【JAGS 2026】術後せん妄は「好きな音楽」で軽くできるのか:大腿骨近位部骨折後の高齢者に行った看護師主導の音楽介入

高齢者が大腿骨近位部骨折で手術を受けたあと、病室で自分の好きな音楽を聴く。
たったそれだけの介入で、術後せん妄を減らせる可能性がある。
そんな興味深い研究が、2026年7月に『Journal of the American Geriatrics Society(JAGS)』に掲載されました。
論文のタイトルは、
The Impact of Recorded Music on Postoperative Delirium in Older Adults After Hip Fracture Surgery(IPOD)
です。
日本語にすると、
「大腿骨近位部骨折手術後の高齢者における、録音音楽が術後せん妄に与える影響」
となります。
https://agsjournals.onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1111/jgs.70588
この研究では、65歳以上の大腿骨近位部骨折患者に対し、術後5日間、1日2回、30分ずつ、本人が選んだ音楽を聴いてもらいました。その結果、音楽を聴いたグループでは、術後せん妄の発症割合が通常ケア群のおよそ半分になりました。
ただし、対象者数が少なかったため、せん妄の発症そのものについては統計学的に有意な差にはなりませんでした。
一方で、せん妄症状の強さを示すスコアは明らかに低くなり、音楽を聴いた直後には痛みも軽くなっていましたが「音楽を聴けば、せん妄を確実に予防できる」と証明した研究ではありません。しかし、薬を追加せず、大きな設備投資もせず、患者本人の好みに合わせて行える介入として、非常に興味深い結果です。
大腿骨近位部骨折と術後せん妄
大腿骨近位部骨折は、高齢者の生活を大きく変えてしまう代表的な疾患です。手術が無事に終わっても、
歩行能力が低下する
日常生活動作が落ちる
自宅に戻れなくなる
施設入所が必要になる
死亡リスクが高くなる
といった問題が起こります。
そして、その経過をさらに悪化させる重要な合併症が、術後せん妄です。
せん妄とは、急に生じる注意力や認知機能の障害です。
たとえば、
「ここはどこだ」
「家に帰らなければならない」
と混乱したり、点滴を抜こうとしたり、夜間に興奮したりします。
一方で、興奮するのではなく、ぼんやりして反応が乏しくなる低活動型せん妄もあります。後者は見逃されやすいものの、決して軽い状態ではありません。論文では、救急整形外科手術を受けた患者の術後せん妄発症率は約22%とされています。術後せん妄が起こると、合併症や集中治療室への入室、入院期間の延長、自宅以外への退院、死亡などのリスクが高くなります。
患者本人にとってつらいだけではありません。
夜間の見守り、転倒防止、点滴やカテーテルの自己抜去への対応、家族への説明など、看護職員の負担も大きくなります。
高齢患者が増え、看護人材が不足するなかで、術後せん妄は病院全体の運営にも関係する問題です。
せん妄の多くは予防できる可能性がある
せん妄は、単一の原因で起こるわけではありません。
高齢、認知症、フレイル、視力・聴力低下、脱水、感染症、疼痛、睡眠障害、薬剤、手術侵襲、環境変化など、複数の要因が重なって発症します。
高齢者が突然救急車で運ばれ、知らない病院に入院し、強い痛みを抱えたまま手術を受ける。
手術後は点滴、尿道カテーテル、酸素チューブなどを装着され、昼夜を問わず処置や観察が行われる。
眼鏡や補聴器が手元になく、家族にも会えない。←そうか昔は家族が泊まりこんでいたが、あれがあればせん妄が減りそうだな
これだけ条件が重なれば、混乱すること自体が不思議ではありません。
一方で、論文では、術後せん妄の最大40%は予防可能であると紹介されています。
特に有効なのは、薬物療法よりも非薬物的な介入です。
代表的な対策には、
早期離床
適切な疼痛管理
脱水の予防
昼夜リズムの調整
眼鏡や補聴器の使用
不要な点滴や尿道カテーテルの早期抜去
家族との交流
見当識を保つための声かけ
などがあります。
音楽も、そのような非薬物的介入の一つとして注目されています。
なぜ音楽がせん妄に効く可能性があるのか
音楽は単なる娯楽ではありません。
好きな音楽を聴くことで、不安や緊張が和らぎ、自律神経やストレス反応が落ち着く可能性があります。
また、音楽は記憶や感情と強く結びついています。
入院という非日常的な空間のなかで、昔から聴いてきた音楽や、自分の好きな歌手の曲を聴くことは、その人らしさや日常とのつながりを取り戻す手段になります。
さらに、音楽には痛みを軽減する効果も期待されています。
疼痛が強ければ、せん妄のリスクが上がります。
しかし、疼痛を抑えるためにオピオイドを増やせば、それもまた高齢者の意識状態に影響する可能性があります。
音楽によって痛みが少しでも軽くなれば、
疼痛を抑えながら、鎮痛薬の追加を避けられる
という二重のメリットが生じる可能性があります。
過去の研究では、術後患者や集中治療室の患者に対する音楽介入によって、せん妄の相対リスクが約50%低下したとする報告もありました。
ただし、大腿骨近位部骨折患者だけに絞った研究は、まだ十分ではありませんでした。
そこで今回、大腿骨近位部骨折手術後の高齢者に対して、看護師が実施できる録音音楽介入の効果と実行可能性が検証されました。研究の目的は、せん妄の発症率だけでなく、症状の経過、術後疼痛、オピオイド使用量、入院期間まで評価することでした。
どのような研究だったのか
この研究は、オランダ中部にある250床の地域病院で行われました。
研究デザインは、無作為化比較試験ではなく、準実験研究です。
最初に通常ケアを受けた患者を対照群として登録し、そのデータ収集が終わったあとに、音楽介入を受ける患者を登録しました。
対象は、大腿骨近位部骨折の手術を受けた65歳以上の患者です。
最終的な解析対象は、
通常ケア群:38人
音楽介入群:36人
の合計74人でした。
平均年齢は、通常ケア群が81.5歳、音楽介入群が78.7歳でした。
両群とも女性が多く、併存疾患、骨折の種類、手術までの日数、麻酔方法、手術時間、術後合併症などに大きな違いはありませんでした。
ただし、重度の認知症、入院時点ですでにせん妄がある患者、精神疾患や急性神経疾患などによって研究参加への同意が困難な患者は除外されています。
ここは、この研究を解釈するうえで非常に重要です。
実際の大腿骨近位部骨折患者には、認知症のある高齢者が少なくありません。
むしろ認知症のある患者ほど、術後せん妄のリスクが高いと考えられます。
したがって、今回の結果を、認知症のあるすべての高齢者にそのまま当てはめることはできません。
音楽介入の具体的な方法
音楽介入群では、通常のせん妄予防ケアに加えて、録音された音楽を聴いてもらいました。
介入内容は、
1回30分
1日2回
術後5日間
昼の12時から14時
夕方の18時から20時
患者が自分で選んだ音楽
というものです。
患者には、Spotifyが利用できる電子端末と、耳全体を覆うオーバーイヤー型ヘッドホンが渡されました。
看護師が患者の音楽の好みを確認し、それに合ったプレイリストを選びました。
音楽が好みに合わない場合は変更でき、30分間の途中でやめることも可能でした。
また、音楽を聴いている間は邪魔が入らないように、病室のドアを閉め、「中断しないでください」という表示を出しました。
つまり、この介入は単に病室内にBGMを流したのではありません。
患者本人が選んだ音楽を、ヘッドホンで、落ち着いた環境のなかで聴く
という、ある程度個別化された介入でした。
せん妄をどのように評価したのか
せん妄の評価には、Delirium Observation Scale、略してDOSが使われました。

DOSは、看護師が患者の行動を観察して評価する尺度です。
0点から13点までで評価し、点数が高いほど、せん妄を疑う症状が強いことを示します。
この研究では、平均DOSスコアが3点以上の状態が、8時間ごとの勤務帯で3回以上連続した場合を、術後せん妄ありと判定しました。
厳密には、せん妄の正式な診断は医師が行う必要があります。
したがって、この研究で評価されたのは、医師による診断ではなく、看護師の観察尺度に基づく「せん妄の可能性」です。
一方で、DOSは看護現場で繰り返し評価できるため、せん妄の発症だけでなく、時間経過に伴う症状の強さや変動を見るのに適しています。
疼痛は、0を「痛みなし」、10を「想像できる最悪の痛み」とするNumerical Rating Scale、NRSで評価されました。
また、電子カルテから、オキシコドンの使用量と入院日数も調査されました。
結果①:せん妄の発症割合は半分になった
最も注目される結果は、術後せん妄の発症割合です。
通常ケア群では、38人中9人、23.7%に術後せん妄がみられました。
一方、音楽介入群では、36人中4人、11.1%でした。
つまり、23.7%から11.1%へ、およそ半分に低下した
ことになります。
数字だけを見ると、かなり大きな差です。
絶対リスク差は12.6ポイントです。
単純に計算すると、約8人に音楽介入を行えば、1人のせん妄を予防できる可能性があることになります。
しかし、この差のp値は0.155であり、一般的な統計学的有意水準である0.05を下回りませんでした。
したがって、音楽介入によって術後せん妄の発症が減ったと、統計学的に証明されたわけではありません。
対象者が合計74人と少なく、発症した患者も合計13人しかいません。
真の効果があったとしても、それを統計学的に検出するには研究規模が小さかった可能性があります。
また、音楽介入群でせん妄を発症した4人のうち3人には、アルコール多飲歴と離脱症状がありました。
この3人は音楽介入の実施率も低く、0%、18.2%、27.3%でした。
アルコール離脱せん妄は、一般的な術後せん妄とは原因や治療が異なります。
この影響を除けば、結果が変わった可能性もあります。
とはいえ、事前に計画された解析で統計学的有意差が出なかった以上、「音楽でせん妄発症を半減できる」と断定するのは適切ではありません。
ここは冷静に解釈する必要があります。
結果②:せん妄症状の強さは明らかに低かった
せん妄の発症割合には統計学的有意差がありませんでしたが、DOSスコアの経過には明確な差がみられました。
術後期間全体の平均DOSスコアは、
通常ケア群:0.82
音楽介入群:0.32
でした。
差は0.50点で、統計学的に有意でした。
また、術後1日目から5日目までの各日の合計DOSスコアも、音楽介入群で低くなりました。
特に差が目立ったのは術後2日目です。
術後2日目には、日勤、準夜、夜勤のすべての勤務帯で、音楽介入群のDOSスコアが有意に低くなっていました。
これは臨床的にも興味深い点です。
大腿骨手術後のせん妄は、手術直後だけでなく、術後1日目から3日目に発症しやすいとされています。
今回の介入が最も大きな差を示した術後2日目は、まさにせん妄が出現しやすい時期と重なります。
音楽がせん妄そのものを完全に防いだとは言えなくても、
せん妄症状を軽くし、変動を穏やかにした可能性
はあります。
激しく興奮して点滴を抜こうとするせん妄と、少し注意力が落ちる程度の軽いせん妄では、本人への負担も看護負担も大きく異なります。
その意味で、発症の有無だけでなく、症状の強さや経過を評価したことは、この研究の重要な点です。
結果③:音楽を聴いた直後には痛みが軽くなった
通常ケア群と音楽介入群を比較した場合、術後疼痛の平均値には明確な差がありませんでした。
オピオイドであるオキシコドンの使用量にも差はありませんでした。
入院期間も、
通常ケア群:平均5.87日
音楽介入群:平均6.37日
で、有意差はありませんでした。
つまり、音楽介入によって鎮痛薬の使用量が減ったり、早く退院できたりしたわけではありません。
一方、音楽介入群のなかで、音楽を聴く前後の痛みを比較すると、NRSは、
音楽前:平均3.04
音楽後:平均2.13
へ低下しました。
約1点の低下で、統計学的に有意でした。
音楽による鎮痛効果が、少なくとも短時間は生じた可能性があります。
ただし、この結果にも注意が必要です。
音楽の前後を比較しただけで、音楽を聴かずに30分間安静に過ごした場合との比較ではありません。
静かな個室でヘッドホンを着け、誰にも邪魔されず30分休むこと自体が、痛みを軽減した可能性もあります。
また、患者が研究者や看護師の期待を感じて、「少し楽になった」と答える社会的望ましさバイアスも考えられます。
それでも、薬剤を追加せず、30分間の音楽聴取後に痛みが約1点下がったという結果は、臨床的に検討する価値があります。
最大の問題は、音楽を予定どおり実施できなかったこと
この研究で、ある意味もっとも重要な結果は、音楽介入の実施率です。
1日2回、術後5日間という計画でしたが、実際に予定どおり実施された割合は53.1%でした。
つまり、計画された音楽セッションの半分近くが実施されませんでした。
実施されなかった理由は、大きく二つです。
一つは、看護師が実施できなかったこと。
もう一つは、患者が断ったことです。
看護師側の理由としては、業務量の多さがありました。
特に日勤帯では、処置、検査、入退院対応、リハビリ、食事介助などが重なります。
「30分音楽を聴いてもらうだけ」と言っても、
端末とヘッドホンを準備する
患者の好みを確認する
プレイリストを選ぶ
機器を操作する
終了後に回収する
痛みを再評価する
実施記録を残す
という業務が発生します。
患者側では、夕方に拒否が増えていました。
疲れている、面会者が来ている、音楽を聴く気分ではない、といった理由です。
また、術後4日目以降は実施率がさらに低下しました。
病状が安定して退院準備が始まる時期に、1日2回の音楽介入を5日間続けるのは、患者にも看護師にも負担だった可能性があります。
研究者らは、この結果を踏まえ、
術後当日夜から術後3日目まで、昼の12時から14時の間に、1日1回30分
という、より簡単な方法を提案しています。
研究で計画した介入をそのまま広げるのではなく、現場で続けられる形に修正する必要があるということです。
「簡単な介入」ほど、実装は簡単ではない
医療研究では、音楽、運動、会話、食事、睡眠環境の改善などが、「安全で安価な介入」と表現されることがあります。
確かに、薬剤や医療機器に比べれば安価です。
しかし、安価であることと、現場で簡単に実施できることは同じではありません。
音楽そのものは無料に近くても、それを患者ごとに選び、機器を管理し、毎日実施し、記録するためには、人の時間が必要です。
病棟看護師が慢性的に不足している環境では、新しい業務を一つ追加するだけでも、継続は難しくなります。
今回、研究として準備され、看護師への研修やポスター掲示まで行われたにもかかわらず、実施率は53%でした。
この数字は、音楽介入が役に立たないことを示しているのではありません。
むしろ、
効果が期待できる介入であっても、現場のワークフローに組み込めなければ届かない
という、実装科学上の重要な問題を示しています。
この研究の強み
この研究の強みは、特別な音楽療法士や研究スタッフが介入するのではなく、病棟看護師が通常業務のなかで行える方法を検討したことです。
また、研究用に指定された音楽ではなく、患者本人が好きな音楽を選べるようにしました。
音楽の効果は、曲の種類よりも、その音楽が本人にとってどのような意味を持つかに左右される可能性があります。
クラシック音楽を一律に流すのではなく、
若い頃に聴いていた歌
好きな歌手の曲
故郷の民謡
演歌
ジャズ
宗教音楽
など、その人の人生と結びついた音楽を選ぶことが重要です。
この研究では正式な評価項目ではありませんでしたが、看護師からは、患者との会話が深まり、通常のケアを超えた関係が生まれたという感想が聞かれました。
患者からも、幸福感が高まったという反応があったとされています。
音楽の効果は、DOSやNRSといった数値だけでは測りきれない可能性があります。
「この曲、昔よく聴いたんだ」
という会話が生まれるだけでも、見当識や安心感、その人らしさの回復につながるかもしれません。
この研究の限界
一方で、研究結果を解釈する際には、いくつかの重要な限界があります。
無作為化されていない
この研究は無作為化比較試験ではありません。
通常ケア群を先に登録し、その後に音楽介入群を登録しています。
季節、病棟の忙しさ、看護師の経験、ケア体制など、研究期間中の変化が結果に影響した可能性があります。
両群の年齢や併存疾患など、測定された背景因子はおおむね同程度でした。
しかし、測定されていない交絡因子まで同じだったとは限りません。
盲検化できない
患者も看護師も、音楽を聴いているかどうかを知っています。
DOSは看護師による観察尺度です。
音楽介入への期待によって、評価が無意識に影響された可能性があります。
対象者数が少ない
解析対象は74人です。
せん妄発症者は13人しかいません。
せん妄発症率が半分になったにもかかわらず統計学的有意差が出なかったのは、検出力不足の可能性があります。
反対に、小規模研究では偶然によって大きな効果が出ることもあります。
より大規模な多施設研究が必要です。
認知機能が低下した患者が除外された
重度の認知症や研究同意が難しい患者は除外されました。
しかし、実際の臨床現場では、こうした患者こそ術後せん妄のハイリスク群です。
この患者層で音楽が有効か、安全に実施できるかは、まだ分かりません。
実施率が低い
予定された音楽介入の実施率は約53%でした。
介入を十分に受けていない患者が多いため、音楽そのものの効果が過小評価された可能性があります。
一方で、介入を受け入れられる患者だけに効果が出た可能性もあります。
せん妄の正式診断ではない
せん妄はDOSに基づいて判定され、医師による標準化された診断面接で確認されたわけではありません。
そのため、せん妄の診断精度には一定の限界があります。
著者らも、無作為化されていないこと、認知機能が低下した患者を除外したことを主要な限界として挙げています。
この論文を読んでの感想
この論文を読んで、私は「音楽はせん妄予防に効くのか」という問い以上に、病院という場所が高齢者にとって、どれほど非人間的な環境になり得るのかを考えました。
高齢者は大腿骨を骨折し、突然救急搬送され、服を脱がされ、知らない人に囲まれ、痛みを抱えながら手術を受けます。
術後は、身体に何本ものチューブがつき、夜中にも血圧を測られ、採血され、眠れないまま翌朝を迎えます。
病室ではテレビが流れ、ナースコールが鳴り、他の患者の声や医療機器の音が聞こえます。
そのような環境のなかで、「混乱しないでください」と求めること自体に無理があるのかもしれません。
音楽介入の本質は、単に脳に音の刺激を与えることではないと思います。
患者に、
「あなたは何を聴きたいですか」
と尋ねること。
その人の好みを尊重すること。
30分間、処置や業務から少し離れ、その人が自分の世界に戻れる時間をつくること。
そこに意味があるのではないでしょうか。
今回、せん妄の発症割合は23.7%から11.1%に下がりましたが、統計学的有意差はありませんでした。
この結果だけで、音楽を標準治療として一斉導入するのは早いと思います。
しかし、費用が小さく、重い副作用も考えにくく、患者の満足にもつながるのであれば、希望する患者に試す価値は十分にあります。
特に重要なのは、音楽を「業務として聞かせる」のではなく、本人の好みに合わせることです。
病棟の判断で同じヒーリング音楽を全員に流すだけでは、この研究で行われた介入とは異なります。
音楽が嫌いな人、静かに過ごしたい人、音に過敏な人もいます。
実際、この研究でも、音楽による刺激が強すぎると感じて中止した患者がいました。
したがって、音楽は強制するものではなく、選択肢として提示すべきです。
日本社会へのインプリケーション
日本では今後、大腿骨近位部骨折の手術を受ける高齢者がさらに増えていくと考えられます。
一方で、病棟看護師、介護職員の不足は深刻です。
せん妄患者が増えれば、転倒、転落、自己抜去、身体拘束、夜間の見守り、家族対応などが増え、現場の負担はさらに大きくなります。
この状況で必要なのは、せん妄が起きてから鎮静薬で抑えることではありません。
せん妄が起きにくい環境を、最初からつくることです。
音楽介入だけですべてを解決することはできません。
しかし、
眼鏡や補聴器を早く返す
昼間は離床を促す
夜は照明と騒音を減らす
不要なカテーテルを早く抜く
家族との連絡を保つ
好きな音楽を聴く
日付や場所を繰り返し伝える
疼痛を適切に評価する
といった介入を組み合わせれば、せん妄の発症や重症化を減らせる可能性があります。
日本の医療では、新しい薬剤や高額な医療機器には診療報酬が付きやすい一方で、環境調整や丁寧な声かけ、患者の好みに合わせたケアには、十分な評価が付きにくい傾向があります。
しかし、高齢者医療では、こうした「小さなケア」の積み重ねが、その後の機能予後や退院先を左右します。
また、音楽介入をすべて看護師の追加業務にしてはいけません。
今回の研究でも、看護師が実施できなかったことが、介入未実施の大きな原因でした。
日本で導入するなら、
家族に好きな音楽を確認してもらう
入院時にプレイリストを登録する
タブレットやヘッドホンを病棟で標準装備する
看護補助者やボランティアも関与する
電子カルテ上で簡単に選択・記録できるようにする
1日1回、術後3日目までに絞る
など、業務負担を増やさない設計が必要です。
患者本人が普段使っているスマートフォンや音楽配信サービスを活用できれば、新たな設備投資も抑えられます。
さらに、本人が意思表示できるうちに、
「入院したときに聴きたい音楽」
「落ち着く曲」
「嫌いな音や苦手な音楽」
を家族と共有しておくことも、広い意味での事前ケア計画になるかもしれません。
好きな音楽は、その人の人生の記憶そのものです。
医療が高度化し、効率化が求められるほど、患者は「大腿骨近位部骨折の術後患者」「せん妄リスクの高い高齢者」というカテゴリーで扱われやすくなります。
しかし、その人には、その人だけの人生があり、好きな歌があります。
せん妄予防のために音楽を使うことは、単なる低コスト介入ではありません。
高齢者医療のなかに、その人の記憶、感情、好み、人生を持ち込む試みなのだと思います。
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