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物語の欠片 翡翠色の昼下がり篇 1

-カリン-

 ポハクの一件から更に少し秋の深まった頃、エリカから族長宛に一通の書簡が届いた。マカニにとっては実りの季節真っ最中まっさなかという頃のことである。
 カリンはこの季節、薬草摘みのついでにマカニの豊かな森の恩恵に預かるのだが、その恵みを族長の家へも届けようと思い族長の家へ行くと、珍しく庭先に出ている族長に出くわした。挨拶をしたカリンに、丁度良い所へ来たと返事をする。カリンは首を傾げたが、族長はもうすぐレンが来るから此処で共に待とうと言う。
 普段は日中帯にレンを呼び出しても部屋で待っている族長が外へ出ていることに違和感を感じながらも、もうすぐ寒い冬がやって来ることを考えると、秋のマカニを眺めていたい気持ちも解るような気もした。実際に族長の隣に立って山際を眺めると、燃えるような紅葉が美しかった。
 山際に見える田畑もすっかり秋の色だ。此処からは見えないが、今日もあの辺りで収穫が行われているに違いない。マカニの冬は長く厳しいが、春から秋へかけての収穫が安定しているので、余裕をもって冬を越すことができている。この時期はジャムや野菜の瓶詰、魚のオイル漬け、乾物など保存食の準備も盛んで、カリンも診療所に余裕のある時には手伝うこともあった。
 暫くしてシヴァと共にやってきたレンは、族長と共にカリンが居ることに疑問を抱いたのか、先程のカリンと同じように首を傾げる。
「あれ、カリンも居る。どうしたの?」
「これを族長様の家に届けに来たら、丁度レンも来るからと言われたので待っていたの」
「ふうん」
 のんびりと返事をするレンと対照的に僅かに眉根を寄せたシヴァの表情が印象的だった。

 レンと二人で話がしたいからワイへ寄越して欲しい。
 端的に言うとそのようなことがエリカの書簡には書かれていた。
 それを読んだカリンとレンは戸惑いの表情を浮かべて族長の顔を見、シヴァは相変わらず眉根を寄せていた。
「僕を……何故でしょう」
 レンが当然の疑問を口にする。
「さて。私にも分からぬ。……が、あまり良い話には思えぬな」
「必ずひとりで、と念押ししておられました。マカニ族に何かを頼みたいのではないように思えます」
「それはまだ分からぬが、翼が必要、ということではなさそうだ。レン個人への依頼があるのかも知れぬ。そうだとすると、やり方が少々手荒いな。依頼そのものを私への書簡へ書けばよいものを」
「エリカ様をお訪ねすること自体は、僕は構いませんが……」
「……そうだな、お前の気持ち次第だと思っていた」
 族長、とシヴァが口を挟む。
「どうしたシヴァ」
「私は……レンをひとりで行かせることに反対です」
「ほう。それは何故だ?」
「エリカ様が必ずひとりでと仰っているからです。エリカ様のご希望どおりにひとりで行かせれば、レン本人にとってあまり良くないことが起こるのではないかと……。族長も仰られていた通り、レンが直接聞いたら断り難い依頼をするおつもりなのかもしれません」
 即答しながらも、シヴァらしからぬ迷いのある話し方だった。族長はそんなシヴァを優しい眼差しで見詰める。
「そうかも知れぬな。……カリン、そなたはどう思う?」
 この為に自分は呼ばれたのだと思ったが、カリンはエリカに対しては公正な判断が出来ないことを自認している。
「私は……レンの判断を信じます」
 そう答えるしかなかったが胸中はざわざわしていた。
「とりあえず、行ってみます。行かなければエリカ様のお考えも解りません。先日パキラ様と二人でワイへ伺ったことに関連しているのかもしれませんし。もし何か頼まれたら、族長に相談した上で回答するとお伝えして戻ります」
 それがレンの答えで、それがそのままその場の最終的な決定になった。

「レンが心配か?」
 カエデがカリンの前にお茶の入ったカップを差し出しながら尋ねる。ついつい作業の手が止まっていたことに気がつく。
「あ。ごめんなさい」
「謝ることは無いさ」
 レンがワイへ向かう日は明日に迫っていた。日帰りの予定だ。それでもカリンは日に日に自分の中でもやもやする感情が湧き上がるのを止めることができなかった。ともすると自分への当てつけなのではないかと感じてしまうのだが、それすらおそらく過剰な自意識で、それを認識すると更に自分が嫌になるのだった。エリカはおそらくカリンへの当てつけなどではなく、本当にレンに興味があるのだ。
 何か言わねばと思う前にカエデはお茶だけ置いてカリンの前から去ってしまい、自分の仕事に戻っている。こういうところは、本当に敵わないと思う。カエデの淹れてくれたお茶をひと口飲むと、すうっと気持ちが落ち着いてゆくのを感じた。
 大丈夫。レンは自分よりずっと凄いのだもの。自分が苦手なエリカ相手でも自分のように乱れたりはしない。
 ただあの日、庭に出てレンを待っていた族長の姿が思い出されてカリンの不安を掻き立てるのだ。族長は西の森の方角を眺めていた。マカニ族の墓のある、スズナも眠るあの森を。
 しかしそれは、カエデには話すことのできないことだった。

「そんなに心配?」
 念入りに翼の手入れをするレンを眺めていたらそう訊かれた。
「心配そうに見える?」
「うん。見える」
「そう。あまり自覚は無いの。でも、自然と考え込んでいることが多いみたい」
「大丈夫だよ。たった半日じゃないか」
「解っているわ。それに、レンだっていつも、私がひとりで出かけて行くのを心配だけど待っていてくれるんだもの。私だって待てる」
「あはは、そうだね。僕はだいぶ慣れた。でも確かに、マカニの仕事ではなく僕がひとりで出かけて行くのを、カリンが見送るのは初めてかもね」
「ねえレン」
「何?」
「あの後あの隼に会った?」
「いきなりどうしたの?まあ話題を変えることには賛成だけど」
「そう、話題を変えたの」
「一度だけ姿を見たよ。でも近くには来なかった。……そろそろ名前でも考えようかな」
「名前?」
「うん。まだ僕の相棒になると決まったわけではないけど、”あの隼”って言い続けるのもなんだなと思って。個体として見分けられるんだから、名前でも付けようかなと思って。勝手に呼ぶ分には構わないだろう?」
「そうね、いいと思う」
「でもさ、考えてみたら僕、自分で何かに名前を付けたことってないんだ。カリンみたいに馬が居るわけでもないし」
「ああ、そう言われればそうね。でも、ゆっくり考えればいいのではないかしら。急いでいるわけではないし」
「カリンはいつもどうやって名前を決めるの?」
「うーん。突然思いつくの。じっとその子を見ているとね。ゲイルの時もガイアの時も、それからヨシュアさんのヨギリもそうだった」
「ふうん、そういうものなのか。じゃあ思いつくまでのんびり考えよう」
「ちょっと楽しいね」
「そうだね」
「私も仲良くなれるかしら」
「どうだろう。ヤナギはカリンにも懐いていたよね」
「そうね。ヤナギに貰った葉っぱ、本に挟んで大切にとってあるわ」
 今の所モミジは族長にしか懐いていないが、シヴァとレンの訓練に付き合ってくれることがあるそうだ。
 指笛は人間には聞こえない音域だから水面の揺れを頼りに訓練するのだが、時折シヴァとレンが族長の家で訓練をしている時間にモミジがやってくることがあり、そうすると族長はモミジを中へ招き入れて二人の指笛を聞かせる。正しく音が出せると反応してくれるので随分と助かるのだと、以前レンが話していた。
 未だ拙いながら指笛を使えるシヴァとレンを、モミジも他の村人よりは特別視しているように感じる。二人の前に姿を現すことが多いからだ。カリンは未だ触れさせて貰ったことが無い。

 いつものようにレンとくっついて眠ると、あっけなく太陽は昇り、秋晴れの朝がやってきた。ひとまず天候を心配する事は無いようだ。
 そしてやはりあっけなく、レンは第五飛行台から飛び立っていった。
 軽やかな笑顔を浮かべて。
 カリンは、族長とシヴァと並んでそれを見送った。
 程なくシヴァは訓練場へ上がってゆく。残されたカリンに、族長は少し話をしてゆかぬか、と声を掛けた。
 族長と話をするのはいつでも歓迎だ。カリンが即答すると、族長は柔らかく笑ってカリンの頭を撫でた。
「ふふ。族長様のお傍に居ると、ふと自分がまだ小さな子供のように感じることがあります」
「そうだな。私もたまにそう感じることがある。そなたは不思議な時間軸の中におる。子供の頃は大人のような表情を見せるようなことがあったが、今は、実際の年齢より幼く見えることもある。そなたの中の純粋な部分が、けがれぬまま残っておるからであろう。そなたはそれを、良く守っておる」
「そんな風に考えたことはありませんでした。族長様の眼には良く見えていらっしゃるのですね」
「さて、どうかな」
「あの、族長様」
 何となく、今ならば訊けるような気がしてカリンは族長の顔を見上げた。
「何だ?」
「先日はお庭に出て、何を見ていらっしゃったのですか? あまりないことのように思われたので」
「そうだな。散歩に出ることはあるが、庭で漠然と何かを眺めることは少ない。……あの時は、実はモミジを見送った後だったのだ」
「……西の森の方をご覧になっているように思いました」
「そう。モミジはあの時、そちらへ飛んで行った」
「そうだったのですね」
「心配をかけたな」
「いえ。私が勘違いしただけです」
「そなたは子供の頃から、いつも私を気にかけてくれる」
「族長様が大好きですから」
 自分の不安の確度など、この程度のものだ。
 本来関係のないことを勝手に結びつけて不安になる。突然エリカに呼び出されたレンを見送る自分の不安が、西の森を見詰める族長の表情を同じく不安なものに見せたのだ。
 族長はもう一度カリンの頭を撫でると、そろそろ戻らねばならぬな、と言う。
 おそらくカリンの不安を解消するために話しかけてくれたのだと思う。カエデにも話すわけにはいかなかった不安の欠片を。
「夕方、戻ってきたレンの報告を聞くことになるだろう。そなたも来ると良い」
 別れ際にそう言った族長に礼を言って、カリンは診療所までの階段を下り始めた。


***
翡翠色の昼下がり篇2

これは長い長い物語の十三番目のお話である▼