物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 20 ポプラの話
-ポプラ-
実家の工房の扉を開けて中へ入ると、真っ先に大きな翼の骨組みが目に入った。広い庭には他の羽根に混じって黒っぽく染められた羽根が干されていた。おそらく族長の翼だろう。
レンの翼の深い藍色も難しいが、黒が最も難しい色だと言われている。
藍で下染めした後、檳榔樹の実で染め上げるのだが、単純に染めただけではうまく発色しない。鉄を錆びさせて漬けた液体を媒体にして少しずつ染め上げて行くのである。マカニ族の族長だけが身に着けることのできる由緒正しき羽根色だ。
人工の羽根を開発したこの工房だが、族長とシヴァの翼を造る際にはさすがに天然物の羽根を使う。奥の部屋を覗くと、案の定立派な大鷲の羽根が大量に置かれていた。どうりでポプラが採羽師の所へ行っても質の良い羽根が少ないわけである。
頼みもしないのに誰かが呼びに行ったのか、奥から兄のトネリコが出て来た。
「おお来たか。」
「呼ばれたら来るさ。族長の翼、今年更新なのか。」
「そうだ。今年が族長、来年がシヴァだな。それもあって父さんはこの機会に俺に工房を譲ろうと思ったというわけだ。」
「なるほど。確かに滅多にない大きな仕事だ。…骨組み、見たよ。よくできている。」
「最近お前に教わった方法で造ったからな。軽さも丈夫さも過去一番だ。」
「兄さんが自分で?」
「まさか。俺はもう、経営に専念することにしたんだ。目利きは怠らないつもりだが。…あれは、ヤツデとミズキが二人で仕上げた。」
骨組みは木材で造る。大抵は軽さと耐久性と加工のしやすさを兼ね備えた杉や檜が使われるが、ポプラはそこに更にひと工夫する方法を開発した。本物の鳥の骨と同様、ある程度の太さがある部分は中身を空洞にするのだ。
均一に穴を開けなければ脆くなるが、上手くいけばこれまで重さの関係で諦めていた、より強度の高い木材を使用することができる。
ポプラ自身は最近更新したレンの翼で効果を実証済みである。
ヤツデは比較的熟練の技師、ミズキは若い技師だから、兄はおそらくこれを機にこの工房でもその工法を主流にするつもりなのだろう。
そうやってマカニ全体により良い翼が広まるのは、ポプラとしても喜ばしいことだった。
「気持ちは変わらないのか?」
「変わらないよ。俺はひとりで自分の工房を続ける。」
「そうか…残念だ。」
目立つ所に族長の翼を置いていた兄の魂胆が解った。族長の翼を一緒に造りあげないかと誘うつもりだったのだ。確かに族長の翼は魅力的だが、今更他の技師と協力して仕事をする気にはなれない。
「すまないが、俺はひとりが気楽なんだ。勿論困ったことがあればできる限りのことはする。だが、此処へ戻ってくることだけはしたくない。」
「ミズキなどは、お前のことを尊敬しているようだよ。」
「技術の継承も厭わない。でも俺自身は弟子のようなものを採るつもりもないし、採れる立場ではないとも思っている。」
トネリコはくつくつと笑いを漏らした。
「頑固だな。父さんそっくりだ。」
「頑固者と頑固者はそりが合わない。別に父さんのことが嫌いなわけではないが、自分のやり方を押し付けようとするのには辟易してるんだ。」
「分かったよ。もうこの話は蒸し返さないし、俺からも父さんにきちんと話すから、今日は夕飯くらい食べて行かないか?母さんも喜ぶ。」
「元々そのつもりで来た。そういう誘いだっただろう?兄さんの工房継承が決まった祝いだと。」
「そうとでも言わないと寄りつかないからな、お前は。」
ポプラは特に家族を疎ましく思っているわけではない。ただ、子供の頃から、自分だけが団欒の外に居るように感じていた。それも、家族のせいではなく自分のせいなのだと解っている。
頑固で前向きで野心の大きな父。父にも子供にもひたすら優しい母。父に従順で真面目な兄。父を中心に家族は纏まっていた。
ポプラは多分父に似ている。頑固だし前向きではある。要は”野心”の方向性が違ったのだ。方向性が異なる時、ポプラは交わらなければ良いのだと考えているのだが、父にとっては自分の価値観が絶対なのだ。そこだけがどうしても相容れなかった。
”家族団欒”の後でどっと疲れた身体を引きずるようにして、それでもポプラは歩いて階段を上った。
飛んであっという間に自分の家に戻ったら、実家の空気を自分の居る場所へそのまま持って帰ってしまいそうだったからだ。
誰も居ないはずの暗い夜道に、ふと微かな音が聞こえた。
辺りをよく見るとスグリの家の近くだ。なんとなく気になり音の出所を探すと、どうやらスグリの家の裏庭の方向から聞こえてきているように思える。
口笛だ。
それはとても澄んだ音色だった。
何度か訪れたことのある記憶を頼りに裏庭へ回ろうすると、辿り着く前に音が途切れた。スグリの家の軒灯はあるものの、この辺りは家が少ない為、音が無くなると途端に闇が深く感じた。
ポプラは意を決して歩みを進める。と、裏庭に回った瞬間、テラスの手すりにもたれかかったスグリと目が合った。なるほど、さすがに戦士だ。誰かが近づいて来た気配を感じたのだろう。
「何だポプラか。こんな夜中に誰が来たのかと思った。」
「邪魔をしたらしいな。すまない。近くを通ったら音が聞こえたから気になってな。」
「おっと。家の外まで漏れていたか。これは俺も迂闊だった。」
「まあ、この辺りは家が少ない。迷惑ではないだろうよ。」
「足を止めてしまったのなら俺の方こそ悪かったな。」
「いや…。」
「どうした?ついでに呑んでいくか?」
スグリは手にしていたグラスを翳して見せる。
「月見酒…というには細い月だな。」
「口実は何だっていい。星は綺麗だぜ?そこに座ってろよ。準備してくる。」
未だ明確な返事もしていないのに、そう言ってスグリは部屋の中へ消えた。
言われた通りにテラスに置かれた椅子に腰かけて空を見上げると、確かに星が綺麗だった。ポプラは普段早寝早起きで規則正しい生活をしており、夜中に出歩くことは殆ど無い。こうして星を眺めることもあまり無かった。
スグリはそう時間を置かずに新しい葡萄酒の瓶とポプラの分のグラス、そして簡単なつまみを用意して戻ってきた。
「手際が良いな。」
「まあな。」
「人づきあいがいいようには見えないが。」
「お互い様だろう?まあ、自分の為さ。」
スグリはポプラには椅子を勧めておきながら、自分は再び手すりにもたれて立ったままで居る。その状態で軽くグラスを合わせた。
「口笛、上手いんだな。」
「そうか?」
「少なくとも俺はあんな風に綺麗には吹けない。」
「他の奴の口笛聴く機会なんて滅多にないもんな。比べたことはなかった。でも、鳥には負けるぜ?今日は梟も鳴いていなかったから、自分で口笛を吹いてみたというわけだ。」
もっと聴いていたかった、とは言えなかった。
暫く黙って二人で酒を呑む。
スグリとの時間はいつもこんな感じだ。子供の頃からそうだった。一緒に遊んでいるというよりは、近くで遊んでいるという方が正確だったかもしれない。ただ少なくともポプラは、その時間を心地良いと感じていた。不思議なことに、自分の兄と居るよりも、三つ上のスグリと居る方が気が楽だったのだ。
「先日はつい飲み過ぎた。戦士にあるまじき行為だったな。」
「ああ…明日は仕事だろう?長居はしないさ。」
「そういう意味じゃない。お前だって仕事だろう?」
「俺に明確な休みはない。言うなれば毎日が仕事さ。好きでやっているんだがな。」
「頭が下がるよ。お前はこの間も節度を保って呑んでいた。」
「お前ほど強くないのさ。」
「いや、お前の堅実さ全般に。」
「堅実…。」
「そう言われるの、嫌か?」
「そうでもない。…今、実家に行った帰りなんだ。」
「そうか。おつかれ…というのも変か。」
「いや、疲れた。」
ふ、と互いに半端な笑いを漏らす。
スグリも実家が得意でないことをポプラは何となく察している。だから家族のことを話題にすることは滅多に無かった。
「後継者問題は落ち着いたのか?」
「ああ、漸く諦めてくれたらしい。」
「そりゃ良かった。」
スグリは改めて二人分のグラスを満たし、乾杯、とグラスを傾けた。ポプラは素直に礼を言う。此処へ来る前よりも随分と気が楽になっていることに気がつき、その分の礼も密かに込めた。
「俺も漸く諦めがついた。」
スグリが空を見上げて言う。
「諦め?」
「この間言われただろう?お前はいつか村を出て行くと思っていたって。…あれ、半分当たってた。」
「ああ…。」
「出たいとは思っていた。でも、それは結局、父への反抗心でしかなかったということに気がついたんだ。俺の面倒くさがりの原点は父親だ。随分長い反抗期だろう?」
「俺も…似たようなものなのかもしれない。」
「いや、お前のは違うさ。父上に反発したわけではなく、自分のやりたいことを貫いているだけだ。俺は、自分のやりたいことに目を向ける前に、やりたくないことばかりに目を向けていた。」
「やりたいことは確かにそうだ。俺はいい翼が造りたい。」
「だろう?俺は戦士になりたくて戦士になったわけじゃない。父と同じ翼技師になりたくなかったから戦士になったんだ。」
「…今は?」
「あ?」
「今は戦士である自分をどう思っている?」
「ふん…。まあ悪くは無いな。改めて見るとこの村も悪くない。曇っていたのは俺の眼だった。お前と一緒に呑んだ翌日、それに気がついたんだ。多分お前に改めて言われたからだと思う。それに、何となく、子供の頃の自分を思い出した。だから気づけた。感謝してる。」
「俺は何もしてないよ。」
「これは感謝の押し売りなんだから素直に受け取っておけ。」
「可笑しな理屈だな。」
ポプラは笑って立ち上がり、スグリの隣に並んでみた。座って居た場所よりも室内の灯りが目に入らず、星がくっきりと見える。
「…感謝の押し売りなら、ひとつ頼みがある。」
「何だ?」
「さっきの口笛が、もう一度聴きたい。」
「そんなことか。…しかし改めて頼まれると確かに気恥しいな。」
そう言いながらも、スグリは要望に応えて口笛を披露してくれた。
何処か鳥の囀りにも似た音色は、星空を邪魔しない。懐かしさは感じるが物哀し過ぎず心地良い旋律は、少しずつ夜空へ吸い込まれてゆく。それがそのまま星に変わってゆくのではないかという自然さで。
スグリという男の本質が、何となく解ったように思えた。スグリは人間よりも自然に親しみを感じているのかもしれない。
人間は自分の生きる目的を探したがるが、スグリはただ、生きているのかもしれない。その生を、自然な速度で。
そんな人間には、人間界で起こることは全て面倒に感じられるに違いない。
「お前の自作の曲か?」
「何でそう思う?」
「なんとなく。」
「まあ…正解だ。ちなみに気まぐれだ。二度と同じようには吹けない。」
「それでもいいさ。人に聴かせるものではないんだろうし。」
「お前が初めてだ。」
「それは光栄だ。…おかげで気が晴れた。」
「それは良かった。」
「さて。そろそろ帰るとするか。」
「このくらいの晩酌なら気楽でいいな。」
「そうだな。…じゃあまた。」
「ああ、また。」
早い夏の日の出より更に早く起きたポプラは、まだ薄暗い中、染料に浸した羽根を丁寧に干してゆく。夏は特に陽射しが強いので、午前中しか干すことができないのだ。この段階での強い陽射しは、羽根の色合いや強度に影響する。
こんな時間にも拘らず生垣の向こうを人影が横切る気配がして視線を向けると、それは族長だった。
「おはようございます。」
「おはよう。早いな。」
「族長こそ。こんな早い時間に散歩ですか?」
「夏の朝の空気が吸いたくて訓練場まで上がってみたのだ。誰も居ない訓練場も静かで良いな。」
穏やかな笑みを浮かべてそう言われると、それ以上踏み込むことはできない。族長ともなると自由になる時間も少ないのだろう。早朝は貴重な時間に違いない。
「折角のおひとりの時間を邪魔してしまい、申し訳ありませんでした。」
「いや、構わぬ。私の方こそ仕事の邪魔をしたな。」
「いえ。」
「それは、レンの羽根か?」
「一部はレンの羽根、一部は自分のものです。レンの羽根はここから更に藍を重ねていきます。」
「良い藍色だ。」
「有難うございます。…族長の翼、今年更新らしいですね。」
「ああ。そういえば先日骨組みを見たのだが、あれもお前の発案だと聞いた。軽くて良い。」
「そう言っていただけると何よりです。」
結局自分は、いい翼が造りたいのだ。
何度考えてもそこへ戻ってくる。実家の工房では、きっちりと決められた工程で次々と翼を造り上げてゆく。それはそれで一定の品質を担保するにはいいだろう。実際にその翼は価格の割に品質も良い為人気がある。だからこそ、あそこまで工房が大きくなったのだ。
自分とは方向性が違うだけ、ただそれだけだ。
族長の漆黒の翼が遠ざかって行き、やがて薄闇に紛れて見えなくなった。
いつか漆黒の翼を造ってみたい。
使ってもらえなくてもいいのではないか。いや、使ってもらえない翼には意味が無い。
『万が一僕がリーダーや族長になることがあったとしても、僕の翼はポプラさんにお願いしたいな。』
レンが族長になったら…。
当分先の話ではあるが、あり得ない未来ではなかった。
ただし、今自分がやることはその日を夢想することではなく、その日に向けて、日々翼に向き合うことだ。
羽根を干し終え、ついでに庭を掃除し、染料に使う植物の手入れをした後で簡単に朝食を摂る。
陽はすっかり上っていた。レンはもう訓練場に居るかもしれない。
そう思いながら昨日干しておいた別の羽根を作業台の脇に並べる。羽根の染が終わったら次は羽根を接ぐ工程である。
弓矢の矢羽根には鷹の羽が好まれるが、翼にはやはり大振りな鷲の羽根がいい。それでも人が使う大きさの翼を造る為には、それをそのまま使えばいいわけではない。
マカニ族の使う翼の風切羽を一枚作るのに、大鷲の羽根なら五枚から六枚の風切羽が必要だ。鷲の中で最大の扇鷲の羽根でも五枚は必要で、それらを上手く接いで一枚の大きな風切羽に仕上げる。ひとつの翼の中には風切羽や雨覆など様々な役割の羽根があるが、それぞれ羽軸の角度や羽根の傾きが異なるので、上手く特性を生かして使わなければならない。この羽根を造る工程が、翼を造る上で最も難しい工程だ。
ポプラの実家の工房ではこれを人工の羽根で代用している。羽根を接がなくてもいきなり一枚の羽根を造ることができる為、一対の翼を造るのにかかる時間が大幅に削減された。また、羽根を集めて国中を飛び回る採羽師の労力もほとんど要らなくなった。
しかしやはり本物の鳥の羽根には敵わないとポプラは思う。
骨組みや構造、羽根の接ぎ方には幾らでも工夫の余地があったが、羽根そのものは鳥のそれが既に完成された素材だった。
軽さ、丈夫さ、撥水性、空気の孕み方、形状記憶性、どれをとっても他で代用してこれ以上のものを造れる気がしない。
やはり午後にもう一度採羽師の所へ行って、相談して来よう。昨日は族長の翼の更新を知らなかったので単純に良い羽根が集まらないのだと思っていたのだ。量の問題ならば、相談すれば何とかなるかもしれない。
骨組みも、本来は鳥の骨を使うことができれば一番良いのだ。ただしこれは接ぐとどうしても強度が弱くなる。どうすれば人間の大きさに耐えうる骨組みにできるかが課題だった。しかも、羽根は鳥が生きている間にも換羽するが、骨は鳥が死なない限り採取することができない。量を確保するのも難しいだろう。
ポプラは現在染料にも新たな可能性を感じている。レンの翼の更新の際、カリンの建ててくれた質の良い藍であれば染める回数が少なくて済み、その分染料の重さが軽くなったのだ。おそらく他の植物でも同様なのではないだろうか。これはカリンに相談する必要があるかもしれない。
開け放った窓から心地良い風が吹いてくる。
ふと、そこにスグリの口笛を聴いた気がしたが、きっと空耳だろう。それは鳥の声だったかも知れない。
いずれにせよ此処に座って翼と向き合っている時間が大好きだった。
ポプラはこの自分の工房を愛している。失わずに済んで良かった。
改めてレンとスグリに感謝しつつ、ポプラは一枚一枚、丁寧に羽根を接いでいくのだった。
