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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 14

-カリン-

 医務室の扉を開けてツツジの姿を確認すると、カリンは安堵の溜息を吐いた。しかしすぐに気を引き締め、ツツジの前に立つ。ツツジは片方の眉を上げ、無言でカリンを見上げた。
「これからアオイ様の所へ伺って、その後再びこちらへ戻って参ります。ツツジ様にお話があるのですが、少しお時間をいただけませんでしょうか」
 ツツジはちらりと壁の時計に顔を向ける。
「あの、遅い時間であることは承知しておりますが……」
「構わん。ちょうど帰る前にアオイの報告を聞く予定だった。私もアオイの所へ行こう」
 そう言うとツツジは立ち上がり、カリンが何かを言う間もなく医務室の奥の扉を開けた。カリンが通るまで扉を開けていてくれたので、短く礼を言う。
「お前、マカニへ行っていたのではないのか?」
「はい」
「なるほど。マカニのことか」
「はい、あの……」
「詳しくは後で聞く」
 スグリの背中の上であれ程ツツジとの話の進め方を練っていたにもかかわらず、いきなり調子を崩された形になった。カリンは小さくそっと呼吸を整えた。
 アオイ経由か、それともユウガオから話を聞いたバーベナ経由か、いずれにせよカリンのマカニ行きの話はツツジの耳にも届いているだろう。どちらから届いたかでツツジの受ける印象は随分違うように思えた。
 ツツジとカリンが一緒に病室へ入ると、中に居たアオイは僅かに驚いた表情を見せた。今はユウガオはそこには居ない。アオイひとりである。
「今日の報告を聞きに来た」
「こちらから伺わずに申し訳ありません」
「いや、構わん。私が待ちきれなかっただけだ。昨日より少し早い。……で?」
「はい。今のところ患者の状態に大きな変化はありません。少し心拍が落ちているのですが、それが降圧剤の影響なのか、何らかの病状が進んでいるのか判断できる状態にありません。明日もう一日傾向を見てから投薬を続けるかどうかの判断をしようと思います」
「意識が戻らん以外、患者の状態は安定しているのだな」
「はい」
「ふむ……分かった。では明日のお前の判断を待とう」
 ツツジはカリンの方へ向き直った。いつもながら蒼白い顔をしているが目つきは鋭い。
「ではお前の話を聞こうか」
 カリンがアオイの方へ目を遣ると、ツツジの肩越しにアオイが黙って頷くのが見えた。
「はい、実は……」
 カリンは、今日マカニへ戻ったのは行方不明だったレンが発見されたからであったことを改めてツツジに説明した。そして、今のところ命に別状はないものの頭を強く打っており、できれば精緻な検査を受けさせたいことを伝える。
「わたくし自身はこのままアグィーラに留まり、こちらの件に関わったままで構いません。その代わり、アグィーラから誰か適切な医師を派遣していただきたいのです。できれば必要な機器と一緒に」
 話し終えたカリンは真っ直ぐにツツジの目を見たが、ツツジの視線はそれを受け止めているようでも僅かに外れているようでもある不思議な視線だった。考えていることが全く読めない。
 アグィーラに残ると自ら宣言したのは、ツツジへの交渉条件のつもりだった。やや頼りない条件であることは自覚している。エリカとの対話も、ツツジならば難なくこなすだろう。多少面倒くさい仕事を押し付ける相手としてでも構わない。少しでも利点を感じてくれればとの思いで口にした。
 ふむ……と言ったままツツジは暫く何か考えるように黙った。カリンとアオイも黙ったままツツジが口を開くのを待つ。
 意外なことに、口を開いたツツジはアオイに意見を求めた。
「お前はどう思う?」
「……個人的感情を排除しても、マカニへ人を派遣すべきだと思います」
「理由は?」
「ひとつは、これは青臭いと取られても仕方がありませんが、王国内に患者が居るのであればアグィーラ医局として手を差し伸べるべきだと思うからです。二つ目は、今回のことにかかわらず、アグィーラがマカニへ人を派遣しなかったことを理由に、カリンが医局の薬師を辞してしまっては大きな損害を被ります。三つ目は、これは父上の方がお得意だと思いますが、政治的観点からです」
 カリンはそれを聞いたツツジの口元がほんの一瞬だけ緩んだことに気がついた。
「……なるほどな。なかなか真っ当な意見だ。特に二つ目……」
 ツツジの鋭い目がカリンを射る。
「お前、セダムの事件の際、私を脅すつもりはないと言いながら脅しておったが……そういうものに長けていると思われる」
「わたくしにそんなつもりは……」
「お前そのものがそういう存在だということだ」
「あの……申し訳ありません」
「謝ることでもない。お前のその頼みとやらを断る為には、アグィーラ医局はお前以上の薬師を育てねばならないということだ。それができていないのは医局の実力不足という訳だ」
 何と返事して良いか分からなかった。随分遠回りな言い方だが、承諾したと取って良いのだろうか。
「ついてくるといい」
 ツツジはそう言ってきびすを返した。カリンはアオイに、用事が済んだら戻ってくるとだけ伝えてツツジの後を追う。
 ツツジは医務室の自分の席へ戻ると、何やら書類をしたため始めた。
 やがて手渡された二枚の書類を見て、カリンは少なからず驚いた。礼を言うのも忘れて書類を眺める。
 一枚は、二名の医師をマカニへ派遣するためのもの。其処には、若いながら有望な二名の医師の名前が書かれていた。若い独身の医師を指名したのは、マカニへの滞在が何日になるか分からないからだろう。あとは、外部での経験を積むこと期待してのものと思われた。
 それ以上に驚いたのは二枚目の書類だ。そちらにはマカニで必要になるだろう医療機器が事細かに記されていた。それらを当面マカニに貸与するという主旨の書類なのだが、先程のカリンの話だけで、必要になるだろう機器をこれだけ瞬時に正確に書き出すことができる者は、医師の中でもそうは居ない。
 カリンはてっきり、ツツジは必要な医療機器を貸し出す許可だけを与え、その選定は医師に任せるものだと思っていた。
 医局長の立場にどっぷりと浸かった今であっても、ツツジは医師としても優秀なのだということに驚愕した。そして、再びカリンの中でツツジの印象が変わっていくのを感じた。
「何をぼうっとしておる。何か不満があるのか?」
「あ……いえ、あの、あまりに有難いご対応に驚いてしまって……」
「それが望みだろう?」
「あの、誤解を恐れずに申し上げれば、期待以上でした」
「お前は医局を何だと思っておるのだ」
「いえ……本当に申し訳ありません。そして、ありがとうございます」
「……さっさとそれを持って診療室の受付に行かんと肝心の医師が帰ってしまうぞ。今夜のうちに移動するのか明日の朝にするのかは本人たちと話し合うがいい」
「はい。本当にありがとうございます」
 カリンは気持ちを整えてからきちんと一礼し、医務室を後にした。

 夜のうちにマカニへ発つことになった一行を見送りアオイの元へ戻ったのはずいぶん遅くなってからだった。
「アオイ様、お待たせして申し訳ありません。そういえばアオイ様はきちんとお休みになっておられるのですか?」
「心配するな。夜は夜勤の者に定期的に様子を見るようお願いしている。ただまあ、本当の様子見だけだから、なるべく遅くまで残って早めに出勤するようにはしている。……だから今日の居残りも通常の範囲内だよ。私の家は城の敷地内だから移動に時間はかからない。寧ろお前の方が疲れているのではないか? 今日はマカニとアグィーラを往復している」
「お気遣いありがとうございます。わたくしは大丈夫です。昨日ユウガオさんに言われてしっかり休みましたから」
 医師たちが今夜のうちにアグィーラを発つことができたのは、ひとえにツツジの的確な指示のおかげだった。指名された医師たちは、驚いた表情は見せたものの、意欲を持ってマカニ行きを同意してくれた。其処から機器の選定をしていたら時間が掛かっただろうが、すでに持って行くものは決まっていたので、カリンが医師たちと簡単な打ち合わせをしている間に他の者が準備をしてくれたのだった。
 マカニへ行く医師が二名になり、持って行く医療機器は相当量あったので、翼の数を考えるとカリンがアグィーラに残ったのは結果的に正解だった。これが、最善の方法だっただろうとカリンは納得していた。
「とりあえずレン殿が見つかって良かったな」
「はい」
「本当に戻らなくて良かったのか?」
「はい。今のレンの状態ですと、わたくしが戻っても薬師にできることは多くありません。寧ろ二名も医師を派遣していただいたことにとても感謝しています。こんな風に自分を納得させられるのも、アオイ様があの時一度マカニへ戻れと言ってくださったおかげです」
「そうか。それなら良かった」
「その分、こちらをしっかりお手伝いさせていただきます」
「助かる。……さて、しかし今日はそろそろ終わりにしよう。その分、明日は早めに来ようと思っている。なんとなく、明日が正念場のような気がするのだ」
 患者が意識を失ってから五日目、薬の投与を始めてから丸二日。確かにカリンも明日辺りが分かれ目のように思う。このまま植物状態になってしまうのか、それとも状況が改善するのか……悪化するとしたらそれは急激なものだろう。いずれにせよ明日辺り、次の打ち手を考えておかねばならない。
 最悪の場合、開頭手術になるだろう。そうなれば再び麻酔薬を使うことになる。前回の麻酔の影響が分からないまま同じ患者に新たな手術を行うことはできる限り避けたかった。
 エリカはまだアグィーラに居るのだろうか。そういえばユウガオに状況を伝えて礼を言うのを忘れていた。明日、叱られるかもしれない。
「どうした?」
「ユウガオさんに御礼を言うのを忘れていました。きっともう帰っておられると思います」
「ああ、先程挨拶に来たから簡単に状況は伝えておいた。お前の居ない間はしっかりやってくれたよ。彼も優秀だな」
「はい……あ、そういえば……」
 カリンはアオイと連れ立って医局を出る道すがら、先程のツツジの振る舞いについてアオイに話すことにした。しかしそれは、アオイにとっては既知の事実であったようだ。
「そう……いつも、報告に対する父の指摘は的確だ。すでに現場を離れた上級官吏たちの報告は穴だらけで、それらを跳ね退けることもある。それもあって父は皆に恐れられている。自宅に居ても自室に籠っていることの多かった父だが、人知れず学び続けているのかもしれない。私はそんな父を医師として尊敬している」
 敢えて「医師として」と言ったアオイの複雑な心中を思う。そして昨日、局長たちは権力争いばかりだと発言した自分を恥じた。自分はやはり何も解ってはいないのだ。ずっと、長い間この城に居たというのに。
 官舎へ戻るアオイと別れてヨシュアの家へ向かう。
 城壁に添って歩きながら、アグィーラの薬師としての自分を見詰め直すべきだ、とカリンは思った。


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