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物語の欠片 朱鷺色の黎明篇 8 レフアの話

-レフア-

 「今日の議題は何?」
 席に着くなりレフアは尋ねる。少しせっかちすぎるかなと自分でも感じた。
 「えー。本日は、二月ふたつき後に控えている陛下の生誕祭の催しについてと、あとは、医局より新薬の治験の申請が上がってきております。それから、また歴史書の再編纂に進捗がありましたので、内容のご確認をお願い致します。」
 新薬とは、おそらく先日カリンが来た際に話していた局所麻酔のことだろう。真新しい議題が無く、ややほっとする。
 特別な予定の無い限り、昼食後の二時限は、各局から上がって来た議題の検討の時間に当てられている。日々様々な議題が上がってくるため、早期の意思決定が必要になることが多い。一日の中で、最も緊張を要される時間だ。
 「先ずは生誕祭について済ませてしまいましょうか。基本的には昨年度と同様でいい?削れるところがあればまだ削りたいのだけれど。」
 王とは、結局のところ、皆に支えられている立場なのだと思う。例えば今レフアの目の前で詳細な議題を詠みあげているこのたった一人が、何らかの嘘をついていれば判断を誤る。そしてそれが即ち国の行く末を決める。
 こんな危うい足場に今自分が立っていられるのは、ひとえに隣にローゼルが居てくれるからだと思っている。特に公の場での口数は少ないけれど、明らかに疑問に思ったことには口を挟んでくれるし、その声に、はっと気がつかされることがある。それが無いということは、とりあえず自分はそんなに誤った判断をしていないのだと思うことができる。
 二人きりの時はこの傾向がより顕著だ。レフアが積極的にローゼルに意見を求めるからでもあり、ローゼルも他の人が居る場よりも口数が多いからでもある。

 「近々私たちも、歴史書に登場することになるのね。」
 会議後のお茶の時間、先程内容を確認したばかりの歴史書の内容を思い浮かべながら、レフアはローゼルに話しかける。お茶をきょうした側近は既に退出しており、部屋には二人きりだ。明るい窓から、心地よい風が入ってくる。
 「初代女王だからな。他の代の王よりも詳しく記載されることになるだろう。」
 「貴方も初代王配よ。でもこれはわたくしの功績ではなく、お父様の功績だわ。」
 「与えられたお役目をきちんと勤め上げているのだから、立派にレフアの功績でもある。」
 「それは、ローゼルが居てくれて、カリンたち化身の仲間が居てくれるからよ。その環境を整えて下さったのもお父様。」
 「陛下は闇を浄化された王でもあられるから、そういう意味でも後世に語り継がれる王になられるだろうな。」
 ローゼルが陛下と呼ぶのは、レフアの父親である現上皇である。
 「歴史って不思議ね。わたくしたちが交わしているこのような会話は決して残らない。私たちの人とりは、単なる事実の羅列の中に埋もれてしまう。そうして、後世の人たちはその事実の羅列の中から、わたくしたちの人とりを想像するのだわ。今再編纂している歴史みたいに、事実が歪められていたら、全く別の人物像が見えてくる。何て危ういのでしょう。」
 「そうだな。司書室は王室に配慮して生々しい表現は控えてくれていたが、六百年前の王と王子は、闇を浄化した英雄から、歴史を歪めた愚王に一転してしまった。自らの欲望のために大地の化身をこの国から消し去り、中央の大地を荒廃させた人物として。」
 「ローゼルならそんなことはしないでしょう?」
 「そんなこととは?」
 「先ず、王子のように自らの欲望のために人を欺いて貶めようとしたりしない。」
 「しない…だろうな。」
 「次に、王のように自らの欲望が叶わないからと、怒りに任せて森を焼いたり誰かを迫害したりしない。そして、それを隠蔽しようとしたりもしない。幾ら権力があったとしても。」
 「しないが、俺は王でも王子でもない。」
 「ええ、それはやはり、わたくしが王で良かったと思っているの。過去の歴史上でも、光の戦士がそのまま王になった記録は無い。戦士に必要な素質と王に必要な素質は当然違うからよね。私が王に相応しいかどうかは別として、ローゼルのような人が王配として傍に居てくれることが、どれだけ王を正しい道に導いてくれるかということ。」
 ローゼルは眉間に皺を寄せて黙り込んだ。今のレフアには、ローゼルが不機嫌なわけではないことが解る。これは真剣に考え込んでいる表情だ。
 皆に守られてばかりいた姫の時代、レフアはローゼルのこの表情が少し怖かった。自分は何か間違ったことを言っただろうかといちいち不安になっていたのだ。考えてみれば、あの頃は周囲の表情を窺ってばかりいた。所作や言葉遣いに対して小言を言う側近は居たが、振る舞いについて面と向かって叱ってくれる人は居なかった。姫である自分に全く自信が持てなかったのだ。
 自信が無いのは王になってからもあまり変わらなかったが、代わりにローゼルのこの表情を頼もしく思うようになった。
 「俺が、民の感覚の持ち主だからだろうな。」
 「民の感覚?」
 「女王が立つことが許されなかった時代、姫しか居ない代の王室に外から入る王は、王としての教育をされた民だった。その時点ですでに民の感覚は失われている。そして王妃となる姫は元々王室の出だ。二人共々民の感覚を持たない。
 俺は王族としての心得は学んだが、王としての教育は受けていない。だから、一般の民としての感覚がそのまま残っている。」
 「民も色々よ。貴方は民の中でも、一流の戦士として心身共に鍛えられた民だから…ああ、そういうことなのね。よく分かったわ。ふふふ。王室でも、戦士道を学んだ方が良いかもしれない。」
 ふっと、ローゼルの口元が緩む。
 最近、笑った顔を見せてくれることも増えたように思う。一時期は契約してでも手に入れたいと思った伴侶としてのローゼルは、少しは自分に気を許してくれているのだろうか。
 六百年前の王を、自分は笑えないとレフアは思う。自分はどうしてもローゼルと一緒になりたかった。その為に、彼の心を任務という契約で縛ろうとしていた。
 そのローゼルが、契約ではなく王配になることを受け入れてくれた時、レフアは、それは愛情ではなく、ローゼルの優しさでもあり、同情なのだと受け止めていた。それでも構わないと思った。それ程迄に、レフアは王になることが心細かったのだ。
 そして、自分のことを本当のところどう思っているのかとローゼルに問うことは、未だにできないでいた。
 ローゼルは嘘をつかない。その答えを真正面から受け止める自信が、長らく持てずにいる。

 「ローゼル、お前は未だにずっと女王陛下の隣でそんな顔をしているのか?」
 アジュガが笑う。ローゼルと同じく優秀な戦士でありながら、物腰の柔らかい義父が、レフアは好きだった。
 自分は王配であるローゼルの父親ではあるが、自分自身は王族ではないからという理由で、一緒に食事をすることをやんわりと拒み続けていたが、最近は誘えば時折、こうして食事を共にしてくれるようになった。
 「そんな顔と言われても、私はこれ以外の顔を持ちません。」
 答えるローゼルは、これは真面目に答えているのだ。
 「アジュガ殿、最近のわたくしは、ローゼルのこの表情がとても頼もしく思えるのですよ。」
 「それならば良いのですが…。」
 「ほう。レフアも頼もしくなったものだ。」
 口を挟んだのはレフアの実の父である。
 「王になって、もうすぐ三年になります。お父様が、少しでも安心してくださると良いのですけれど。」
 「うむ。よくやっていると思う。最近は私もあまり口を挟むことがないであろう?そろそろ兄上の牧場に世話になるのも良いかもしれんな。」
 父親がそう言って笑うと、傍に控えていた古参の側近であるバジルが、とんでもないというような表情をする。
 この父は、冗談のようなことを本気でやってしまうから恐ろしい。
 給仕係が、いつものように上手く会話の合間を縫って皿を取り換えてゆく。
 いったん父が話し始めると、ローゼルもアジュガも話を振られるまでは口を開かない。会話の主導権を握るのは、大抵父親だった。これが王族というものなのだろうか。そうだとすると、自分も知らず知らずのうちに似たようなことをやっているのかもしれない。
 「アジュガ殿、ワイの話をして下さらない?」
 父へのささやかな抵抗を込めてレフアはアジュガに話しかける。
 「ワイの、何をお話ししましょうか。」
 「そうね。アジュガ殿が初めてワイへ行った時に、一番驚いたことは何かしら。」
 「やはり、武器を持たないところでしょうか。私はそもそも、武力を持たないワイの警護のために派遣されたのですから、知識としては知っていましたが、実際に目にすると改めて驚きました。農業が盛んで力仕事も多いので、男性は体格が良い方も沢山いらっしゃるのですが、性格は皆穏やかです。芸術を愛する方も多かったですね。」
 「そうね。城にもワイの画家の描いた絵が多くあります。アジュガ殿は、芸術の方は?」
 「私は全く駄目ですね。若い頃から戦術ばかり学んできましたから。ローゼルも同じです。そう考えると、ローゼルの不愛想もそのせいかもしれませんね。」
 「アジュガ殿が物腰柔らかいのはワイに長くいらしたからかしら。」
 「さあ、どうでしょう。自分では何とも…。」
 「父上は昔からそうでしたよ。」
 ローゼルがぼそりと呟く。
 「そうだったか?」
 「私の記憶している限りは。…だからこそ学者であるカリンの父上とも仲が良かった。」
 「ああ、確かにマロウにも言われたかもしれないな。戦士にしては威圧感が無いと。いいのか悪いのか分からんが。」
 「戦いに面している時の父上は確かに戦士の顔をしています。私は父上程器用ではない。」
 「なるほど。…だそうです。」
 「有難う。大変参考になりました。」
 レフアはくすくすと笑ってみせる。
 今日のローゼルはいつもより口数が多い。
 三年経って漸く、自分たちは馴染み始めているのかもしれない。ローゼルとアジュガも長く離れて暮らしていた。そして、ローゼルとレフアは、一緒になるまでお互い全く違う世界に住んでいた。

 四つある食堂の間の何処かで夕食を摂った後、部屋へ帰る前に中庭を散歩するのが二人の日課だ。しかし時折遠出をする。今日はそんな気分だった。
 レフアが、城門の外まで行きたいというのをローゼルが断った事は無い。正面玄関である南門は人通りが多いので、大抵城の北門から外へ出る。そして城下町の北門を目指す。それでも王と王配の二人連れは目立った。
 最初の内は皆何事かと驚いていたが、回数を重ねるごとに、微笑ましそうに見守ってくれるようになった。
 レフアも、挨拶してくれる人々に気軽に挨拶を返す。
 城門をくぐる際、門番の戦士たちが恭しく最敬礼をする。その間を抜けて門から外に出ると、そこから遠くへ行く事は無い。外側の城門をくぐれば街灯が無くなる。背後に城下町の灯りはあるものの、それだけで、驚く程星が見えるのだ。
 ローゼルは星に詳しかった。戦地や野営の地で夜を過ごさねばならない場合、星は道標になるため、戦術の基本と共に学ぶのだと言う。しかしローゼルは、方角を特定する術だけでなく、星の名前の由来やそこに付随する物語にも精通していて、レフアは実際に星を眺めながらそれらの話を聞くのが大好きだった。
 「本当に詳しいのね。昨年の秋くらいから始めたから、そろそろ星も一巡するのでしょうけど、全部憶えていられるか自信が無いわ。」
 「だから背景にある物語も一緒に憶えたのだ。単純に星図を出されてもさっぱりだったからな。」
 「なるほど。おかげでわたくしは今その恩恵に預かっているという訳ね。…あ、流星よ。この時期に珍しい。」
 ひとつだけ、星が流れた。
 流星が、毎年だいたい同じ時期に流れるのだということもローゼルから教わった。初夏のこの時期に流星を目にすることは珍しい。
 「吉兆か凶兆か…。いにしえの人はいちいちそんなことを考えていたのだろうな。」
 「あら。今の人だって考えるわ。バジルなんて見つける度に大騒ぎしていたもの。お父様はまともに取り合わなかったけれど。」
 「陛下らしい。…さて、そろそろ戻らねば遅くなる。」
 そう言って引き返そうとするローゼルを、レフアは呼び止めた。
 「ねえローゼル。ローゼルは……わたくしが城門の外へ行きたいというのを断ったことが無いわね。」
 流星の力を借りてもなお、自分のことをどう思っているのか、とは、やはり訊けなかった。
 「そうだな。」
 「それは、任務だと思っているから?」
 その問いかけに、ローゼルは薄く笑う。しかしすぐには答えが返って来なかった。それ程長い時間ではなかったが、レフアの胸は波打ち、手には汗が滲む。
 「任務…とは思っていないな。」
 全身の力が抜ける。それだけで、明日の分の力まで使ってしまったようだった。
 「人の期待に応えることは、俺にとって自然なことだ。それが、明らかに身の丈違いであったり、邪悪なことであったりしない限り。」
 邪悪なこと、という言い方がローゼルらしかった。
 「ローゼルは、周囲の期待に応えてここまで来たのよね。」
 若くして仕官し、おごることなく着実に訓練を積み、アグィーラの戦士としての最高の栄誉である光の戦士に選ばれた。それは、ローゼル自身が積み上げて来たものだ。
 生まれながらにして姫であった自分とは違う。
 ローゼルが自分と一緒になってくれたのも、もしかしたらレフアへの同情ではなく、周囲の期待に応えてのことだったのかもしれない。
 「レフアは家族だ。尚更、できるだけ期待には応えたい。」
 「か…ぞく?今、家族って言った?」
 「言ったが…どうかしたか?」
 「いえ、なんだか、家族という言葉を久しぶりに聞いたと思って。」
 「そうか。王族の場合はあまり家族という概念が無いのだろうか。俺は、おかしなことを言ったのだな。」
 「違うわ。嬉しかったの。とても、嬉しかったわ。ローゼルにとって、わたくしは家族なのだと思ったら。」
 「…俺にとっては、間違いなく家族だ。たとえ王と王配であったとしても。」
 「ふふ。今の言葉を、歴史書に残したいくらいだわ。初代王配の名言よ。」
 「それは勘弁してもらいたい。」
 ローゼルは真顔で言う。そして真顔のまま、すっと片手を差し出した。
 レフアはそこに自分の片手を重ね、もう片方の手でドレスの端をつまむと、優雅に一礼する。
 城には沢山の作法がある。仮令たとえそれが「家族」の間柄であったとしてもだ。しかし、ローゼルの言葉を聞いた今、レフアの中でそれらの意味合いが、大きく変わったように思えた。
 自分はやはり、王族の文化にどっぷりと浸かってしまっている。しかし、折角初めての女王になったのだから、王族としての家族の形も、自分らしく創りあげて行けばいいのかもしれない。
 ローゼルとならば、それができる気がした。
 歴史書には決して残らない裏側の物語。しかしそれこそが、自分たちの生きた道程なのだ。


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