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物語の欠片 象牙色の城郭篇 3

-カリン-

 アグィーラまで送ってくれたレンと外側の城門で別れて城までの道を歩く。ここ数回はガイアを連れて来てはいないが、必ず厩舎へ寄ってユッカに挨拶することにしていた。大吊り橋の建設が始まったことを話すと、もうすぐガイアに会えるな、と嬉しそうな表情になる。カリンもその表情に癒された。ユッカも昔から変わらず自分の味方で居てくれる人のひとりだ。
 厩舎から近くのヨシュアの家へ。これも毎回決まった道程だ。軽く抱擁を交わして荷物だけ置いたら、ゆっくり話すのは夜の楽しみに取っておいてすぐに城へ向かう。
 子供の頃、カリンの家は城門の外にあった。父はほとんど家を空けていて、母も城に勤めていたので、近所づきあいはほとんどなかった。父の友人であったアジュガと息子のローゼルが尋ねてきたくらいだ。母は時々、城の医局へ来られない人のために薬を届けに行ったりしていたが、それについて行ったこともない。母の代理でヨシュアの所へ行ったのが最初で最後だった。そんなわけで、アグィーラの城下町に知り合いは少なかった。それはそれで気楽だ。
 しかし、着ている官吏服でカリンの地位は分かるので、時々挨拶をしてくる町の人も居た。それにはなるべく愛想よく応えるようにしている。声をかけてくるのは老人が多かった。アグィーラは都会なのでマカニの村のように全員が全員を知っているようなこともない。基本的に人間関係は希薄だと思う。昔、身近な大人に変わり者扱いされていたカリンにとってはそれはむしろ有難かったが、今は少し無機質な印象を与える。自分も随分変わったものだと思う。
 内側の城門、つまり城の入口が見えてきた時、門を挟んで反対側から歩いてくる人影に気がついた。供の者を沢山引き連れて歩くその人の顔を見て、しまったと思ったが遅かった。もう身を隠す場所もない。気は進まなかったが、足を止めるのも変なのでそのまま城門へ向かって歩みを進める。
 アオイの母親であるリリィだった。
 城の正門は南門だ。ヨシュアの家からは北門の方が近いのだが、出廷する時は大抵南門から入ることにしている。リリィたちの屋敷は城の更に南側にある。ヨシュアの家のある工房などが林立するエリアではなく、商店が立ち並ぶ便利で華やかな地域だ。
 リリィもカリンに気がつき、一瞬眉をしかめた。それを機にカリンは足を止めて道を譲る意思を見せる。リリィは、さも当然というように供の者を促して先に城門をくぐって行った。
 後に続く供の者がちらちらとカリンの顔を見て行った。リリィはいつも沢山の供を引き連れているが、カリンはあまり目を合わさないようにしているので、それが毎回同じ人々なのかどうかもよく分からない。
 門番たちがやや気の毒そうにカリンを見たので、カリンは精一杯の笑顔で挨拶をした。
 カリンとリリィの確執は城中の者が知っている。リリィが言いふらして回っているからでもあり、公の場でも何度か騒動になったことがあるからだ。
 リリィが医局に向かうならばカリンは先にレフアとローゼルに挨拶しようかと思ったのだが、リリィたち一行は城の中心部に向かって進んでいった。あちらは法務局のある方向だ。
 不思議に思いながら医局のある棟へ向かうと、入口でユウガオと出会った。
 「おお。早かったな。ちょっとこれから法務局に行くとことなんだ。新しい薬の申請でな。目録、いつもの所に置いてあるから適当に頼む。」
 「法務局、ですか?」
 「何か問題あるか?」
 「いえ。今、リリィ様とすれ違って…。」
 リリィたちが法務局へ向かったことを告げるとユウガオは目を輝かせた。
 「そりゃあ、面白いものが見られるかもしれないな。こんなところで油売ってる場合じゃない。俺は行くぞ。あとで話してやるからさっさと仕事を終わらせておけ。」
 カリンが返事をする間もなく、ユウガオはいそいそと楽しそうに法務局の方へ歩き始めてしまった。その後ろ姿を見送りながら、カリンはひとりでくすりと笑いを漏らす。ユウガオはいつも楽しそうだ。それは、自分の大切なものを解っているからなのだと思う。
 そういえばカリンは、出会う前のユウガオの過去を聞いたことが無い。それに、よく考えてみればユウガオの私生活も謎だった。城下町の東側に住んでいることは知っていたが、勿論家を訪ねたこともなかった。
 いつも城中の噂をよく把握していて、カリンのことも知りたがるくせに、あまり自分のことについて語るのを聞いたことが無いと気がついた。今度機会があったら訊いてみよう。果たして話してくれるだろうか。それとも、いつもの調子でするりとかわされてしまうのだろうか。

 薬草の処理室に入ると、カリンはいつも時間を忘れる。ユウガオの言ったとおり、カリンが今回やるべき仕事は目録に書いてあった。ユウガオの指示は的確なので、カリンは安心して薬草の処理に集中できる。カリンがここへ通うようになってから十年以上経つので、機械は何度か変わったがカリンのやることはあまり変わらない。丁寧に薬草たちの声を聴いてやるだけだ。
 あなたの力が借りたいの。どうしたらあなたは一番力を発揮できるかしら。
 しばらくすると処理室の扉がノックもされずに開き、ユウガオが入ってきた。その表情で、期待したものが見られたのだろうと分かる。
 収穫収穫、と呟きながらカリンの隣の椅子に腰を下ろしたユウガオは、一応カリンの手の動きを確認した。
 「今は大丈夫ですよ。ほら、薬が抽出され始めました。あとは全部出てくるのを待つだけ。次の薬草に取り掛かるまで時間があります。」
 「そうか。いや、思った以上に楽しかった。お前、リリィ様たちの養子、見たことあるか?」
 「いえ。養子をおとりになったということをユウガオさんから聞いた以外、何も。」
 「俺も姿を見たのは今日が初めてだったんだけどな。あれだ。昔のアオイ様を見ているようだな。心の無い操り人形のようだった。リリィ様の所に居るとどうしてもああなってしまうのか、リリィ様がそういう人物を養子に選んだのか…。」
 ユウガオはその顔を思い出したのか、一瞬だけ遠くを見るような、気の毒そうな表情になった。
 「お幾つくらいなのですか?」
 「それだよそれ。」
 養子の名前はセダム。今年十三になったのだという。カリンが薬師室に正規の官吏として仕官し始めたのと同じ年だ。しかしカリンの場合は特例で、十歳の途中で官吏試験を受け、二年半の官吏補を経て十三で官吏になった。普通は十三歳で官吏試験を受けるのも早い方だ。標準は十五歳で試験を受けて官吏補、十七歳の成人で官吏となる。しかし、アオイも十三で官吏試験を受けた。同期であり、年が近かったから親しくなったのだった。
 いずれにせよリリィはそろそろセダムに官吏試験を受けさせるつもりで、今から各局に挨拶回りをしているのだろう。
 「そろそろ官吏試験を受けるおつもりなのですね。アオイ様が試験を受けられたのと同じ年齢です。」
 「そう。しかしそれだけじゃないんだよ。なんとリリィ様は、セダム様が官吏補をすっ飛ばしていきなり正規の官吏になれるよう、法務局に掛け合っていたんだ。」
 「それは…確かに…異例ですね。」
 「だろ?お前も特例だったが、お前の場合はきちんと十歳で試験に合格して、しばらく官吏補だった。全体的には早いが過程を飛ばすことはなかった。それを、試験に受かったらいきなり正規の官吏にしろというのだから無茶があるよな。」
 「急いでおられるのでしょうね。アオイ様があのまま家を出ずにおられたら、そろそろ上級官吏試験を受けられても良い頃です。優秀ですから。最もご本人はあまりご興味が無さそうですけれど。あ、それはユウガオさんも同じですね。」
 ユウガオは、にやにやしながら、まあな、と返す。
 「セダム様は孤児院出身のようだよ。」
 「孤児院?アグィーラの?」
 「そう。リリィ様はそれを逆手にとって、不遇の身にあったからこそ誠意は人一倍だとか、孤児院出身の優秀な者を分け隔てなく迎え入れれば法務局の評判も良くなるだろうとか、あれこれ演説しておられたよ。声が大きかったから盗み聞きするまでもなかった。」
 アグィーラの城下町にはひとつだけ孤児院がある。マカニのような村では、レンのように両親を失っても村人の誰かが親を買って出ることが少なくない。しかし人間関係の希薄なアグィーラでは、魔物に襲われるなどして両親を失ったとしても、誰も面倒を見てくれない場合もある。それを引き取って、自活できるまで面倒を見るのが孤児院だ。
 元々は個人が始めた施設だと聞いているが、やがて国が買い取り、今は国が運営している。それを管轄しているのも法務局配下の厚生室だった。
 しかしまさかリリィが孤児院から養子をとったのだとは思わなかった。それは今回のような試みのためだったのだろうか。いや、もしかしたらリリィは、慈善事業には熱心なのかもしれない。リリィのことは、アオイの母親であること、それから、リリィがカリンを嫌っているということ以外何も知らないのだ。
 「セダム様は、やはり医局の試験を受けられるのでしょうか。」
 「ツツジ様のご子息ということになるわけだからそうじゃないのか?きっとツツジ様の後を狙ってるんだろ。」
 「では、そのうちわたくしたちも顔を合わせることになりますね。」
 「そうだな。…お前、同じ轍を踏むなよ?」
 「そう仰られましても、以前のこともわたくしが自分で望んだことではありません。…とはいえ、なるべくお近づきにならないようには致します。」
 「困ってたら手を差し伸べてしまうからな、お前。」
 「それは…。」
 「まあ、気をつけろよ。さて、あんまりここでさぼってると室長に怒られるかな。」
 ユウガオは話し終えて満足したらしく、いつものようにひらひらと手を振りながら処理室を出て行った。
 カリンの頭の中は、今聞いた話のおかげで昔の楽しくない思い出が次々に呼び覚まされ始めた。それに加えて昔の夢のこともある。昨夜は幸い夢は見なかったが、今夜はどうだろう。色々な考えが渦巻いていたが、カリンは大きく深呼吸をひとつして、ひとまずそれを全部押し出した。そして再び薬草の処理に集中する。
 どうしたらいいのか分からなくなった時には、まず目の前のやらなければならないことに集中すること。それはレンから教わった大切なことのひとつだった。


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