見出し画像

現代モンゴルのナショナリズムにおけるチンギス・ハーン


歌劇「モンゴル・ハーン」

 2025年10月に、「The Mongol Khan」と題するモンゴル発の演劇が東京と名古屋で上演された。これは、もともとモンゴル国内での上演が好評で、ロンドン、シンガポールでの上演を経て、日本にも上陸したものである。

「The Mongol Khan」(モンゴル・ハーン)は、およそ2000年前のフンヌ(匈奴)時代の王室内での愛憎劇である。厳密にいえば、モンゴル高原という地名の由来になった「モンゴル」を名乗る集団が歴史上に現れるよりも遥か前の時代が舞台となっている。「ハーン(カガン)」という称号が使われていたという記録がない頃の、遊牧王朝の歴史を題材としたフィクションである。
 モンゴル国内では「Tamgagui Tur(印章のない政府)」というタイトルで上演された。モンゴル国外での通りがいいように「The Mongol Khan」というタイトルが使われたのであろう。とはいえ、モンゴル国外でこのタイトルを使ったことは、結果的に極めて意味深いものとなったと言える。これに関しては後述する。
 モンゴルのハーンと言えば、モンゴル国内、国外に関わらず、言わずと知れたチンギス・ハーンである。「モンゴル」という集団を率いて北東アジアの草原地帯で群雄割拠していた遊牧民を統合し、更に勢力を拡大して、ユーラシア大陸にまたがる大帝国の基礎を作った偉大な英雄である。しかしソ連時代、すなわちモンゴル人民共和国時代はチンギス・ハーンを大っぴらに語ることはタブーであった。一言で言ってしまえば、ソ連側が嫌ったからである。
 民主化以降は、チンギス・ハーンに限らず、ロシアからの圧力やロシアに対する忖度は一気に薄れた。現在ではチンギス・ハーンの名はウォッカやビールなど酒類の商品名に使われたり、観光施設や博物館にも使われている。観光施設も博物館も、純粋にチンギス・ハーンだけを扱ったものではない。モンゴルの象徴として「チンギス・ハーン」の名を冠している。
 とはいえ、モンゴル国内でも「何でもかんでもチンギス・ハーンなのか…」と食傷気味の意見も少なくないようだ。それでも、外国人から「モンゴルって結局チンギス・ハーンくらいしかないでしょ?」という扱いをされたら、不愉快な思いをするモンゴル人は多いだろう。
 このように、チンギス・ハーンという唯一無二の存在の名を冠するということは、命名する側の思惑がどうあれ、極めてアンビバレントなものになってしまう。本稿の主題はそこにある。
 しかし、私は歴史や社会学、あるいはモンゴル語やモンゴル文化を専門とする人間ではない。モンゴルに関わった一個人が「観光客」的観察にもどづく雑文としてお読みいただければと思う。

 では「チンギス・ハーン」とナショナリズムをめぐる小さな旅を始めよう。

チンギス・ハーン国際空港

 まずは、モンゴルの空の玄関口である、「チンギス・ハーン」国際空港から旅を始めるのがよさそうだ。国際空港にすでに「チンギス・ハーン」の名が冠されているのだ。

 現在使用されているチンギス・ハーン国際空港は、2021年に開港した新しい空港である。ウランバートル市街地からボクド山を挟んで南側に位置する。この新空港が開港する少し前に、古い空港は「ボヤント・オハー国際空港」という旧名称に戻され、現在は予備空港となっている。

 実は、チンギス・ハーン国際空港の名称に関しては変遷があった。古い空港が旧名称に戻されたというのは、長年ウランバートル唯一の国際空港であったボヤント・オハー国際空港は2005年に「チンギス・ハーン国際空港」に名称変更されたということである。チンギス・ハーンがモンゴル帝国を建国した1206年から数えて、「モンゴル建国800年」の記念事業が2006年に行われるのに合わせたものだった。
 新空港の名称に関しても、さまざまな意見があったようだ。「何でもかんでもチンギス・ハーンかよ」とか「モンゴル語は語彙が豊富なのだから、ほかの名称はなかったのか」という反対意見は当然ながらあった。
 それに対して、「チンギス・ハーンの名前を中国が利用しようとしているから、重要なところにチンギス・ハーンの名前を冠するのは意味がある」という賛成意見もネットで見かけた。ここにモンゴルの英雄を漢民族の英雄にされてはならないというナショナリズムが見受けられる。
 余談だが、新空港の周囲の開発はほとんど進んでおらず、ウランバートル市内から片側3車線の高速道路が整備されているという程度のもので、草原に浮かぶ国際空港という他ではなかなか味わえない趣を、しばらくの間は楽しめそうだ。30年前、私が初めてボヤント・オハー国際空港に降り立った時の「草原しかない」感が思い出される。ただし、新空港内部はそれなりに設備が整っており、各種ショップやATMなどもあるので、30年前のボヤント・オハー国際空港とは全く違っているのは言うまでもない。
 草の海に浮かんでいるからこそ、国際空港に「チンギス・ハーン」の名が冠される意味がある。そういう解釈ができるかもしれない。

「スフバートル広場」と「チンギス・ハーン公園」

 次に、モンゴル国の首都ウランバートルの中心部へ足を運んでみよう。
 そこには、一般的な観光コースにおおむね含まれている「スフバートル広場」という広大な広場がある。

 スフバートル広場の北側には、モンゴル国の政治の中心である政府宮殿(いわゆる政府庁舎)がある。その政府宮殿の正面(南面)には南座する巨大なチンギス・ハーン像があり、スフバートル広場を挟んで南側に「チンギス・ハーン公園」がある。これは、スフバートル広場南端の駐車場だったエリアを公園として整備して2020年にオープンしたものだ。
 ここで面倒な話になるのだが、スフバートル広場は一時的に「チンギス・ハーン広場」(正式には「チンギス・ハーン名称広場」)に変更されていた時期がある。スフバートル広場という名称は共産主義時代の1947年から使われている名称だ。
 この歴史ある広場の名称を、チンギス・ハーン広場と変更する決定が2013年に出され、2016年にその名称変更を無効とする決定が出され、元の名前に戻った。何を言っているのかよくわからないかもしれないが、私もよくわからない。というか調べていないし、調べてもさほど面白い話ではないだろうと思うので深入りしない。
 もし、2016年に名称変更が無効にされなければ、北側からチンギス・ハーン像のある政府宮殿、チンギス・ハーン広場、チンギス・ハーン公園という並びになり、ウランバートルの中心部は施設面でも名称面でも、チンギス・ハーン一色になっていたであろう。しかし、今のところ「スフバートル広場」の名称が使い続けられている。

 なお、Wikipediaの「政府宮殿」のページには、チンギス・ハーン像を中心に建物両端にあるオゴデイ・ハーンとフビライ・ハーンの像の画像も掲載されている。
 ちなみに「ウランバートル」は革命後に、当時「ウルガ ”Өргөө”」と呼ばれていたこの地を首都としたときにつけられた、「赤い英雄」という意味の極めて共産主義色の強い地名で、人名由来ではない。それに対してスフバートル広場は人名由来の名称である。スフバートル広場には、命名の元となった人物であるスフバートルの騎馬像が鎮座している。

 モンゴルの歴史上の人物としてチンギス・ハーンは知られているが、スフバートルの知名度は一気に低下し、物語「スーホーの白い馬」よりもはるかに低いだろう。

 スフバートルはモンゴル人民革命における中心的人物の一人であった。20世紀初頭のモンゴル人民革命における「最初の七人」と呼ばれる貢献者のうち、軍人として評価が高かったのがスフバートルである。そういう人物であっても、モンゴル国外では興味の対象とはなりにくいことは否めない。
 モンゴル国の国民的祭典であるナーダムは、モンゴル人民共和国時代から7月11日の革命記念日に合わせて行われている。民主化以降も革命記念日の重要性は変わっていないので、ナーダムの日も変更していない。現代モンゴルにおいては、革命記念日は独立記念日としての意味合いも強く持っているからだ。(なお、いわゆる独立記念日は12月29日である。辛亥革命により清王朝が崩壊し、モンゴルが独立を宣言した1911年12月29日を「独立回復記念日」としている)
 モンゴルは地理的な条件や歴史的な経緯からロシアや中国と経済的な結びつきが強い。そのため貿易をネタに政治介入される危険性は常にはらんでいる。ただ、ソ連の衛星国という立場に甘んじていた頃と違って、自国の指導者を決めるのが他国の指導者であるという状況にはない。
 「独立回復記念日」は、1911年12月29日の独立宣言は、国際承認が得られなかった。唯一、モンゴルチベット相互承認条約でチベットが承認したが、チベットの独立も国際承認を得られていなかったという事情がある。その意味でも、現在のモンゴル国にとって革命記念日は、社会主義時代以上にモンゴル民族としての独立を記念する日の意味合いが増していると言えるだろう。
 また人民革命は、悲しい歴史ともつながっている。詳細するには筆者の力量が不足していることと、本稿の主旨からは外れるので、ひとつだけ注目点を述べておく。
 「最初の七人」のうち、スフバートルは29歳の若さで、1923年に病死している。ちなみに、モンゴル人民共和国の成立はその翌年1924年である。「最初の七人」のもう一人は、モンゴルにおける大粛清を断行した指導者チョイバルサンである。

 チョイバルサンはもっとも長生きし、スターリンが亡くなる直前までモンゴル人民共和国の最高権力者だった。そして残りの五人はモンゴル人民共和国内の権力闘争に敗れて、粛清により処刑または獄中で命を落としている。
 外国人にとっては、「スフバートル広場」の名前はモンゴルを知る入口にもなるので、使い続けるべきだと私は思っている。スフバートルの騎馬像があり、歴史的な意味合いも大きい。日本人抑留者がスフバートル広場の建設にも関わったという、日本に直接関わる歴史もある。
 それに対して、共産主義色が強いスフバートルより、チンギス・ハーンこそが、モンゴルの中心地の名称としてふさわしいと考えている人もいる。
 経済体制としては資本主義、政治体制としては民主主義となったモンゴルにとって、共産主義時代は負の歴史だと思われるかもしれない。しかし、モンゴルが名実ともに独立国として存在していることに、モンゴル人民共和国の歴史を否定することはできない。
 とすると、チンギス・ハーンとスフバートルのどちらも、モンゴルの歴史において重要人物であることに変わりはなく、優劣はつけがたい。13世紀という遠い時代のことか、20世紀という近い時代のことか、という違いしかなく、どちらもモンゴル民族の歴史的貢献者である。
 余談であるが、モンゴル国の紙幣においても、この二人の偉人が関係しており、より高額の紙幣に使われているチンギス・ハーンに分があるように見える。しかし、そのチンギス・ハーンの肖像画が使われている紙幣は、現在最高額面が20,000トゥグルグになっており、インフレの象徴ともいえる。紙幣の肖像画に過ぎないと言えばそれまでだが、チンギス・ハーンがインフレの象徴であるということは、モンゴル人の想いはなかなか複雑であろう。

 2025年、モンゴルの通貨トゥグルグの発行100周年の年に、額面100,000トゥグルグの記念紙幣が発行された。裏面上部に「人民革命100周年記念1921-2021」と書かれている。
 100,000トゥグルグともなると、インフレ、ここに極まれり、という感じであろうか。ちなみに、紙幣の表はチンギス・ハーンの肖像画が入っているが、裏面はなんと、先述の「最初の七人」の肖像画である。

中央の大きいのがスフバートル、時計回りにボド−、ドグソム、チョイバルサン、ドソル、チャグダルジャブ、ダンザンである

モンゴルのトイレ事情

 さて、チンギス・ハーン公園のことにほとんど触れてこなかったが、公園としてはいい意味で極めて普通である。植栽や噴水が整備され、トイレもある。観光客にとって普通に使えるトイレがあるかどうかは重要だが、近年までモンゴルのトイレ事情は極めて劣悪だった。
 モンゴルでは、草原に出ればそこは「みんなのトイレ」だ。ただし、「みんな」には家畜を含むのだが。そういう状況なので、地方に舗装路とパーキングエリアが整備されていなかった頃の観光ツアーにおいては、トイレ休憩は草原内で適当に車を停めるのでどこでもご自由にどうぞ、という感じだった。
 ウランバートル市内でもトイレを確保することはなかなか大変だった。青年海外協力隊の隊員だった時に、職場の大学でトイレに入ろうとしたら施錠されており、仕方なくアパートまで我慢したり、JICAの事務所へ行ったりしたことは少なからずあった。トイレに入れても、便座がなかったりトイレットペーパーもないことが当たり前で、清掃も行き届いていなかった。さらに破損や故障もざらにあり、直さずに放置されている、というような状況で、30年前のモンゴルでは、トイレ事情は日本との落差は大きかった。それが現在では、市内の公園に公衆トイレが整備されて、ホテルやレストラン、ショップ等のトイレは確実にレベルアップしている。それでもまだまだである、という話は後述する。
 なお、チンギス・ハーン公園のトイレには入っていないので、使用上の問題点がないかどうかは個人的には体験していない。ただ、グーグルの口コミは良好なので、現状は問題ないとみてよいだろう。今後のメンテナンスに関しては未知数だが、偉大なる「チンギス・ハーン」の名を冠しているのだから、そこはそれ、お願いしますね、といったところだろうか。

「チンギス・ハーン博物館」

 政府宮殿の北西側に、2022年に新規オープンした「チンギス・ハーン博物館」がある。
 なお、このチンギス・ハーン博物館の2ブロック南に「モンゴル国立博物館」があり、チンギス・ハーン博物館ができるまでは、モンゴル国の中心的博物館だった。「歴史博物館」を名乗っていたこともあり、モンゴル民族の歴史に関する博物館である。
「チンギス・ハーン博物館」は最新の博物館だけあって、建物のデザインもかつてのようなロシア臭というか共産主義色は全くない。近代的でありながら、なかなか重厚な雰囲気があり、個人的にはとてもいいデザインだと思っている。とはいっても、私自身は建築デザインの趣味はないので、深入りはしない。

チンギスハーン博物館の正面入り口

 また、今後はモンゴルを代表する博物館としての役割も担っており、全般的に気合が入っている。
 チンギス・ハーン博物館の見どころは、何と言っても最上階にある黄金坐像であろう。

チンギスハーン黄金坐像

 チンギス・ハーン黄金座像は博物館の最上階9階に、モンゴル・ゲル様式の特別室「大ハーン宮殿」に鎮座している。面白いことに、博物館の展示物でありながら、このチンギス・ハーン黄金座像の正面では、礼拝ができるようになっている。モンゴル人にとってはチンギス・ハーンは崇拝の対象であるので礼拝する人が多いと、チンギス・ハーン像専属スタッフが解説してくれた。
 そうなのだ。博物館のチンギス・ハーン像には専属スタッフがいるのである。そのスタッフから、神聖なる「宮殿」内に入る際の決まり事が言い渡される。土足厳禁なので、シューズカバーを装着すること。正面中央は礼拝場なので、写真撮影は禁止されていること。記念撮影は左右どちらかに寄って行うこと。
 もちろん、決まり事を言い渡し、守っているかどうか監視するためだけのスタッフではない。この黄金座像の解説もしてくれる。それによると、この像は博物館完成後に設置されたそうで、複数の部品に分けて持ち込まれ、現場で組み立てられたそうだ。
 モンゴルでゲルを建てる際に、入口の扉から入らない大きさの家具類、たとえばベッドや食器棚などは先に置いてから組み立てる。ここのチンギス・ハーン像も先に設置してから宮殿を作ったのかと思ったが、そうではなかったらしい。というのも、モンゴル・ゲルと同様に、像のサイズに比してドアが小さく、周囲の回廊も広くない。一般的に見れば大きなサイズの扉であるがさすがにチンギス・ハーン像が通れるサイズではない。
 とはいうものの、さすがに遊牧民のゲル組み立て方式のやり方ではなかったようだ。
 博物館の展示に関しては、チンギス・ハーンの名を冠するだけあって、かなり充実している。博物館内では展示品の撮影はNGというのが一般的だが、モンゴルでは追加課金で撮影が可能になる。

追加課金の証

 ちなみに追加課金して渡されたこのパスの表には「許可証」とか書かれているわけではない。「博物館のサービスに関するご意見、ご希望を以下のチャンネルからご表明ください。私たちにはみなさんの感想はとても価値があります」などと書かれている。追加課金するくらいのガチ勢の意見は、ぜひ聞きたいということだろうか。
 それはともかく、展示で特徴的なのは、モンゴル語の説明文がキリル文字に加えてモンゴル文字でも併記されていることだろう。

モンゴルのハーンたちの手紙

 2025年1月より、モンゴル国内において、公文書はキリル文字とモンゴル文字による表記が併記されるようになっている。これは、民主化直後に制定された法律の施行が、30年余りの時を経てようやく一歩進んだという事である。
 中華人民共和国内で民族教育が撤廃され、モンゴル民族がモンゴル文字を使用したモンゴル語の教育を受ける機会が奪われており、このままでは近い将来、中国国内でモンゴル語そのものが消滅する可能性が極めて高い。これはモンゴル民族以外の非漢民族においても状況は同じであり、モンゴル人民共和国でかつて行われた「文字改革」によるキリル文字の導入とは全く状況は異なる。
「中華民族」なる妄想を、中華人民共和国のすべての人民に押し付ける、極めて危険な民族弾圧なのだ。そのような状況からして、モンゴル国がモンゴル文字の復興を進める意味は、今まで以上に大きくなっている。 そもそも、縦書きのモンゴル文字の伝統は、チンギス・ハーンから始まっているのだ。1204年にチンギス・ハーンがナイマン王国を攻略したとき、捕虜となったナイマンのウイグル人宰相タタ・トゥンガが文字使用を勧めたことが起源となっている。

 つまり、チンギス・ハーンの偉大さは、モンゴルの統一にはじまる政治、軍事的な成果だけではなく、文字を含めた文化面でも大きな成果を上げたと言える。つまり、チンギス・ハーンをモンゴルの祖として崇拝することと、モンゴル文字復興と使用の促進は、切り離せないものなのだ。

チンギス・ハーン騎馬像複合施設

 少し硬い話になったので、ウランバートルから少し田舎に出て気分転換しよう。
 社会主義時代から保養地としての歴史があるテレルジに行く道中、銀ピカの巨大なチンギス・ハーン騎馬像が姿を見せる。この記事のヘッダー画像がその巨大チンギス・ハーン騎馬像である。日本語にすると今一つピンとこない「複合施設」だが、英語ではComplexである。複数の目的の施設が一つの建物や敷地内にあるものをさす。
 この場合は、展望台も兼ねているチンギス・ハーン騎馬像、騎馬像を支える円形の建物にはショップやレストランが入り、地下は小規模ながら博物館が入っている。
 また周囲は草原地帯であり十分な広さがあるため、屋外で音楽イベントなども行われているようだ。
 さらに周囲にはツーリストキャンプが点在しており、このチンギス・ハーン騎馬像を中心とした観光地として開発が続けられている。
 この複合施設の建物に入ってから目に付くのは複数のショップである。回廊に絵画が飾られているが、展示品ではなく売り物である。1~2階は吹き抜けになっており、2階の回廊はバーやカフェ、レストランである。2階からさらに階段かエレベーターで最上階に上がると、騎馬像の鞍部に出られ、そこが極めて狭い展望台になっている。正直言って特に眺めも良くはない。
「景色はどうでもいいから、偉大なるチンギス・ハーンを確と観よ」とでも言いたげな構造である。

股間部にある扉を出て階段を登ると狭い展望台に出られる

 とにかく大きいので、建物1階にある靴も巨大に作られており、これも一応みものの一つになっている。

像の大きさに合わせたのかもしれないサイズの靴

 同行した友人の運転手氏も、「イマイチだね。知ってたけど」という反応だった。
 実は、このチンギスハーン騎馬像には十数年前に、運転手氏と一緒に来たことがあったのだ。その時はまだ「オープン前」だった。のだが、なぜか中に入って騎馬像の展望台まで登ることができた。
 ただ、オープン前というのが納得できたのは、建物の中には展示やショップなどは全くできていなかった。なぜ入れたのか未だに謎である。ちなみに運転手氏にその時のことを改めて聞いてみたが、「なんで入れたんだろうね。よくわかんないけど、ともかく入れたってことだよね」という、極めてモンゴル人らしい大雑把な返答が返ってきて安心した。当時は、駐車場も舗装されておらず、門もなかった。

画像中央に駐車場が、その先に門が見える

 私が訪れた8月下旬は、モンゴルの観光シーズンはおおむね終わりである。そのため、この観光施設も、もう終わりという雰囲気が溢れていた。
 それは、トイレに現れていた。屋外にもトイレがあるとのことで入ろうとしたのだが、施錠されていた。仕方ないので、入場料を払って中に入って用を足すことにした。
 当然ながら男子トイレしか見ていないのだが、小便器は軒並み故障で使用禁止で使えたのは1個のみ。個室も故障で使用できないのがほとんどだった。チンギス・ハーンの足元でもこのような状況である。
 運転手氏曰く「外国人観光客を増やそうっていうなら、こういう施設のトイレはちゃんとしとかないとだめだよね。日本はその点、ちゃんとしてた」 
 詳細は触れないが、運転手氏は2回日本に来たことがあり、その2回とも私が常に同行していた。その時は特にはなしをしなかったが、とにかくどこに行ってもトイレがきれいだったのが印象に残っていたそうだ。
 先述のチンギス・ハーン公園のトイレに関して、現状はよさげだけど、今後のメンテナンスはどうかという懸念は、このチンギス・ハーン騎馬像複合施設のトイレの現状を見てしまったことに起因している。先ほどと同様、まあ、そこはなんとかお願いしますね、とだけ記しておこう。
 この施設の特徴は、極めて商売っ気にあふれていることだろう。各種土産物のショップ、レストラン、バー、コーヒーショップの他に、美術品も飾られている。

アートギャラリーの看板があるが、値札付きの売り物がかなりある

 この施設を見ていた時には、ナショナリズムよりも、資本主義を強く感じだ。「チンギス・ハーン」は極めて換金制の高い記号なのではないか、と。
 この施設は、地下が博物館になっているが、展示品もかなり少なく、「チンギス・ハーン博物館」の2割くらいの見応えしかない。その分、売り物は充実しているのだ。
 まあ、ガチの博物館はウランバートルにあるので、田舎に来たんだから、堅いこと言わずにのんびりしてお金使ってよ、ということなのかもしれない。

「モンゴル・ハーン」内モンゴル公演キャンセル問題

 高市首相の「台湾有事」関連の発言に端を発して、中国では日本関連の行事のキャンセルが相次いだことは記憶に新しい。また、日本への渡航自粛を呼びかけるなど、中国による「日本キャンセル」は続いている。
 この件は、首相の発言が問題とされたが、歌劇「モンゴル・ハーン」に関しても中国公演が突然キャンセルされたことをご存知だろうか。

 残念ながら、日本語のネット記事などはないので、ご興味がある方でモンゴル語が読める方、あるいはGoogle翻訳などを駆使してでも読んでみたい方は、事の経緯が詳しく書かれているので、参照していただきたい。
 簡単にまとめると、4日間予定されていた内モンゴル・オルドスでの公演が、初日の開演30分前になって、「停電のため」という理由でキャンセルされた。そして、残りの公演予定も全く消化されず、演者、スタッフたちが追放されるようにオルドスをあとにし、モンゴルへ帰国して行ったのである。
 民間交流ないしは文化交流は、国の政治とは無関係であるべきだというのは、他国では通用しても、中華人民共和国に関しては、全く通用しない。
「日中友好」が身の危険につながることすらある。

 ビジネスも極めてハイリスクである。

 無論、順調にビジネスをされている方や、問題なく日中友好に邁進されている方も多くいることを否定するものではない。
 しかし、中華人民共和国という国の厄介さは、習近平体制になってからのものではなく、これはもう漢民族特有のものだと考えておく必要がある。
 内モンゴルのモンゴル人、チベット人、ウイグル人などは我々国外にいる日本人には到底理解できないほど緊張を強いられる日常を送っている。
 そしてそれは、中華人民共和国の北隣で、さらに北にはロシアというこれまた極めて厄介な大国と国境を接しているモンゴル国も同じことである。
 比較的近い歴史で言えば、1911〜12年の辛亥革命以降は特に、モンゴル民族はロシアと中国(中華民国〜中華人民共和国)の横暴によって分断を余儀なくされ、常に両大国の綱引きに翻弄されてきた。モンゴル人民共和国成立後も、ずっとソ連の「衛星国」という名の傀儡国家の地位に甘んじていた。
 だから民主化により「モンゴル国」になったことは、本当の意味での独立を勝ち取ったという極めて重要な意味を持っている。もちろん、ロシアとの関係が切れたわけではなく、経済面、外交面でも重要な隣国であることに変わりはない。かつてのように、自国のトップを決めるは他国のトップであったという状況ではなくなり、大統領や国会議員を自分たちが選挙で選べるようになったのだ。
 一方で、内モンゴルのモンゴル人は、移住してくる漢民族に人口で圧倒され、文化大革命で虐殺され、そして「中華民族」なる暴力的な概念の押し付けによって、モンゴル人そのものの存続の危機にある。(当然ながら、チベット人、ウイグル人なども同様)

 中華人民共和国の人民である限り、モンゴル人はモンゴル人として生きられないということだ。この状況に、モンゴル国側も危機感を持たないはずはない。中国のこのやり方は、かえってモンゴル人の民族主義を強めることにすらなるだろう。
 上述した通り、チンギス・ハーンの時代からの歴史をもつ、モンゴル文字を復興に向けて国をあげて努力をしており、「モンゴル文字国内オリンピック」も行っている。

 内モンゴルのモンゴル人が「中華民族」の枠組みに強引に引き摺り込まれてしまえば、モンゴル国の立場も危うい。
 チンギス・ハーンを「中国歴史上の英雄」などという理屈を使えば、かつてユーラシアを跨ぐ大帝国となったモンゴル帝国をも、歴史的に中国の一部だと言い出しかねない。

 歴史的な領土などという概念は、かなり危うい。エルベグドルジのポストのような、「モンゴルの歴史的領土」をガチで主張したらどうだろうか?
 この理屈で言えば、「中国は歴史的にはモンゴルの領土だ」という主張になるのだ。
 当然のことながら、エルベグドルジはそのようなことを主張するためにポストしたのではない。プーチンの発言を受けてということなので中国関連ではないが、理屈としては同じことである。
 しかし、このエルベグドルジのポストが奇しくも示したのは、たとえどれだけアンビバレントなものがあろうとも、そして大国との関係であまり強くは押し出せなくとも、モンゴル人の心の中には常に「自分たちはチンギス・ハーンの子孫である」という矜持があるということだ。

我々日本人が学べること

 長年、モンゴルに関わってきたが、モンゴルに興味がない日本人がほとんどである。興味があっても相撲とか、最近はモンゴル料理とか。
 日本は漢字文化圏に自分たちから入ってしまって、抜け出さなかったことのデメリットをあまり意識していない。無邪気な中華文明への憧れがずっとあり、漢文至上主義に違和感を持っておらず、漢字の導入や漢文を使い続けたことによって日本語が大きく変質させられたことにも無関心である。
 モンゴル語は日本語と性質が近い。どちらも中国語とは性質が大きく違う。
 中国を支配下に入れて国号を「元」と称してから後も、中国語の文書を扱うようになっても、モンゴル語に漢字やシナ語の要素を持ち込むことはしなかった。この差は極めて大きい。
 日本人はあまりにも漢字文化を含めた中国文化を内面化しすぎて、中国を相対化してみることが苦手すぎるのではないか。
 何の衒いもなく「漢字を教えてくれた中国に感謝」などと言えてしまうのだから。また逆に、漢字を含めた「中国的な要素」を否定しようと、神話世界まで戻ろうとする。あるいは嫌中に走ったりする。かつては、中国を極端に見下した結果、つまりは自意識過剰になった結果、戦争をして泥沼化して負けた。
 もうちょっとナチュラルに相対化できないだろうか。

 漢字は中国人に教えてもらったのではなくて、自分たちが学び取り、工夫しながら日本語に取り込んだのだ。そしてそもそも、最初に日本人に漢字を教えてくれたのは、現代中国人ではない。習近平でも毛沢東でもない。そもそもがはるか古代の出来事である。
『逆転の大中国史』は、漢民族は実は一度途切れていること、中国語がかなり古い時代にアルタイ系の言語の影響を受けたこと、あるいはまた、中国を支配しながらも、漢字は中国語を表記する文字であると割り切って、モンゴル語に持ち込まず、また遊牧文明という極めて優れた文明を伝えてきたのがモンゴル人であることなど、日本人の思考を中国化の呪縛から解き放ってくれる良書である。

チンギス・アルヒとチンギス・ビール

 さて、モンゴルのナショナリズムとチンギス・ハーンをめぐる小さな旅が、大きく寄り道してしまった。最後にチンギス・ハーンの名を関したアルヒ(モンゴルウォッカ)とビールを紹介して旅を終えることにしよう。

Chinggis khan


Chinggis grand khaan

 この商品は、モンゴルを代表する飲料メーカー、APU社の製品である。

 チンギス・ビールは独立のブランドである。
 全くの余談だが、私はAPU社の"Алтан Говь"Golden Gobiが好きである。

Altan Gobi

 ということで、チンギス・ハーンとモンゴル民族に乾杯!
 モンゴル民族よ、永遠なれ!

いいなと思ったら応援しよう!

翼駿馬 応援お願いします