏やかな生活を送るためには、なるべくリリィのことは放っておくべきであるという考えは変わらないが、二人の息子については、ある程度状況を把握しておいた方が良さそうだと思い直したのだ。
「お前、セダムとは言葉を交わしたか。」
「はい。つい先日初めて。治験に参加したいと伝えに来てくださいました。」
「そうか。…どう思った?」
「そうですね。真面目そうな方だと思いました。」
「真面目は真面目だな。」
「私のことを、何と呼べばよいのかと悩んでいらっしゃいましたよ。」
そう言ってアオイは微かな笑顔を見せた。
セダムに敬語を使っていることから、アオイもまた扱いに困っているのだろうと推測する。位は明らかにアオイの方が上だ。それとも、アオイは既に自分は医局長の息子ではないと考えていて、医局長の息子であるセダムに敬意を払っているのだろうか。
「事実上お前と私の親子関係も切れてはおらんからな。」
「はい。ですから相変わらず父上とお呼びしています。しかし、セダム殿を弟として見ることは、少なくとも今はできそうにありません。」
「まあ、そうだろうな。」
「家族とは…一体何なのか。」
「家族にも様々な形が在ろう。…お前、セダムの生い立ちを知っているか?」
「孤児院出身だということは噂で聞いています。」
「孤児ならば、引き取れば恩義を感じて真面目に言うことを聞くだろうというのがリリィの考えだった。…待て、そのような顔をするな。私とてそれは浅はかだと解っている。解った上で、孤児を引き取るのは悪いことではないだろう?だからリリィの思うがままにさせた。しかし、想定外に早く歪が生まれた。事件の話はどこまで聞いている?」
「考古学室の小火の原因がセダム殿なのだとしか…。詳細は存じ上げません。皆、私に気を遣っているのでしょう。聞こえるところではあまり話をしません。」
「そうか。実は皆が噂している以外にも裏に色々あってな。」
ツツジはアオイに、考古学室の小火だけでなく、四つの事件の全貌を話して聞かせた。アオイは途中から、驚きを隠そうともしなくなった。
「そうでしたか。カリンが…。それで、親しくなったのですね。ユウガオ殿と仲が良いからだけではなかったのか。」
「まあそういうことだ。何やら因縁を感じるな。」
ツツジの言葉に、アオイはふっと笑いを漏らす。
「因縁…ではありませんよ父上。」
「では何だ。」
「おそらく、カリンに何かを暴かれた人々は皆そのように思っているのかもしれませんが、カリンは目の前にある謎を解いているだけです。それはある時は彼女自身が出会ってしまったものでもあり、他から持ち込まれたものでもある。ひとつだけ言えることは、カリンは目の前にあるそれを放っておけないということです。」
「…なるほど。ふん。私とは正反対の性格だ。いちいち面倒に首を突っ込みおるわけだな。」
「本人はそのような感覚すらないのでしょうが、まあそうです。しかし、私はそれに救われました。」
「セダムも…そうなのだろうな。あれ以来真面目に取り組んでおる。いや、以前から表向きは真面目であったが、確かに内に秘めた何かがあるようには感じていた。私はそれを見て見ぬ振りをし、そのうち慣れるだろうと思っていた。どうにも自分の息子たちのことになると読みが甘いらしい。」
「身内だけに、ついご自分に近い感覚で判断してしまうのではないでしょうか。」
「ふむ…。お前もなかなか言うな。」
「申し訳ありません。」
「いや、良い。確かにその通りだ。自分の息子だから自分と感覚が近いと思うのは大きな誤りだ。気をつけよう。」
「…失礼ついでに、ひとつお訊きしてもよろしいですか?」
「何だ。」
「父上が未だにこうして私に声を掛けて下さるのは、また私が何か厄介を起こすと面倒だからでしょうか。」
その通りだと思ったが、改めてアオイの言葉として聞くと、ツツジの中に引っかかる何かがあった。
「…お前は私が一番大切にしているものを知っているか。」
「いえ。存じ上げません。」
「穏やかな日々だ。」
「ああ…ではやはり…。」
「それがな、そう単純でもないのだ。」
「どういうことでしょう。」
「単純にお前が問題を起こさねばそれで私が穏やかな日々を送れるかというと、そうでもない気がしおるのだ。」
「それは…。」
アオイも言葉を詰まらせ、何となく二人ともそのまま黙した。
足元で、桂の木の濃い影が揺れている。枝の間を動く影は小鳥だろうか。暫く枝間を移動していた影は、やがて羽ばたいて何処かへ消えた。
「父上さえよろしければ、これからも時折食事を共にしたり、このような時間を持つことができたらと思います。」
正面を向いたまま、アオイが先に口を開く。その横顔からは、アオイ自身がそう望んでいるのか、ツツジに気を遣っているのかは汲み取れない。
しかしツツジは、不覚にも口元が緩むのを感じた。
それをアオイに気取られぬよう、一息置いてから、やはり正面を向いたまま答える。
「うむ。気が向いたら声を掛けるようにしよう。お前も、万が一気が向いたら遠慮することは無い。これは血が繋がっているからでも、書類上に親子関係が残っているからでもなく、あくまでも私の穏やかな生活の為だ。」
再び緩みそうになる口元を悟られぬよう、ツツジは先にベンチから立ち上がった。行くぞと声を掛けるとアオイも続けて立ち上がる。
図書室側から、王配の父親であるアジュガがゆっくりと此方へ向かって歩いてくるのが見えた。ツツジたちの姿に気がついて、一度足を止める。そういえば、しばしば此処で本を読んでいるアジュガの姿を見かけるように思う。
ツツジは、自分たちはもうここを去るということを示す為に、会釈をして医局の方向へ踵を返した。
先程梟の間で目にしたローゼルと、その父親であるアジュガ。そこにはどのような父子関係があるのだろうか。ツツジにしては珍しいが、可能であればアジュガと話がしてみたい気がした。
あの親子はこのアグィーラの城に居ながらにして、ツツジが最も醜いと感じている見栄と嫉妬の感情から、遠く離れた場所に居るように思えた。
ツツジは、自分が今の時間で予想以上に心満たされたことを人々に知られぬように、いつもより一層不機嫌な表情を作り、医務室の扉を開いた。
