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物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 12 ヨシュアの話

-ヨシュア-

 カリンの誕生日をヨシュアと共に祝うためにアグィーラを訪れていたカリンとレンを見送り、ヨシュアは満たされた気持ちで一日を始める。
 間違いなく、これまでの人生で今が一番満たされていると断言することができる。
 ヨシュアの両親は二人とも騎馬室に勤める中級官吏だった。息子にも官吏になって欲しいと願う両親の希望に反して馬具職人の元へ弟子入りしたのが十二歳の時だ。義務教育を終えたばかりだった。
 騎馬室に勤める両親の影響で、小さな頃から馬と触れ合って過ごした。馬は大好きだったが、勉強も集団行動もどうにも好きになれず、自分が官吏に向いているとは思わなかった。
 それよりも、厩舎や馬術大会で目にする馬たちの馬具に目が行った。ずっと観察していると、馬が動きやすそうにしているものと、窮屈そうに見えるものとがあることが解ってきた。ヨシュアは両親から馬具職人の名前を聞き出して会いに行った。両親は、まさかそのまま弟子入りを決めてくるとは思っていなかったらしい。
 特に家を追い出されたわけでもないが、職人の修行が住み込みであったため、次第に両親とは疎遠になり、そうこうするうちに両親は、牧場と城下町を行き来する道程で魔物に襲われた。遠い昔の話だ。
 師匠は厳しかったが、両親亡き後も責任を持ってヨシュアの面倒を見てくれた。その師匠はヨシュアが二十二の時に亡くなり、ヨシュアはその工房をそのまま引き継いだ。師事してからちょうど十年だった。
 それから五年間ははまずまずだった。師匠を贔屓にしていた客がそのままヨシュアの顧客になり、新規の顧客もそれなりに増えた。
 そして、二十七の時に不幸な事故で左脚を失った。
 そこからの四年間は地獄だった。脚の痛みに耐え、これから働き盛りだという時期に天職だと思っていた馬具職人の職を失った虚しさに耐え、心は少しずつ病んでいった。
 後からカリンに聞いたところによると、幻肢痛げんしつうと言うらしい。脚の傷はとうに癒え、痛みなど感じる筈がないのにも拘らず、痛みは治まるどころか酷くなっていった。
 痛み止めの薬も次第に効かなくなり、一日中ベッドの中で痛みにうめく日々が続いた。
 たまに調子が良くて外に出られたとしても、片足の無い姿で杖を突き、痛みに顔を顰めながら暗い表情で歩くヨシュアには、誰も声を掛けようとはしなかった。
 カリンに出逢った時、ヨシュアはまさに人生のどん底に居たのだった。
 初めてカリンに出逢った日のことは鮮明に憶えている。
 いつものように痛みに呻いていたヨシュアは、誰かが訪ねてきたことに気がつかなかった。近くで突然子供の声がした。子供の声で自分の名を呼ばれたことなど随分長い間無かったので、ついに幻聴が聞こえるようになったかと思ったら、目の前に妙に澄んだ眼をした女の子が立っていた。
 姿を見てしまえば、それは幻覚とも天からの迎えとも思わなかった。その子供はしっかりとヨシュアの目を見据え、てきぱきと必要なことをこなしていった。それに従っているうちに、足の痛みは次第に遠のいて行った。
 久しぶりに質の良い眠りを得た後でヨシュアが礼を言うと、子供は途端に子供らしくなった。どうやら周囲から変わり者扱いされているらしいということが、言葉の端々から感じられ、不憫に思うと同時に、自分ができることは何かあるだろうかと考えている自分に驚いた。人のために何かをしようと思ったことも、随分久しぶりだったからだ。
 カリンと出会ってからの時間は、カリンに対しても、それから自分に対しても驚きの連続だった。
 カリンはあっという間にヨシュアの失ったものを取り戻してくれた。
 人を信頼する気持ちも、仕事も馬も、脚すらも。そして、脚を失うこと無しには手に入れることができなかったかもしれない掛け替えのない家族も与えてくれた。
 地獄のような四年間の後、ヨシュアはそれ以前にも感じたことのなかったような充足感を、もう十年以上も感じ続けている。人生何があるか分からないというのはその時に嫌という程理解した。だからヨシュアは仮令たとえこの先カリンを失うような悲劇が起こったとしても絶望せずに、カリンの取り戻してくれた全てを抱えてこの生を生きていくのだと心に誓っている。

 特別な予定の無い日は、朝食後にまず厩舎へ出かける。朝一番、馬場にはほぼ人影はない。
 厩舎脇の小屋に寝泊まりしているユッカに声を掛け、自らの愛馬であるヨギリの馬房へ入る。一通り手入れをした後、馬場へ出て暫くの間ヨギリとの時間を楽しむ。ヨギリを馬房へ戻したら、工房へ戻り仕事を始める。革を染めるための染料を採りに行く日は馬場へは行かずに、そのままヨギリを引いて外へ出る。それがヨシュアの一日の始め方だ。
 マカニ族の翼技師が作ってくれた義足は快適で、今ではかなりの速さで駆けることすらできる。仕事にも生活にも不便を感じる事は無かった。
 近々この義足の調整を兼ねてマカニへ行くことを予定していて、それが満ち足りた生活に更なる彩りを与えてくれていた。
 カリンに出逢って仕事を再開した後、ヨシュアの工房は王室御用達の認定を受けた。両親が生きていたらさぞかし喜んだだろうし、師匠もきっと誇らしく思ってくれただろう。
 しかしヨシュアはどんな認定よりも、自分が作った馬具を着けた馬が快適そうにしていることと、依頼してくれた人の満足そうな表情が何より嬉しい。
 最近、王配であるローゼルの馬が新しくなり、その馬具を依頼された。セイランはとても身体が大きく、気性も荒い馬だった。気に入らない馬具は受け付けないだろう。そのセイランが、ヨシュアの造った馬具に大人しく収まってくれた時などは、この上ない喜びを感じた。ガイアに認めてもらった時以来の感覚だと思う。
 その時初めてまともに話したローゼルは、口数の多くない人物だったが馬が好きなことは伝わってきた。それだけでヨシュアは親近感を覚えたものだ。
 さすがに供の者を連れずに一人で工房を訪ねて来た際には驚いたが、カリンの幼馴染で、レンとも親しいというこの王配は、二人きりで話していても苦痛には感じなかった。
 「何か不具合でも?」
 そう尋ねるヨシュアに、ローゼルは首を横に振って見せ、此処でカリンを待たせてほしいと言った。ヨシュアは、戸惑いながらも住居の方へ案内し、椅子を勧めた。
 「不具合どころか、あの鞍は素晴らしい。」
 腰かけるなり、ローゼルはぼそりと呟いたきり黙った。
 礼は返したものの、自分は仕事へ戻って良いのか、ローゼルの傍に居るべきなのか迷ったヨシュアは、とりあえず茶を淹れることにした。
 「カリンもよくこうして茶を淹れてくれた。」
 そう言ったローゼルの表情が少し和らいだ様に感じたので、ヨシュアはそのまま向かい側に腰を下ろしたのだった。
 ヨシュア自身もそれほど人づきあいが得意な方ではないので、お互いにぽつりぽつりと会話を続けた。
 カリンのことと馬のことが主な話題だった。しかしその場の空気は、決して気まずいものではなかったと思う。
 暫くして森から戻ってきたカリンは、二人の話す姿を見てあからさまに驚いていた。

 ヨシュアは今、とある貴族から依頼された鞍を作っている。昨日革の裁断を終えたので、後はひたすら組み立ててゆくだけだったが、合間にカリンの誕生日祝いを制作していたため、やや納期が押している。暫く夜遅くまで仕事をしなければならないだろう。
 今年のカリンの誕生日には、ガイアの頭絡と手綱を新しくした。マカニの大吊り橋が落ちて以来、暫く使っていない間に痛んでしまったと話していたからだ。
 今回会ったガイアは鞍の下に、カリンがマカニ族の仲間から誕生日祝いに貰ったのだというゼッケンを身に着けており、それはとても美しい色合いをしていた。
 マカニ族の色使いは独特で、ヨシュアの琴線に触れるものが多い。次回マカニを訪れた際にはいくつかの工房を訪ねてみようかと思っていた。ヨシュアの仕事にも、きっと良い刺激をくれるに違いない。
 革を縫い合わせていく作業では、大きな部分には足踏み式のミシンを使うが、細かい部分は革に糸通し用の穴を開けて糸を通してゆく。かなり力を使う工程だ。ヨシュアの場合、ミシンの踏み板を踏むのも片足であるため、ちょっとしたコツが必要だった。
 同時にそれは、それまでバラバラだった革がひとつに合わさって形になっていくのが楽しい工程でもある。縫い合わせの工程が終わった時の達成感は、何度味わっても爽快だ。
 ふと気がつくと日が暮れていた。うっかり昼食を忘れて作業していて、突然空腹を感じる。作業台の脇の小さなテーブルに乗っている水差しも、いつの間にか空になっていた。
 食後にもう少し作業するつもりで、仕事場をそのままにキッチンへ入る。カリンが来ている時にはしっかりしたものを作るが、一人の時は適当である。ただ、昨日までカリンとレンが来ていたので、幸い昨夜の残りものがあった。それらを温め直して食卓へ着くと、幸せな三日間が思い出された。

 「ある時から毎年、今年の誕生日がこれまでで一番幸せ、って思い続けているの。」
 三人で乾杯した後、カリンは幸せそうな顔で言った。
 「いいことだね。」
 レンも幸せそうな表情で答える。おそらく自分も同じような表情をしているだろうとヨシュアは思った。
 「カリンが成人した年だな。」
 ヨシュアが言うと、カリンは、どうして分かったの?と首を傾げる。
 「そりゃあ分かるさ。俺はカリンに出逢ってからずっと上向きで来たが、お前はまだまだ色々あったものな。」
 「そうだね。でも、私もヨシュアさんと出逢ってから、ヨシュアさんがずっと一緒に居てくれたから、こうして今も幸せでいられるのよ。」
 「ああ。成人の年の誕生日…。カリンがマカニへ来なくなった時だったよね。確かに僕もその時が一番苦しかったかもな。その次の年からは、少なくともカリンと一緒に祝うことができる誕生日だったからね。」
 「うふふ。その後も色々あったけれど。」
 「過去形じゃないんじゃないかな。今も色々あるよ。」
 「そうだね。でも…。」
 「うん。一緒に居られるだけずっとましだ。」
 「それじゃあ、もう一度乾杯しよう。カリンの、これまでで一番幸せな誕生日と、レンと俺の、これまでで一番幸せな今に。」

 昨日縫い上げた部分を再度確認しながら、ヨシュアは欠伸を噛み殺す。
 工房にはヨシュア以外の人間は居ないし、欠伸をしている所を誰かに見られたらまずいわけでもないが、なんとなく仕事中に欠伸をしているという姿が自分で気に入らなかったのだ。
 さすがに昨日は夜更かしをし過ぎた。昨夜は満ち足りた気持ちで仕事をしていたら手が止まらなくなったのだった。しかし翌日がこれでは効率が良いのか悪いのか分からない。
 ヨシュアの作業台は大きなガラス張りの窓に面していて、工房側の門から入ってきた客がすぐに目につくようになっている。
 その門が開き、一人の女が入ってきた。
 ヨシュアより五、六歳若いくらいだろうか。褐色の肌に長い金髪の髪を頭上でひとつに纏めている。おそらくポハク族だろう。
 女は堂々とした足取りで真っ直ぐに窓越しのヨシュアの前まで歩いてきた。ポハク族が訪ねてくる心当たりはなかったが、ヨシュアは窓を開ける。
 「ごめんくださいませ。貴方がヨシュアさん?」
 少し掠れ気味だが、それがむしろ魅力的に感じられる不思議な声をしている。
 「そうですが、何のご用でしょうか。」
 「わたくしはポハクで商人をしております。カメリアと申します。」
 ポハクの商人から声を掛けられる心当たりも無かったので、先を促すように怪訝な顔をして見せた。
 「お城で、腕の良い革細工の職人を紹介してくれとお願いしたらヨシュアさんの名を。…率直に申しますと、ポハクへ輸入する革細工の商品を造っていただきたいのです。」
 「残念ですが…見ての通りひとりで工房をやっています。アグィーラの外へ出すほど量産することはできません。大通り沿いにもう少し大きな工房があります。あそこならば職人が沢山居る。行って相談してみるといい。」
 見れば分りそうなものだと思いつつ、なるべくぶっきらぼうにならないように気をつけて答えると、女は口元に笑いを浮かべた。やり手の商人なのだろう、人に不快感を与えない笑顔だったが、ヨシュアにはそれが精巧に造られた人形のように見えた。
 「それ程量は多くなくて良いのです。その方がむしろ稀少感が出る。馬具を造るよりも時間当たりの稼ぎはきっと増えますよ。それだけのものをお支払いするつもりです。」
 「悪いが此処は主に馬具を扱っている工房だ。合間に他を造るならいいが、馬具を造る時間を削ってまで他に手を出そうとは思わない。お引き取りいただきたい。」
 「あら。それでは、王家から依頼された化身の証とやらも、馬具の合間に造ったのね。王家も随分軽く見られたものだわ。」
 ヨシュアが口調を変えたからか、女もやや高圧的な口調になる。その方が先程までの商人の仮面よりも様になっていた。
 なるほど。『化身の証を造った職人の手による…』とでも言って売るつもりだったのだろう。噂に聞くポハク族の商人魂は本物らしい。
 「此処は俺のような偏屈な職人のやっている工房だと、仲間にも伝えておくといい。とりあえず引き受けるつもりはないから帰って欲しい。今、急ぎの仕事を抱えているんだ。」
 女は、ヨシュアが完全に笑顔を消して言い放った言葉をものともせずに、気が変わったら連絡してくれと言って連絡先を書いた紙を無理やり渡すと、来た時と同じように堂々とした足取りで門から出て行った。
 握らされた紙をそのまま棄てようとして、ふと、イベリスの何番目かの姉の名がカメリアではなかったかと思い出した。何度かカリンの口から聞いたことがある。
 此処がカリンに関わりのある場所だと知ってやってきたのかどうかは分からないが、カリンに話しておいた方がいいだろうと思い直し、連絡先を書いたその紙を文箱の中へ仕舞った。
 寝不足に加えて、おかしな客のせいで調子が狂った。茶でも入れてひと息つこうと席を立ち、そういえば、こうして丁寧に茶を淹れるようになったのもカリンの影響だと思う。
 カリンの居ない時、食事は簡易なものになるが、茶だけは変わらず丁寧に淹れることにしている。茶葉は毎回、カリンがアグィーラへ来る際に、カエデが調合したものを分けて貰ってきてくれる。
 カエデは、ヨシュアが最初に言葉を交わしたマカニ族だ。不思議な縁だと思う。この茶はヨシュアにとって、ひとりで居る時に、カリンの居るマカニと自分を繋いでくれる大切なものだ。
 自分で淹れた茶を飲みながら、ヨシュアの気持ちは再び満たされていった。仕事へ向かう気力も湧いてくる。
 今日はミシンの部分を仕上げてしまおう。
 そう心に決めて、ヨシュアは再び仕掛り中の鞍に手を掛けた。


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