見出し画像

一番偉い人へ|人手不足と凝集性と多様性と

最近書き始めたフィクションだかノンフィクションだかわからない代物とは別で、ちょっと思ったことを書いてみる。

春頃の原因不明の、というかどう考えても働きすぎが原因の体調不良もだんだんと落ち着いてきて、このひと月くらいは気持ちがざわざわと波立つことも少なくなってきた。
陽気が夏からいきなり秋に移行したことで、低気圧のせいか少し頭を使うと頭痛を感じることもある。これも今まで、全てを顧みず働いていた頃には感じなかったことだ。快方へ向かっていると思ってよいのか。

若干職場周りの白い目が気にはなるが、自分の気持ちを段々と持ち直す中で、最初に感じたことはなぜか文章を書きたい、ということだった。
昨年あれほど残業をして資料を作っていたというのに。その気持ちがなぜくるのか、時間はかかったが、だんだんとわかってきた気がする。

私はもともと、仕事の内外である時は感性を頼りに、またある時は理論の組み立てを行うスタイルの文章を書く鍛錬をしてきたつもりだ。
そしてその作業自体は結構好きなのだと思う。
しかし、会社の方ではそれを仕事や、まして価値とはみなしていないような感じがどうもする。

だったらやめちゃえよ、そんな無駄なこと。
まともな人ならそういうだろう。
しかし私にとっては、この作業は普通の人の休日にスポーツをするとか、旅行に行くとかで補っている精神の安定を保つための手段になっているのかもしれない、ということにようやく気づいた。
たまたましっくりくる作業がこれで、頭の使い方は若干ちがう気はするが仕事と同じ頭脳労働だっただけだ。

なんでもいい、なんか書きたい。
自分の頭がそう言ってる気がする。
そこで勢いに任せて連投している物を書いてみたら、最近また少し頭が痛くなった。
まだ完全復活とはいかないらしい。
最近流行りの心療内科というものに行ってみようか、と予約の電話を入れてみるがなかなかとれない。

時間が欲しい。職場から抜け出したい。
別に上司や同僚がどうこういうつもりはない。
というか根っから合うわけない。
相手がどうとかではない。私がこういう奴だ。
あそこの椅子に座ってるのがじれったい。

私の持てる力の全てを振り絞って、なんならはち切れそうになるまで出し切らないとそんなにいけないか。

上司からみんな、人生のかなり大部分の時間を仕事に捧げてきた成功体験で成り立っている人が大半だ。
彼らの頭の中には、頑張るか、超頑張るか、ハイヨロコンデ!と頑張るか、ほどほど誤魔化しながら頑張るかのどれかしかない。
私のようなものは、とくに人手の枯渇した田舎の昭和型の会社でははみ出しものだろう。

私という人間の見える部分を捕まえ、勝手にレッテルを貼り、都合のいいように使おうとしているだけじゃないか。
そんな冷め切ったような、捻くれたような諦めたような感想が浮かんでくる。

しかし、こういう人間を受け入れられる度量のない会社はどうなっていくのだろう。
人がいなくなっていく集団は、残った人間で今までと同じか、なんならそれ以上のことをしていかなければならない。
そうなればますます、一つの働き方、仕事への向き合い方を是とすることで集団の凝集性は高まっていく。
自分と同じにしない者への当たりは、気づかないうち強くなる。
分かってもらえる見込みのない人には、多分話さない。
若い人が黙って去っていってるのを、私は知ってる。

…というわけで、うまく整理できるかわかりませんが直近の経過を追ってみようと思う。
 こちらは不定期になると思います。

いいなと思ったら応援しよう!