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高学歴・正社員でなければ生きられない社会を終わらせる―学歴と雇用形態に縛られない人生設計へ―【思索のこぼれ話 #41】

🧠思索のこぼれ話 #41

高学歴・正社員でなければ生きられない社会を終わらせる

―学歴と雇用形態に縛られない人生設計へ―


かつての日本では、中学校や高校を卒業した後にそのまま企業や役所に入り、働きながら技能を身につけていくことが珍しくなかった。

もちろん、当時の社会にも長時間労働や男女間格差、企業への過度な従属といった問題はあった。

それでも、特別に高い学歴を持たなくても、何らかの職に就き働き続けることで、住居や家庭、老後までを見通すことのできる道は現在より広く存在していたように思う。

現在では、高校進学がほぼ当然のものとなり、高校卒業が社会へ出るための標準的な教育段階となった。

しかし、その先では大学を卒業し、正社員として一つの企業へ就職しなければ、安定した人生を送れないかのような社会構造が形成されている。

高学歴や正社員という肩書がなければ、普通の人生を歩むことさえ難しい。

この状態を改めなければならない。


「総大卒社会」と現場人材不足のねじれ

少子化によって若年人口が減少しているにもかかわらず、日本では多数の大学などの高等教育機関が存続している。

本来であれば、進学者数の減少に伴って統合や縮小、専門教育機関への転換が進んでもおかしくなかった。

しかし実際には、大学進学率を高めることで多くの高等教育機関が維持されてきた。

その結果、日本社会は次第に「総大卒社会」へ近づいている。

大学で専門的に学びたい人が進学すること自体には、何の問題もない。

問題なのは、大学進学が
より高度な専門性を得るための選択
ではなく、
普通の就職から脱落しないための防衛策
になっていることである。

社会全体が大学卒業を標準とすれば、多くの若者が事務、企画、営業などのいわゆるホワイトカラー職を目指すようになるのは自然である。

その一方で、製造、建設、運輸、整備、保守、介護など、社会を現場で支える仕事では人手不足が深刻化している。

ただし、これは若者が現場の仕事を嫌っているからだけではない。

身体的負担や責任の重さに比べて賃金が低く、勤務時間が不規則で、経験を積んでも待遇が上がりにくい。

現場の仕事がそのような働き方にされてきたことにも、大きな原因がある。

また、現場の処遇が上がらない背景には、企業の意識だけでなく、多重下請けや過度な低価格発注、取引先への負担転嫁などによって現場まで十分な賃金原資が届かない構造もある。

こうした発注・取引構造を改めなければ、人手不足を待遇改善へ結びつけることは難しい。

高卒者を現場へ誘導するだけでは、何も解決しない。

必要なのは、高卒や専門卒で現場の仕事を選んでも、生活を維持し、技能を積み、将来を見通せる処遇を用意することである。


高卒を「未完成な人材」と扱わない

高校教育が社会人になるための標準的な教育段階になった以上、高卒者は「教育が足りない人」ではない。

社会で働き始めるための基礎教育を終えた人
として扱うべきである。

高卒で就職した場合でも、

  • 常識的な労働時間で働ける

  • 生活を維持できる賃金を受け取れる

  • 経験や技能に応じて昇給できる

  • 社会保険や休暇を確保できる

  • 住居や家庭、老後までの見通しを立てられる

という環境が必要になる。

そのうえで、より高度な専門性や資格、賃金、職責を求める人が専門学校、短期大学、大学、大学院へ進む。

本来は、この順序であるべきだ。

高卒では生きていけないから大学へ行くのではない。
高卒でも生活はできるが、さらに専門性や待遇を高めたいから進学する。

高等教育は「普通の人生を得るための最低条件」ではなく、本人が目的を持って選ぶ上積みであるべきだろう。


公務部門が高卒採用の道を示す

この社会構造を変えるには、国や自治体が先頭に立つ必要がある。

かつての国家公務員三種や地方公務員初級に相当する高卒程度の採用枠を拡充する。

一般事務だけでなく、

  • 土木

  • 建築

  • 機械

  • 電気

  • 福祉

  • 防災

  • 施設管理

  • 交通や生活関連業務

など、高卒者や専門卒者が実務経験を積みながら働ける入口を増やすべきである。

ただし、高卒採用者を補助的な仕事に固定してはならない。

経験、技能、資格、勤務実績に応じて、主任、係長、管理職、専門職などへ進める制度が必要になる。

大学を卒業していないという理由だけで、一定以上の職責へ進めない人事制度は見直すべきだ。

また、国や自治体が恒常的な業務を、会計年度任用職員、派遣社員、低価格の外部委託へ過度に置き換えることも改めなければならない。

民間企業に安定雇用を求めながら、公務部門自身が低賃金の不安定雇用へ依存していては説得力を持たない。

公務部門に正規・常勤職員を一定数確保することは、単なる雇用対策ではない。

平時の業務量だけに合わせて人員を切り詰めれば、災害、感染症、制度改正、給付事務、急激な人口変動などが起きた際に、行政組織は容易に対応力を失う。

また、恒常業務を短期雇用や外部委託へ置き換え続ければ、職員の経験や技能が組織に蓄積されず、技術や知識の継承も難しくなる。

正規・常勤職員の採用を拡充することは、高卒者や専門卒者に安定した入口を用意すると同時に、非常時にも行政機能を維持できる組織の冗長性を確保することでもある。

行政組織は、平時に最少人数で動くことだけを効率性と考えるべきではない。


正社員だけが正解の社会でもいけない

一方で、正社員として一つの企業に長く勤める生き方だけを、唯一の正解とする必要もない。

正社員として長く働きたい人もいる。
派遣社員として複数の職場を渡り歩き、さまざまな経験を積みたい人もいる。
契約社員として責任や勤務時間を限定し、私生活を重視しながら穏やかに暮らしたい人もいる。

途中で資格を取りより高い賃金や専門職を目指す人もいれば、育児、介護、病気、加齢などを理由に一時的に仕事の責任を減らしたい人もいる。

いずれも正当な生き方である。

問題なのは、雇用形態を変えるたびにそれまで積み重ねてきた経験や待遇が失われることである。

派遣先が変われば、再び新人として扱われる。
契約社員として何年働いても、ほとんど賃金が上がらない。
正社員を辞めれば社内で積み上げた評価だけでなく、退職後の保障や社会的信用まで大きく低下する。

これでは転職や働き方の変更は自由な選択ではなく、人生を懸けた賭けになってしまう。


保障と経験を「会社」から「個人」へ

必要なのは、正社員の安定性を壊してすべての労働者を不安定にすることではない。

正社員に集中してきた、

  • 昇給

  • 社会保険

  • 教育訓練

  • 退職後の保障

  • 住宅や金融上の信用

  • 昇進や職種転換の機会

といった機能を、他の働き方にも広げることである。

資格、技能、実務経験、職業訓練の履歴は、勤務先が変わっても評価されるべきだ。

派遣先が変わるたびに、経験がゼロへ戻る制度ではいけない。

退職金や企業年金に相当する積立についても、できる限り個人に帰属させ、転職しても持ち運べる仕組みにする。

住宅ローンや賃貸住宅などの審査も「雇用形態」という肩書だけで判断するのではなく、

  • 継続的な所得

  • 職業経験

  • 支払い実績

  • 貯蓄

  • 働き続けてきた履歴

などから、個人の生活能力を評価する方向へ改める必要がある。

ただし、個人の職歴や過去の失敗、病歴までを巨大な信用情報として蓄積し、永久に評価へ反映する制度にしてはならない。

持ち運ぶべきなのは、企業が一方的につけた人物評価ではなく、本人が身につけた技能、資格、経験である。

そのためには各業界や職種において、資格、技能、講習の受講歴、実務経験などを企業横断で証明できる仕組みを整えることも必要である。

しかし、証明制度を作るだけでは十分ではない。

企業側も採用活動において、最終学歴、前職の会社名、正社員としての勤務歴だけを重視する姿勢を改めなければならない。

応募者が実際にどのような仕事を経験し、何を身につけ、何を担当できるのかを確認し、それを採用後の職務や賃金へ適切に反映する必要がある。

派遣や契約社員として積んだ経験を雇用形態が違うという理由だけで低く評価したり、転職のたびに新人と同じ待遇へ戻したりしていては、技能や経験の持ち運びは成立しない。

必要なのは、個人の履歴を一律に点数化することではなく、企業の採用・処遇を肩書中心から実際の能力と経験を確認する仕組みへ変えることである。


現状維持も上を目指すことも選べる社会へ

すべての人が出世や高収入を目指す必要はない。

今の仕事と責任の範囲を維持しながら、穏やかに生活したい人もいる。
一方で、資格取得や転職によってより高い賃金や職責を目指したい人もいる。
また、人生の途中で働き方を縮小し、その後に再び仕事を増やしたい人もいる。

必要なのは、

  • 今の状態を維持する

  • 横方向に別の仕事へ移る

  • 上方向へキャリアアップする

  • 一時的に責任や労働時間を減らす

という選択を、本人が人生の段階に応じて行える社会である。

高卒で働き始めてもよい。
専門学校や大学へ進んでもよい。
正社員として一社に勤めてもよい。
派遣社員として職場を渡り歩いてもよい。
契約社員として責任を限定し、穏やかに暮らしてもよい。

どの経路を選んでも、働いた経験や身につけた技能が失われず、生活を維持しながら次の道へ進める。

そのような社会でなければならない。


再興すべきは「普通の人生が成立する社会」

昭和の高度成長期そのものへ戻ることはできないし、戻るべきでもない。
当時には、長時間労働、男女間格差、企業への過度な従属、転職の難しさなど、多くの問題があった。

しかし、当時の社会が一定程度持っていた、

特別な学歴や突出した能力がなくても、
社会に必要な仕事を続けることで生活を成り立たせ、
人生を終えるまでの見通しを持てる。

という機能は、現代的な形で再構築する必要がある。

高学歴でなければ普通の仕事に就けない。
正社員でなければ人生が安定しない。
一度雇用の主流から外れれば、転職するたびに待遇が下がっていく。

そのような社会では、人は失敗や転職を恐れ、望まない働き方にしがみつかざるを得なくなる。

日本社会の再興とは、株価や企業利益を増やすことだけではない。

高卒でも、専門卒でも、大卒でも。
正社員でも、派遣社員でも、契約社員でも。

社会に必要な仕事を続けることで住居を確保し、家庭を持ち、余暇を楽しみ、老後までの人生を見通せる。
そして、現状を維持することも、別の道へ移ることも、より上を目指すこともできる。

高学歴・正社員でなければ生きられない社会から、どの入口からでも人生を築ける社会へ。

それこそが、日本社会の再興に必要な基盤ではないだろうか。


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