初めて撮影交渉をしたときの話
今回は、私がどのようにして身内以外の職人さんに撮影の交渉をしたかのか書こうと思います📷
活動の詳細はこちらからお読み下さい↓
以前の記事では、父の撮影について書かせていただきました。
身内であったために撮影の段取りや日程を決めることは比較的簡単で、緊張することもあまりありませんでした。
しかしこれから先は
全く関わったことのない初対面の人に撮影のお願いをしに自分から出向かなければなりません。
そう思った途端、緊張や不安が止まりませんでした。
待っていても向こうから来ることはなく、
自分から行動しないと何も始まらないことって
こんなにも勇気のあることなんだと改めて気付かされました。
そして父の撮影から一週間後に
初めて見知らぬ職人さんへ撮影を交渉しに足を運びました。
有松絞りとの出会い
愛知県の伝統工芸品といえば
私の中では有松絞りが一番初めに頭に浮かびました。
早速有松絞りについて調べ、体験してみたい気持ちもあったためまずは絞り体験に参加することに。
絞り体験で検索してすぐに出てきたのは
「有松工芸」というお店でした。
店主である濱島正継さんは先祖代々江戸時代から続く絞り屋の7代目で、
ぜひこの方に絞りのお話を聞きたいと思い
すぐに絞り体験の予約を入れました。

有松工芸さんでの絞り染め体験はこちらから↓
いざ有松町へ
2026年1月10日体験当日、初めての土地への訪問で緊張しながらも市営バスを乗り継いで有松町へ到着しました。
マップを見ながらこの道で合ってるのか不安になりつつも
有松町の旧東海通りから南に少し坂を上がった途中に有松工芸さんのお店はありました。

"有松しぼり"と文字の形に絞られた短いのれんのついた扉を開けると、玄関のすぐそばでは何やら液体が別々の鍋に入ってガスコンロでぐつぐつと煮込まれていました。

そして奥から濱島さんが優しい笑顔で迎え入れてくれ、
「寒いでしょう」とストーブをつけてくれました。
その日の体験は私1人で、濱島さんと一対一で進みました。
体験の前に濱島さんは有松絞りの歴史を教えてくれました。
これがなんとも面白い内容で、さらに濱島さんの惹き込まれるような話し方でつい聞き入ってしまいました。
体験自体ももちろん楽しかったのですが
この歴史の話はより面白くて、家族や友達にすぐ話したくなるほどでした。
有松絞りの歴史

《名物有松絞》
有松絞りの始まりは江戸末期、名古屋城が建設される頃にまで遡ります。
また名古屋城と有松絞りには深い繋がりがあり、
建設がなかったら有松絞りも誕生していなかったのではないかと思うほどです。
今では有松町と呼ばれ観光地になるほどの人が集まっていますが、
当時は人ひとり町すらありませんでした。
ところがそこには旧東海道が通っており
名古屋城建設の折、日本中から大名や建築職人らがその道を通るため
尾張藩はこの道に沿って新しい町、新町(あらまち、後に変化し有松)を作り盛り上げようと決め
入植者を募集しました。
移住することに決まった8人は、その町を盛り上げようと色々商売を試してみましたがなかなか上手くいかず。
そんな中、九州から訪れた大名たちが身につけていた藍染(あいぞめ)の着物に入植者の一人・竹田庄九郎が目をつけました。
「これだ」と感じた庄九郎は、身近な手ぬぐいを使って絞り染めを始めたところそれが大ヒット。
旅人たちは土産として買い求め、作っても作っても売れたそうです。

木綿の生地と藍染めに恵まれた土地柄もあり
鳴海・有松は次第に藍染めの名産地として発展していきました。
また現在で愛知県は全国有数の木綿産地であり、
当時藍の仕入れを行っていた西尾市も抹茶で有名になる以前は藍の栽培で栄えていたそうです。
その後時代の変化により
有松絞り染めは何度も衰退の危機に直面してきましたが、職人さんたちはその時々に合わせて新たな技法や商品を生み出しその度に乗り越えてきました。
その結果、有松染の技法は100種類を超え
今でもなお引き継がれています。

継がれていくことの魅力
この話に私は強く惹かれました。
何百年も前の文化や技術、人の営みが
形を変えながら今もなお受け継がれていることに大きなロマンを感じたのです。
そして、伝統とは「変わらないこと」ではなく、
「時代に合わせて変わり続けること」で守られてきたのだと気付かされました。

実際に職人の方々へお話を伺う中で
「染め物だけでは食っていけない時代になった」ということもおっしゃっていました。
弟子を育てようにも給料を払う余裕がなかったり
商品開発しようにもなかなかヒットしなかったりなど厳しい現実問題に直面している様子でした。
そして職人さんたちが技術を継承していくためには
まず伝統工芸そのものの需要を増やす必要があるのではないかと私は感じ、
小売や発信の在り方に強く興味をもつようになりました。
どうすれば伝統は受け継がれていくのか。
どうすれば技術を次世代へ繋げられるのか。
その問いが、今の自分の大きな関心に繋がっています。
そして撮影の交渉へ
お話を聞いて、一通り体験が終わり
濱島さんは温かいお茶とお菓子を出してくれました。
濱島さんの小さい頃からのお話や、少し前まではどんな場所にでも絞りをしている人がいた話など他にも色々お話ししてくださいました。
その中で、自分から撮影の話をし始めるタイミングは何回もありましたが、なかなか勇気が出なくて話し始められませんでした。
そうこうしている内に、解散の流れになってしまいました。
ここで言えなかったらずっと言えないで終わってしまう、
一度やると決めた活動も進まらなくなってしまう
と感じ、やっと撮影の話を切り出すことができました。
有松工芸さんを訪ねる前に、活動内容やその動機など話すべき内容をまとめていたはずなのに
なかなかうまくスラスラと言葉が出ずだんだん不安になっていきましたが、
濱島さんは話を最後まで聞いてくれました。
そのおかげで私も徐々に落ち着いて話せるようになり、最終的に私の活動の思いが伝わったようで
撮影にも快く承諾してくれました。
その体験した日はもうお時間がなかったので別日に撮影となりましたが、
代わりに有松工芸さんの場所から少し坂をくだったところに「糸和 いとわ」という場所があり、
濱島さんは
「そこの若い店主の人に撮影のお願いをしてみなさい、きっと断らないと思うから。」
と背中を押してくれました。
その後すぐにその糸和さんへお邪魔し、撮影させていただくことになったのですが...。
この話の続きはまた別のNoteでご紹介しようと思います。

撮影を承諾してくれただけでなく、別の職人さんを紹介していただけるなんて思ってもみなかったので
勇気を出して伝えて本当に良かったと心の底から思いました。
最後に

濱島さんのお話を聞き、実際に絞り染めの体験を経ることで絞り染めの奥ゆかさを感じることができました。
また、お土産屋などの店頭に並べられているだけでは見えなかった工芸品の値段の裏側が
少しだけ分かったような気がしました。
ただの模様に見えるけれど実はその一つ一つの模様が人の手で絞り上げられているのだとか、
時間が経たないと分からないような生地の味わいだとか、
実はその技術が深い歴史と繋がっていたりだとか、
五感で体験したことでそれらの現実味が帯びてきました。
そして有松絞りだけでなく他の伝統工芸も
日本の誇りとして残し続けていくべきだという思いが強まりました。
この思いを胸に、私も活動を続けていこうと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
有松工芸様、撮影協力いただき重ねて感謝申し上げます。
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