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物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 7 クコの話

-クコ-

 クコの目の前には、以前マカニの村へ行った時に作成した測量図や写生図などの紙が、テーブル一杯に並んでいた。
 これらを眺めながらマカニの村を思い出し、色々と発想を広げることが、初めてマカニを訪れて以来のクコの楽しみだ。
 図の中には、各種建造物について描き起こしたものの他に、あのマカニ族の翼の図もある。カリンに翼の工房を紹介してもらい、見本の翼を触らせてもらった。見本の翼はあくまでも大きさや重さを合わせるためのための物なので、動力系統は作り込まれていなかった。
 仕組みを解明できなかったのは残念だが、間近であの美しい翼を観察できたことは、この上ない喜びだった。更にクコは、レンの背中に乗って空を飛んだのだ。一度目はマカニの村を一周しただけだったが、二度目に行った際にはアグィーラとマカニの間を往復した。得難い体験である。
 空から見る王国の風景にも感動したが、その滑らかな飛行そのものにも感動した。翼の動きは、小鳥のそれよりも大型の鳥のそれを思い起こさせる。羽ばたきは少なく、上昇気流を上手く利用して帆翔と滑翔を繰り返すのだ。
 翼は、飛んでいる間に両手が自由なことを考えても、手で操縦しているわけではなさそうだ。かといって本物の鳥の翼のように胸の筋肉を使っているとも思えない。可能性としては、足の動きと連動しているのではないかと密かにクコは推測している。しかし、その謎はもう暫く謎のままにしておく方が良いように思えた。
 それよりもあの、自然と融合した素晴らしい村の建築を学ぶことに重きを置きたい。自然と人間の共存。それはまさに、クコが目指している建築の形なのだった。

 「またそれを見ているの?よく飽きないわね。」
 息子を寝かしつけて戻って来た妻のノギクが呆れたような声を出した。
 「飽きる余地がない。眺めれば眺める程素晴らしいのだ。」
 「マカニがそんなに素晴らしい所ならば、私たちも一度連れて行ってもらいたいものだわ。」
 「そうだな。ホップがもう少し大きくなったら皆で行こうではないか。」
 呆れた声を出す割に、ノギクはクコの話を聞きたがる。クコにとっては真面目な研究の話なのだが、ノギクにとっては壮大な夢物語なのだそうだ。出会った頃からそうだった。
 ノギクは現在休職中だが、厨房室付きの下級官吏で、ホップが生まれるまでは、王室の厨房ではなく官吏向けの食堂で働いていた。
 ある日、仕事に夢中になりすぎて昼食の時間を逸し、官吏食堂の前で立ち尽くしていたクコは、ノギクに声を掛けられた。その日は朝食を食べずに官舎を出たので、割と切実に空腹だった。
 事情を話すとノギクは可笑しそうに笑い、まだ少し余りがあるから食べて行きますかと言ってくれた。
 その申し出を有難く受け、空腹半分、早く仕事に戻りたい気持ち半分で、あっという間に食事を平らげたクコに、ノギクは今日と同じように、呆れたような声で言ったのだ。
 「余程お腹が空いていたのですね。それなのに昼食の時間を忘れる程楽しいお仕事って、一体どんなことをなさっているのですか?」
 早く戻りたい気持ちは山々だったが、仕事の話となれば別だ。少しのつもりが、いざ話し始めると、当時取り組んでいた研究について誰かに語りたかった気持も相まって、ついつい熱く語ってしまった。
 また呆れられるかと思ったが、ノギクは楽しそうに話を聞いていた。
 それ以降、城の中で顔を合わせると、時々話をするようになった。大抵はクコの仕事の話である。建築の知識の殆ど無いノギクに自らの研究を説明することは、クコにとっても様々な気付きをもたらしてくれ、とても有意義な時間だった。
 暫くして、一緒にならないかと提案したのはノギクの方だった。クコは誰かと一緒になることなど頭になかったので正直驚いた。ただ、ノギクのことは人間として好きであったし、その頃にはノギクと一緒に過ごす時間は、クコにとっても生活の一部になっていた。
 この提案に食いついたのは、むしろクコの両親の方だった。城の官吏になり、同じ城に勤める者と婚姻することは、アグィーラでは「普通の道」の上位に当たるものだ。安定した「普通の道」をこよなく愛する両親としては、この機を逃したら、やや変わり者の息子が「普通の婚姻」をする機会は永久に失われると思ったらしい。
 そんなわけでクコは、二十五の時にノギクと祝言を挙げ、その翌年にホップが生まれた。今の生活に、何の不満もなかった。
 ノギクは話を聞きたがるだけでクコの研究には口出しをしない上、早く帰って来いとも言わない。ただ、クコ自身やはり家族を持った責任は感じるので、家で仕事はするものの、研究室でなくてはできない仕事があるとき以外は、なるべく早めに帰るようにしていた。
 家で仕事の話をすることが多いおかげで、今年四歳になるホップは、意味も分からずクコの口真似をするようになった。
 クコの居ない昼間に「でんりょくってなに?」とノギクに質問したりするものだから、可笑しくて仕方がないとノギクは笑う。

 クコは今、太陽光を電気に変える仕組みを考えている。少し前に、カリンに相談された「発火の原因になり得る事象」について考えている間に思いついたことだ。
 その後いくつか実験をして、珪石けいせきが使えそうだと分かった。珪石を還元する、つまり炭素と一緒に加熱することで酸化を取り除くと、太陽の光を受けて微量の電気が発生すること突き止めたのだ。これを上手く利用できれば、発電の仕組みを作ることができる。
 太陽光による発電は、今の主力である火力を使った発電よりも、自然を破壊せずに済むだろうし、大掛かりな仕組みが不要なので、現在電気が行き届いていない所にも電力を送ることができるようになるだろう。課題はまだ山積みだが、何としても実現したかった。
 珪石はマグマが急激に冷えて固まった火成岩かせいがんに含まれていることが多い。産出地としてはフエゴ地方が有名だ。ひとまず交易室に対して、一定の量の珪石をフエゴから取り寄せる申請をしなければならない。書類を書くのは苦手だ。何せ建築室の研究内容など理解しない交易室の人間に、その有益性を説明するのに手間取るのだ。費用の面だけが取り沙汰される。
 なんとか作成した書類に建築室長の署名を貰い、それを持って交易室へ行くと、珍しくそこにカリンが居た。
 「おお、来ていたのか。しかし珍しいところで会ったな。」
 「昨日からアグィーラで、明日マカニへ戻ります。貧血の治療に使う鉄剤を作るのに、鉄鉱石が必要なのですが…あ、以前お話ししましたよね?そろそろ無くなるので補充の申請に。いつもは別の方がやってくださるのですが、今、治験の準備でお忙しそうなので代わりに参りました。」
 「お前もフエゴの石か。」
 「お前も、ということはクコさんも?」
 「そう。珪石を知っているか?」
 「ガラスの原料になるあの珪石でしょうか。」
 「さすがに博学だな。そう。その珪石だ。あれが、太陽光発電に使えるかもしれないのだ。」
 「あの時仰っていた案、もうそこまで進んでいるのですね。すごい。」
 「まだ実験の段階だがな。ある程度の感触があるのだ。」
 「クコさんなら必ず辿り着きます。」
 「有難う。マカニは、水力だったか?」
 「はい。谷川の流れが一年を通して豊かなので、水力で発電しています。」
 「前回行った時、そこまでは見なかったな。」
 「谷川まで降りるのは大変ですからね。次回はマカニ族の誰かに翼を借りればよいと思います。大きな水車が壮観ですよ。」
 「また行きたいなあ。そういえば、家族も行きたいと言っていた。」
 「ノギクさん、お元気ですか?」
 カリンは文化局の中級官吏でもあるため、配下の厨房室の人間も知っていた。あまり意識したことはなかったが、確かにノギクとも顔見知りである。
 「ああ。元気にしている。」
 「最近は厨房室との繋がりが薄くなったので、ノギクさんとマカニでお会いするのは、なんだか不思議な気がいたします。いらっしゃるのを楽しみにしていますね。」
 「有難う。こうやってお前と話していると、どちらも実現しそうな気がしてきた。」
 「わたくしも、どちらも楽しみにお待ちしております。さて、わたくしはそろそろ行かなくては。」
 「じゃあ、また。」
 懸念していた申請は、ちょうど玻璃師から珪石の発注が出ていたらしく、それを増量すれば済むとのことで、すんなりと受け入れられた。
 いい風が吹いている。きっとこれは、マカニから吹いてきた風だ。

 家に帰ったクコの目の前には、今日もマカニの測量図が並んでいる。
 昼間カリンに会ったせいか、それらはクコに、昨夜よりもくっきりとした映像をもたらす。
 アルカン湖の畔から、エルビエント山脈をひたすら馬で上るとマカニの大吊り橋へたどり着く。エルビエント山脈の中の、この手前の峰は、マカニ族からは「向かいの峰」あるいは「双子の峰」と呼ばれている。
 大吊り橋を渡ると先ず目に入るのは厩舎だ。この先は馬では進めない。
 その厩舎の脇から階段が始まる。そこが、翼を持たない者が村に入ることができる唯一の入口だった。村全体が山に沿って細長く上に伸びている。
 村の入口付近に宿屋、そこから階段沿いに様々な店舗が並ぶ。少し上るとレンの実家だという食堂があり、最初の平らに切り出された土地が姿を現す。
 平らな土地には手前に住宅地があり、奥の山際には段々畑が広がっていた。基本的にはこの、階段と平らな土地の連続である。
 村の中腹辺りに大きな広場と集会場、そして族長の家があり、カリンの居る診療所もその付近だ。それより先は、畑は見られなくなるが住宅はぽつぽつと続く。その辺りの山際は、東の森と呼ばれる森だった。東の森を過ぎると、あとは一番上の訓練場まで工房が集まる地区が続く。カリンとレンの家は訓練場のすぐ手前辺りにあった。
 訓練場の近くを選ぶのがレンらしい。自分ならばどの辺りに住みたいかと夢想してみたりもする。やはり工房の集まる地区だろうか。土木師たちもその辺りに居を構えている者が多かった。
 しかし、翼を持たないクコたちがそこに住んだとしたら、買い物に降りるのにも苦労するかもしれない。
 村の中には所々に飛行台と呼ばれるものがあり、マカニ族はそこから飛行台と飛行台を飛んで移動したり、村の外へ向かって飛び立って行ったりする。カリンによると、基本的に飛行台以外で離着陸することは禁止されているらしい。ただし、自分の家の敷地内を飛ぶ分には構わないし、勿論緊急時は例外である。子供たちは皆、自分の家の敷地内で飛ぶ練習をするらしい。
 厩舎の隣が第一飛行台。食堂の横が第二飛行台。訓練場の飛行台は第九飛行台とは呼ばれていないが、九番目だった筈だ。
 いや、墓地だというのでクコは行ってはいないが、西の森というものがあるらしく、そこにも飛行台が在る筈であるから、十番目なのかもしれない。
 アグィーラでは石造りと木造とが半々だが、マカニの建物は殆どが木造で、冬場の雪対策として屋根は急な傾斜角度を持っていた。下部は石積みで補強されたところが多かった。窓も木枠の家が多く、金属の使用は扉の蝶番や鍵など最小限で、資材の利用方法がよく考えられている。装飾も少なく、すっきりした見た目の家が多かったが、色にはそれぞれ拘りがあるようで、屋根も壁も様々な色に塗られていたが、空から眺めると、不思議と村全体が調和していた。まるでそれは、マカニ族の翼の色のようだった。
 マカニ族の工芸品はアグィーラでも人気である。元々色彩に対する感覚が鋭い種族なのだろう。
 ノギクは、クコが最初にマカニへ行った際に買って帰った手巾を気に入り、いつも大切に持ち歩いている。
 「今の研究が終わったら、マカニへ行こう。」
 「なあに?突然。昨日はホップがもう少し大きくなったらって…。」
 傍らで料理の本を眺めていたノギクがくすくす笑う。
 「今日、カリンに会ったのだ。」
 「まぁ。元気そうだった?」
 「ああ。カリンも同じことを訊いていた。」
 「ふふふ。先ずはそこだもの。…懐かしいわ。本当はカリンの方が位が上だから、”カリン様”って呼ばなければならないのだけれど、お願いだから公式の場以外はカリンって呼んでくださいってお願いされて、だからすっかり友達みたいになってしまった。マカニへ行ってしまったのよね。」
 「その後も二月に一度は来ているだろう?」
 「厨房室には来なくなってしまったから、その後、会う機会はなかったわ。貴方と一緒になったのは、カリンがマカニへ行った後だものね。祝言にも呼べなくて残念だった。」
 「お前とカリンがそこまで仲が良かったとは知らなかった。」
 「貴方は研究以外のことに興味が無さすぎるのよ。そこがいい所でもあるのだけれど。」
 「褒められているのかどうか分からないな。」
 「褒めているのよ。私もお城に居たでしょう?しかも食堂って人が集まる場所なの。色々な人を見たわ。食事をしている時ってどうしても気が緩むから、割と本性みたいなものが見えてしまって、正直辛い時もあった。」
 いつも最短の時間で食事を済ませて食堂を出て行くクコには、想像がつかないことだった。
 「仕事の愚痴をこぼす人も居れば、他人への悪意を漏らす人も居る。ある時仲が良さそうに食事している人が、ある時は仲が悪そうだったり。でも貴方は、いつ話しても仕事の話ばかり、しかも楽しそうに話す。こんな人も居るんだって可笑しくなっちゃった。かといって、私を邪魔そうに扱う訳でなく、紳士的に接してくれたでしょう?いつも目の前のことに一生懸命で、なんか、そういうのっていいと思うのよ。」
 「なるほどなあ。分からなくもないが、そういうものか。とりあえず俺はこのままでいいのだろうか。」
 「いいと思う。」
 「有難う。」
 「どういたしまして。あ、マカニへは連れて行ってね。」
 「勿論だ。今の研究が通ったら、とても大きな話だ。実行部隊はおそらく俺ではない。少し余裕ができると思うのだ。」
 「貴方は作る方は自分でなくてもいいの?貴方が考えたのに?」
 「出来上がっていくのを見るのも勿論好きだが、仕組みを考えている時が一番わくわくするのだ。」
 「なるほどね。それじゃあ、頑張って今の研究をやり遂げて頂戴。」
 「ホップにも、小さいうちにああいうものを見せておいてやりたい気もするのだ。俺の両親は普通が好きな人たちだった。俺に官吏になる以外の選択肢は無かった。世の中には空を飛ぶ人たちも居るのだと知ったら、あの子はどう感じるだろうか。」
 「貴方を見て育ったら、何となくあの子も貴方と同じ道を進みそうだけどね。」
 「自ら望んでそうならば、それでいい。」
 ホップの前だけでなく、自分の目の前にも無数の道が見えるように思えた。クコはほんの少し前まで、官吏の道には限度があり、窮屈なものだと感じていた。城で行う研究の対象には制限があるし、当然予算もある。
 しかしマカニへ行ってから、自分の研究対象そのものに無限の可能性を感じるようになったのだ。自然と人間が上手く共存するための土木建築や動力、資源の活用。そのために、自分がやるべきことはまだまだ沢山あると思った。
 クコは寝る前の儀式として、テーブルに広げられた紙類を丁寧に重ね、文箱に仕舞った。


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