物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 21 レンの話
-レン-
夕飯は大抵先に帰宅するカリンが準備することになるが、朝食は早く起きた方が準備することにしている。
レンは日の出の時間に合わせて起きるので季節に応じて起きる時間が変動するのだが、カリンは一年を通じてほぼ一定の時間に起きるため、日の出の早い夏は自然とレンが準備をする割合が高くなる。
子供の頃から実家の食堂の手伝いをして育ったレンにとっては料理は苦ではない。寧ろいい気分転換になった。
とはいっても朝食なので大したものを作るわけではない。パンは大抵食堂で焼いたものを前日に貰ってきてあるので、後はせいぜい卵料理を作ることと、夏は二人の大好きなベリーの季節であるので、ベリーを沢山使ったジュースを作ることくらいだ。
しかしカリンは特にこのベリーのジュースが大好きで、飽きるほど飲んでいるというのに毎回美味しいと言ってくれる。
まだ一緒になる前、アグィーラで化身の皆とカリンの家で夕食を食べた際にもこれを凍らせてデザートにしたほど好きなようだ。
「美味しいなあ。これを飲んでいると、マカニの夏に居るという感じがするの。」
今朝もカリンは幸せそうに笑いながらグラスに口をつける。
「今年の夏ももうすぐ終わりだね。」
「そうね。」
「ヨシュアさん、夏が終わる前に来られて良かったね。」
「うん。」
今日は、義足の調整のために久しぶりにヨシュアがマカニへやって来るのだ。カリンの幸せそうな表情にはその要素も多分に含まれているだろう。
「今夜は久しぶりに食堂で食事をしようか。盛夏の品書きもそろそろ終わりだって、おじさんが昨日言ってた。」
「嬉しい。」
カリンと連れ立って、日が昇ったばかりの誰も居ない訓練場まで歩く。
それぞれ軽く身体を動かしているうちにシヴァが上がってくるので、三人で第五飛行台まで飛び、レンとシヴァは族長の家へ、カリンはそこから歩いて診療所へ向かう。
ホオズキが族長補佐になるまでは、カエデと朝の打ち合わせをするためにカリンも一緒に族長の家へ行っていたのだが、カエデが早い時間から診療所へ顔を出せるようになったので、その行程が必要なくなったのだった。
「カタクリさんの工房はトネリコがひとりで継ぐことで決着したようです。」
シヴァが族長にそう報告するのを聞いて初めて、族長やシヴァががそれを気にしていたことを知った。
「そうか。容易に口出しできることではない故、見守ることしかできなかったが落ち着いて良かった。ポプラの工房が続けられることになり、レンも安心だな。」
「はい。…シヴァさん、情報早いね。僕はまだポプラさんから聞いてなかったよ。」
「スグリ情報だ。」
「ああ…。」
シヴァの影であるところのスグリは、こうしてレンの知らない所でこれまでもシヴァや族長に貢献してきたのだろう。今回は偶々レンも親しいポプラが関係していたから少しだけ関わったが、スグリはきっとレンが何もしなくても、自らポプラの力になったに違いない。
その他、昨日報告された発電用の水車の老朽化の対策などについて簡単に打ち合わせをし、族長の家を後にする。水車の対応は大きな話になりそうだった。
昨年の冬が長く、雪解け水の水量も多かった為、春から夏にかけて水車への負担も大きかったようだ。もう一年くらいは持つかと思ったが次の春までに新しい水車を設置する必要があるという結論に至った。
「あぁ。また外しちゃった。」
ココが大きな声を出して肩を落とす。
「今日の風で十本中七本は上出来だと思うよ。」
「そうかなあ。レンなら全部当てるだろう?」
「当然。それに、僕なら全部的の中心に当てるよ。」
「ほらあ。」
レンはココの反応に笑って見せたが、ココがこのところ大きく上達したのは事実だった。以前は風の吹く日は全く駄目だったのだが、最近は多少の風には影響されない。
「ココの次の課題はね、一本外した後に動揺して立て続けに外すことだ。集中力が途切れる。実戦ではそれは命取りだ。寧ろ外した後は次の矢を素早く番えて正確に的を射抜くことが肝心だよ。」
「難しいよ…。」
「解ってる。でも、ココが上達してるから言ってるんだ。」
「本当?」
「本当だよ。」
「じゃあ頑張る。」
見張りの戦士が大声でレンを呼ぶ。ヨシュアが到着したのだろう。
「ココ、僕は今日はこれで上がりだ。僕の代わりにセージのことを見てあげてくれるかな。」
「僕が?」
「そう。ココが一番セージの気持ちが分かると思うから適任だよ。」
「分かった。」
未だ見習いではあるがセージが正式に戦士に着任して、ココは一番下ではなくなった。そのことも、ココを真剣に訓練に向かわせる一因になっているように思う。黒鳥病のこともあり、レンは長らくずっと最年少戦士だったからその気持ちはよく理解できた。
「ヨシュアさん来た?」
「ああ、さっきイカルの滝の辺りを通過したところだ。先にカリンにも知らせてきた。」
「有難う。じゃあ僕は族長の家で待っていようかな。」
知らせに来た見張りの戦士に礼を言い、シヴァに一声かけてから族長の家へ飛ぶ。
きっとカリンは今頃、村の入口までの階段を一気に駆け下りているだろう。
族長への挨拶を済ませ、ポプラの工房までの道程を三人で歩く。
途中で出会う村人たちは皆ヨシュアの姿を見て挨拶をしに寄ってくるので中々先へ進まないが、それもまたいい光景だった。
漸く工房へ辿り着き引き戸を開けると、ポプラはいつものように作業台に向かっていた。
「ああ、来たか。ヨシュアさん、お久しぶりです。」
「お久しぶりです。また世話になります。」
「ヨシュアさんならいつでも歓迎ですよ。」
扱うものは違うが、職人気質が似通っている為気が合うようで、二人の間にはレンには分からない信頼感のようなものが感じられた。それはレンが翼技師であるポプラに向ける信頼とも、義父であるヨシュアに向ける信頼とも、少し種類が異なるもののように思える。
明日からヨシュアは、マカニに滞在する五日間の間毎日この工房へ通うことになるのだが、今日は挨拶のみである。挨拶を終えて去ろうとすると、ポプラはレンを呼び止め、工房の後継者問題が解決したことを教えてくれた。
「良かったね。僕もほっとしたよ。これで僕の翼も安泰だ。」
「はは。まあ、これからも精進するさ。」
「お互いにね。」
ミントとスミレは早めに店を閉めて、五人でゆっくりと食事をする時間をとってくれた。
「ごめんなさいね。料理は余り物なのだけれど。」
「余り物と言ってもこの食堂で出しているものだ。十分過ぎる程のご馳走ですよ。」
食堂のテラス席に座り葡萄酒で乾杯をする。既に日は暮れているが、月の明るい夜だった。
テーブルの真ん中に置かれた角灯に照らされた五人の顔も、皆一様に明るい。
この中の誰一人血が繋がっていないなんて。
レンは家族で集まる度に思う台詞を今日も一人心の中で呟いた。
「この夏は僕たちもあまりここに来られなかったから、色々食べられて嬉しいよ。」
「レンは忙しそうだったからな。」
「族長に新しいことを習ってるんだ。」
「そうか。楽しいか?」
「楽しいよ。」
「それは何よりだ。」
こんな時、ミントもスミレも、レンが話さない限り内容には深く踏み込んでこない。その気遣いを、いつも有難く思う。おかげでレンは変に大きな隠し事をせずに済むのだ。
「ヨシュアさんは仕事は順調ですか?此処へ来るのにお休みを調整するの、大変だったんじゃあないですか?」
「有難いことに順調にやらせてもらっています。ただまあ、個人の工房だし、偏屈な男だということは知れ渡っているから、受けられないものは受けられないと断るだけで。」
「それで注文が来るんだから大したものだ。」
「いや。だからひたすら有難い。全てカリンのおかげです。」
「ヨシュアさん、またそんなこと言って。ヨシュアさんの実力だわ。愛用している私が言うのだから間違いない。」
「ははは。身内の贔屓目だとしても嬉しいよ。…しかし、相変わらず此処のフリットは美味い。どうしたらこんなに衣が軽くなるんだろう。」
「ふふ。意外と簡単なんですよ。小麦粉と麦酒しか使っていないの。」
「へぇ。そりゃすごい。」
「配合にちょっとコツがあって、あとは、揚げるのにオリーブ油を使うこと。」
「でも私、スミレさんに教えてもらったとおりにやるけれど、どうしてもこんなに軽くはならないわ。あと、素材への火の入り加減も、どうしてもこのとおりにはならないの。」
首を傾げるカリンに、スミレが優しい眼差しを向ける。
「お鍋のせいかもね。此処は大きなお鍋に沢山の油で揚げるでしょう?具材を入れた時に温度が下がらないからだと思うわ。」
「ああ、それは納得。だとしたらこれ以上は無理ね。やっぱり此処に食べに来なくては。」
「そうして頂戴。」
何故かレンの脳裏に、早朝の訓練場でひとりで泣いていた子供の頃のカリンの映像がふと浮かんですぐに消えた。
カリンは、今もあの頃のことを思い出すことはあるのだろうか。
きっかけさえあれば、きっとあっという間に苦しい記憶の中に戻ることはあるだろう。苦しい記憶とはそういうものだ。
レンだって、例えばカリンが不在の間に何かが起これば、カリンを失いそうになった何度かの絶望を、簡単に思い出せそうな気がする。
でもだからこそ、この先何があっても後悔しないように、あの時カリンと一緒になったのだ。そのおかげで今のこの幸せな時間がある。
ヨシュアの居る五日間はあっという間に過ぎた。
出発前、レンは族長の家でヨシュアと別れの挨拶を交わす。カリンは大吊り橋の向こう側まで見送りに出るのだが、そこは二人きりの方が良いだろうと思ったからだ。
ヨシュアは、思いついたように鞄の中から紙切れを取り出すとカリンに向かって差し出した。
「そういえばこの前、カメリアという名のポハクの商人が訪ねてきた。確かイベリス殿の姉上の名ではなかったかと思って取っておいたんだ。」
カリンはその名を聞いて明らかに動揺した。ヨシュアはおそらく敢えて族長の居る前でこの話をカリンにしたのだ。機会ならば他に幾らでもあった。カリンがひとりで悩まずに済むように配慮したに違いない。
「イベリスの姉上がどうしてヨシュアさんの所に?まさか商談?」
黙ってぐるぐると何か考えているのであろうカリンの代わりにレンが尋ねる。
「表向きはそのまさかだったよ。王室御用達の印を狙ったんだろう。城で俺の名を聞いたらしく、ポハクで売る商品を作って欲しいと言われた。俺は馬具以外に興味が無かったんで断ったがな。」
「素直に引き下がったの?数回しか見たことないけど、一筋縄じゃ行かない感じの人だったよ。」
「これまた表向きは素直に引き下がって、その紙と不敵な笑みを残して帰って行った。」
「ヨシュアさんとカリンの関係を知っていたのかな。」
「さあ。」
それまで黙っていたカリンが、知らないはずないわ、と口を挟む。
「お城でヨシュアさんのことを聞いたのでしょう?きっと交易室だわ。交易室の官吏はカメリアさんがイベリスのお姉様であることも、私がカメリアさんを知っていることも知ってるの。ヨシュアさんを紹介する時に、私の名前を出さない筈がない。」
「ふうん。それなら、そのことをヨシュアさんに言わないのも何だか嫌なものを感じるね。」
レンは族長とシヴァの方を振り返った。族長はいつもの穏やか表情のままだが、シヴァは軽く眉根を寄せている。二人とも何か考えていることは間違いない。仕方なくレンは言葉を続けた。
「でもまあ、今此処で何を考えても仕方がないよね。とりあえずカメリアさんが何かしようとしていることは皆で共有したことだし、今後の動きを少し注意して見ておくくらいしかできない。」
「レンの言うとおりだな。」
族長が口を開いたのでレンはほっとする。
「まさか商談を断ったからと言ってヨシュア殿に嫌がらせをすることもあるまい。ただ、いつもと違うことがあったら注意した方が良いだろう。レン、次にポハクへ行く際にパキラの耳にも入れておいてやってくれ。」
「分かりました。」
「カリンを動揺させるためだけにやったという可能性も無きにしも非ずだな。」
ヨシュアはそう言って笑った。カリンはそれ程までに動揺していたのだ。
連れ立って族長の部屋から出てゆく二人を見送ると、族長がシヴァに「どう思う?」と尋ねた。
「…カリンというよりは、パキラ様でしょうね。」
「お前もそう思うか。」
「私はカメリア殿ご本人に直接お会いしたことが無いのでかなり推測ですが、仮令カリンのことを恨んでいたとしても、恨みを晴らす為だけの嫌がらせはしない人物だと思います。やるならもっと自分に利のある方法を選ぶ。」
「私もそう思う。パキラに害が及べば必然的にカリンも気に病む。ただ…今の段階では私も具体的に何をしようとしているかまでは分からない。」
「はい。おそらく、カリンを通じてパキラ様にこのことが知れることも予想しているでしょうし。だからといって、ただ不快にさせるつもりとも思えない。悪事を働くならば普通は目立たない方が良いと思うのですが…。」
「敢えて正面から来た意図が分からぬな。」
「はい。」
「レン、次にポハクへ行くのはいつだ?」
「凡そひと月後です。」
「ひと月か…。遠いな。それを待たずして書簡を送ることにしよう。カエデを遣いに立てる。」
カエデを立てるということは、通常の書簡の流れで書簡使を経由するのではなく、直接パキラに書簡を届けるということだ。族長がこの事態を重く見ていることが見て取れる。
「このことを知ってパキラ様が何か動きを見せるのを待っているとは考えられませんか?だとしたらレンたちがポハクに居る間の方が良いようにも思います。」
シヴァの提言を、族長は少し間を置いて否定した。
「パキラはそのような早計はしまい。時期は心得ている筈だ。」
「確かに仰る通りです。失礼しました。」
「いや。お前の懸念も分かる。」
このような時、レンは明らかに置いてけぼりである。以前はいちいち情けなく思っていたが、最近は諦めがついた。
自分の能力はどうしようもないので、せめて二人の会話の道筋を理解しようと努めることにしている。
「僕たちも、ポハクへ行く時期を少し早めましょうか?」
「今の時点ではそれも必要あるまい。カメリア殿がお前たちがポハクへ行く時期を把握しているようにも思えぬ故、それに合わせて何かをしようとしているとは考えられぬ。ただ、私たちよりパキラの方が事情に明るいやもしれぬから、パキラがそのように望めばそうする旨、書簡に記しておこう。」
「はい。」
またポハクで何かが起こるのか。
先日レフアの生誕祭の時に何か悩んでいるようだったイベリスの顔を思い浮かべる。
「イベリス殿も気苦労が絶えぬな。」
レンの考えを読んだように族長が言う。頷くしかないレンの肩をシヴァがポンと叩いた。
「大きなポハクに対峙するには微力ながら、マカニ族が力になれるよう考えよう。この中ではお前が一番ポハクに詳しいんだ。頼むぞ。」
「うん…。」
金色の馬の件で最初にポハクに関わった時よりはずっと良いのだと思う。あの時は、イベリスの友人として個人で関わるしかなかった。
今では族長とパキラの親交が深まったこともあり、正式に種族間でやりとりができる。
問題も大きくなったが、やはり安心感があった。その中でも、結局自分は自分のできることを精一杯やるしかなかった。
シヴァと共に族長の家を出ると、そろそろ夏の終わりを告げるような陽射しが、それでも明るくマカニの村を照らしていた。

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