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物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 22 最終話 カリンの話

-カリン-

 マカニの夏が終わる。
 夏の終わりとヨシュアがアグィーラに戻ってしまったこと、カメリアの出現とが重なってカリンが沈んでいたからだろうか。レンが非番の日、今日は朝から出かけようと誘われ、イヌワシの岩へ朝日を見にやってきた。
 朝の空気はまだそれほど冷たくはない。心地の良い涼しさといった感じだ。
 最近の夕陽はいけない。夏の終わりの夕陽はどうしてこうも寂しくなるのだろう。心細くて、子供の頃に戻ってしまったようになる。
 それに比べて朝日は、いつだって希望の色だ。
 今日のカリンは、以前ヨシュアが成人の祝いに造ってくれた天河石の髪飾りを着けている。此処から見る朝焼けに、よく似た色合いなのだ。
 雲海とは呼べないくらいの雲が朱鷺色にたなびいている。それもまた美しかった。
 少しずつ青空の割合が多くなって空が複雑な色を形成する。
 カリンはくるりと回ってレンに髪飾りを見せる。
 「うん。今が丁度同じくらいの色合いだね。」
 「ヨシュアさんはこの景色を見たことが無いのに、どうして分かってしまうのかしら。」
 「ヨシュアさんもかつて何処かで物凄くきれいな朝焼けを見たんだよ。それを、カリンに見せたかったんじゃないのかな。」
 「ふふ。そういうの素敵ね。そういうことを考えられるレンもヨシュアさんも大好き。」
 「このままアルカンの森まで飛ぼうか?」
 「そうしたら私は森を癒しにかかってしまうわ。」
 「それもいいんじゃない?カリンが力を使い果たしても、連れて戻ってあげられるよ。」
 春に燃えてしまったアルカンの森の傷はまだ癒えていない。
 これまでにカリンは二度ほどアグィーラとの往復の最中に力を使ったが、漸く半分といったところだろうか。癒した部分の森も芽吹いたばかりの新しい森だ。アルカンの森には大地の化身の恵みがあるので他の森よりは育つのが早いが、それでも元の大きさの森に育つ為には相当な時間がかかるだろう。

 先にアルカンの森の主に挨拶に行こうかと思ったのだが、ふと思いついたことがあり、先に森を癒してしまうことにした。
 「どうして今まで思いつかなかったんだろうね。」
 レンが可笑しそうに笑う。
 森の主の広場の奥には不思議な泉がある。その泉に身を浸すと、身体の疲労が抜けるのだ。森を癒すのに使った力は、そこで回復させればよい。
 これまでの知識や経験を総動員すると、あれはおそらく大地の化身たちの涙の泉だ。アルカンの森は歴代の大地の化身たちの涙で潤っている。それから、森の主の元を訪れる度に主に還す大地の力。
 森の主は、四つの化身の石は森と大地の化身の力の結晶だと言った。そうやって少しずつ、三百年かけて石は育つのだ。
 自分が流した涙も、こうして森を癒すのに使う力も、少しも無駄になっていないのだと思うと、救われるを通り越して感動すら覚える。
 自分は、大きな世界の仕組みの中に居る。
 その仕組みを創ったのは、一体誰…いや、どのような存在なのだろう?
 森の主の結界のすぐ外側でカリンは祈る。
 人間が壊してしまった森が、少しでも早く癒えるように。
 でももしかしたら、人間が壊すことすら、森にとっては当たり前のことなのかもしれない。人間が世界の仕組みそのものを破壊してしまうくらいならば、そこまで人間が壊れてしまう前に多少森が燃やされることくらい、流れの一部なのだと。
 自然と涙が溢れた。
 哀しみの涙ではない。感動の涙だ。
 涙は、カリンの大地の力を加速させる。
 涙を触媒に、瞬く間に周囲に新たな命が芽吹いて行った。
 「壮観だね。でも、僕が泉まで抱えて行かなきゃならないくらいまで力を使わないでよね。」

 「ほっほっほ。カリンよ、今日は随分派手にやったなあ。」
 「うふふ。主様にはやはりお見通しなのね。」
 「先に泉へ行っておいで。」
 「はい。」
 泉で身体を清め、サルビアとアイリスの像に祈りを捧げる。数年前は真新しかったアイリスの象徴である鳥の像が、今では随分と苔生こけむしている。それだけの時間、サルビアとアイリスが共に居られた証だ。そしてそれは、カリンとレンがマカニで一緒に暮らしている時間とほぼ同じだった。
 大地の化身の多くが、このアルカンの森に戻ってきてその生を終えるのだという。それでもこのように女神像の形で残っているのはサルビアだけだった。後は皆土へ還ったのだろうか。サルビアはきっと、此処でこうしてアイリスのことを待っていたのだろう。一緒になることができて本当に良かった。
 「何だか今日はとても涙腺が弱いみたいなの。」
 森を癒して涙し、サルビアとアイリスに祈りながらも涙が溢れた。そして今、こうして森の主の幹を抱きながら、カリンの眼からは再び涙が溢れてきた。
 「森にとっては有難い慈雨じゃなあ。」
 「哀しい涙ではないのよ。」
 「それならばなお良い。」
 「主様はいつでも優しいのね。」
 「森はいつでも同じように在るだけじゃ。」
 「それがいいの。…族長様にも主様みたいな森が在ればいいのに。」
 「あの男にはあの男の場所が在るのじゃろうよ。」
 「そうなのかしら。」
 「きっとな。」
 「主様がそう言われるならきっとそうなのね。」
 モミジのことを言っているのだろうか。それならばいいとカリンは思う。
 ヤナギの葬儀の日、族長はいつもと変わらぬ表情でじっとヤナギの墓を見詰めていた。その静けさと時間の長さにカリンは胸が詰まったのだ。ヤナギはカリンが族長に出逢うずっと前から族長の傍に居た。おそらく一番近くに。
 カリンは決してヤナギの代わりにはなれない。
 自分にとって族長は族長だからだ。族長にとって、自分は村人のひとりだからだ。それはきっと、族長が”族長”でなくなったとしても変わらないだろう。かつて族長であった人として。族長はもう、死ぬまで”族長”なのだ。
 カリンはこの森に居る時には種族も性別も職業も、これまで生きてきた経緯も関係なくただのカリンで居られる。だからこんなにも赦されている感じがして、こんなにも落ち着くのだった。
 何かを捨てる必要も始める必要もやり直す必要もない。いつだってただ自分として存在しているだけ。

 「レン、今日は有難う。」
 イヌワシの岩で少し欠け始めた月を見上げたままカリンは言った。
 結局今日は一日レンを付き合わせてしまった。
 夕陽と共にマカニへ戻り、その足で食堂へ行った。食事をした後、再びイヌワシの岩へ戻ってきたのだ。
 「どういたしまして。イヌワシの岩の朝日と夕陽と月、一日で制覇するのは実は初めてじゃないかな?」
 「多分ね。」
 「元気出た?」
 「うん、出た。…なんというか、自分で思っていたよりずっと元気がなかったみたい。」
 「それなら良かった。」
 「あのね、でもこれはある意味良いことだと思うの。」
 「どういう意味?」
 「マカニの夏を惜しむことができるのは、今自分がマカニに居るから。」
 「うん。」
 「ヨシュアさんが去ってしまう寂しさも同じ。自分がマカニ居るからだし、ヨシュアさんという大切な人ができたから。」
 「そうだね。…カメリアさんのことを気に病むのも似たような理由だ。」
 「そう。大切なものが沢山できたからなのだわ。」
 「僕は今日久しぶりに奥の泉へ行ったんだけど、アイリスさんとサルビアさんの像を見て、色々思うところがあったよ。」
 ああ、レンも同じようなことを考えていたのだ。カリンのように涙を流しはしなかったけれど。
 『大切なものができることは苦しい。しかしそれは、苦しさを含んだ上での幸せなのだ。』
 族長に教わったこの言葉の意味は、年々重みを増してゆく。
 族長がこの言葉をレンに伝えた本当の意味合いを理解するのに、自分たちはあとどのくらいの年月を費やすのだろう。
 「そういえば昨日カエデさんがポハクに行ったようだけれど、今日は私が出かけてしまったから、話を聞く機会が無かったな。」
 「カエデさん、昨日は割と遅く戻って来たよ。僕たちが族長の家を出るのと入れ替わりだったから、僕もまだ話を聞いていないんだ。」
 「イベリスが悲しい思いをしないといいね。」
 「うん。でも、イベリスもきっと同じだ。」
 「え?」
 「以前のイベリスだったら、カメリアさんが何しようが平気だったと思うんだよね。でも、今はパキラ様との繋がりが強くなったから、その分影響を受けるんだと思う。」
 「そうだね。」
 レフアもローゼルも、そしてルクリアも同じだ。それぞれ大切なものが増えて、守るものも増えて、きっと苦しいこともあるだろうけれど、それでも幸せそうだった。
 昨日、アグィーラの医局から書簡を受け取った。エリカと直接取引をしないよう念押しする書簡だ。そこにはワイの医院問題の現状が説明されてあった。
 言わずもがな、医師になるにも薬師になるにも国の試験に合格しなければならない。そういう意味では、ワイの医院に携わる者の中で正式に医師と呼べるのはシレネを入れて僅か四名。薬師に至っては医師と兼任で三名である。後は、元雨乞いの女たちを総動員した看護師たち。それだけで医院を名乗らせるわけにはいかない。最低でも十名の医師を準備せよというのが議会が出した結論だ。
 どうやらこれまで特に診療所と医院の間に明確な規定はなかったのだが、今回大急ぎでそれを作ったようだ。女王を認める法律を作るのにはあんなに時間を要したのに、今回のこの速さは異例である。
 しかし勿論エリカもその結論に黙って屈しているわけではなく、族長補佐であるシレネを通じて城の医師に勧誘を行っているらしい。シレネ同様、現在の処遇に不満を持つ者を狙っているのだろう。
 レフアの生誕祭の時、シレネがやたらと医局の人間と話をしていたのは、単に旧知の医師たちへの挨拶回りではなかったのだ。
 ツツジのことだ。カリンにこのような書簡を寄こすくらいだから、既にそちらの手当にも乗り出しているだろう。エリカとツツジ、どちらの対応が一枚上手なのか、今の時点では全く予想がつかなかった。
 大切な人ができると同時に、関わる問題も多くなり、関わる問題が増えれば増える程、それらは複雑に絡まり合ってゆく。
 今思えば闇の浄化は何と単純な構造だったのか。
 三百年ごとに闇が溢れ、それを四人の化身が四つの石で浄化する。
 人間の抱える心の闇の方が余程複雑だ。
 カリンたちの代の闇の浄化を複雑にしていたのは明らかに人の心の闇だった。もしかするとその辺りに、あの闇の謎を解く鍵が隠されているのかもしれない。
 魔物とは何なのか、三百年ごとに現れる闇とは何なのか。
 それはカリンが解くべき謎ではないのかもしれない。古代から脈々と受け継がれてきたしきたり。その通りにしておけば表面上は平和に歴史は流れる。
 普通に行けば昔と違って人柱は立たずにすむのだ。闇の浄化のために人の命は失われない。それでいいのかもしれない。
 けれど、闇の存在を思う度に、カリンの心の中の小さな棘が疼くのだ。
 それは、以前闇に取り込まれた際に植え付けられた、小さな闇の欠片なのだろうか。
 普段は平穏な暮らしに紛れて、存在すら忘れているその小さな棘は、カリンが人の心の闇に触れる度に疼き、何かを教えようとする。
 今は小さなその疼きが、いつか凶暴な痛みとなってカリンを蝕んでしまう日が来たら…。自分はどうなってしまうのだろうか。

 「大切なものができることは苦しい。」
 レンの声にはっと我に返る。レンの方を見ると、カリンの方を見るのではなく月を見上げていた。
 「自分がしあわせであることを、申し訳なく思いたくはない。」
 レンはひとりごとのように続ける。
 「自分を犠牲にせずに、大切な人のために何ができるのか、考えるしかないよね。」
 そこまで言ってレンは漸くカリンの方を向いた。
 とても静かな笑顔だった。
 緑色の瞳が、それまで見上げていた月の光を蓄えたように淡い光を放っている。
 「レンの瞳は綺麗だなあ。」
 返事をする代わりにカリンがそう言うと、レンは声を出して笑った。
 「何それ。…そういえばさ、カリンが大地を癒す力を使ってる時って、カリンの瞳も緑色なんだよ。僕のより淡い、新緑のような色だけど。」
 「そうなの?知らなかった。」
 「鏡見ながら力を使うことなんてないもんね。」
 「うふふ。そうね。自分のことって意外に知らないことだらけかもしれない。」
 「そうなのかもね。だから仲間が居るんだよ。」
 ああ、そうなのだ。自分には今、沢山の仲間が居る。
 レンやヨシュアたち家族、マカニの仲間たち、レフアとローゼル、化身の皆、居場所が無いと思っていたアグィーラの城の中にさえ、カリンは沢山の仲間を得た。
 大切な人ができた苦しさよりも、有難さの方がずっと大きい。
 そんな当たり前のことをすぐに忘れてしまう自分。
 カリンの間違いを正し、それでもいいと受け入れてくれる仲間たち。
 カリンが完全に闇に呑まれてしまったら、闇ごと自分を切ると約束してくれたローゼルのように、カリンの中の闇が暴走したら、きっと仲間の誰かが、あるいは全員が力を尽くしてくれるだろう。
 その日を恐れて何もできないよりも、仲間を信じて前へ進もう。
 時間は前にしか進まないのだから。


-物語の欠片 朱鷺色の黎明篇- 了

カリンとレンの物語は「金糸雀色かなりあいろひる」に続く


『カリン』by KaoRu IshjDha


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KaoRu IshjDhaさんに絵を描いていただいた経緯はこちら▼