警策は鳴り響く
前回↑
文章を人に読んでもらう仕事をしていた頃、知り合いからは何か達観してる、と思われていたところがあるらしい。
近頃拍車がかかり、お寺の住職さんか?と自分でも思ってしまうネタの記事も出てきた。
仏教のことは全く素人だ。
ただ、ここ数年法事や墓の掃除やらで、それまで殆ど行ったことがなかった田舎の菩提寺へ足を運ぶようになった。
祖父は生前、まだ仏様のいない仏壇に毎朝手を合わせ、熱心に読経していた。
今はその仏壇に、小さな遺影が位牌と共に座る。遊びに来る親戚の坊主が、お鈴やら線香立てやらをカンカン叩き、悪戯笑いでこっちを見る。
祖父は現役を退いた後、七十歳までに目や心臓の手術をして、自身の健康、畑作りや食事に相当に気をつかい、九十三まで生きた。
私もいたずら坊主くらいの頃には、とりわけ食事に関しては毎朝のように厳しく叱られ、朝食をしっかり食べろ、残すなとか、バランスを考えろとか、魚、豆、果物を食べろとか、いろんなことを言われた。
若い頃は、体に鞭打って仕事をしていたのだろう。
彼が他界した頃から、私も何かと仕事でストレスを感じ、一見妙だった健康哲学は、案外自分にも必要かもしれないと感じることが増えた。
もう一つ、法事などから、我が家の宗派である禅について少し興味がわいた。
祖父は心臓の手術から復活したのち、祖母と旅行に行くと言って福井にある本山、永平寺に修行体験に行ったこともあった。
今年は調子がすぐれない期間を過ごし、体とメンタルが噛み合わないながらひとまず職場の自席に座る。
いつ頃からか、職場での時間は座禅のようだと思うようになった。
栄養剤が効き、回復は少しずつ進む。
しかし時折頭は熱を持ち、ふらつきを感じる。
数年前にもすでに似た感覚を覚えた時があったが、気のせいだと無視してきた。
体の調子や感じること、そこからくる不安や焦りに気づき、囚われすぎないよう思考を調整し、対処方法を一つずつとる。多分その訓練だ。
時々頭が痛くなったりするのは、無鉄砲ばかりの孫を見かねた爺さんが警策もって、
「お前少しは自分のことをちゃんと考えろ」
と叩きにきているかもしれない。
そう考えれば、晩年顔を合わすことができなかった祖父とじっくり話す時間が持てているようで、この行きつ戻りつも苦しいばかりでもない。
ひとまずこの時期を丁寧に過ごして整えつつ、もう少しこの禅というものに触れてみたいと、最近思ったりもしている。
次回↓
