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上場企業社長250名が、一人も僕の取材を断らなかった理由

「250名超の経営者を直接取材した」と書くと、必ずといっていいほど同じ質問が返ってきます。

「え、どうやって会えたんですか?」


普通に考えれば、当然の疑問です。上場企業の社長というのは、めったに会えない存在です。秘書を通じたアポ取りから始まり、広報部との事前調整、取材内容の確認、何往復もの連絡。それだけのプロセスを経て、ようやく30分だけ話せるかどうか、というのが一般的な話です。

それを250名超やった。そして、全員が断らなかった。その理由は、「某新聞社の連載企画の担当記者に抜擢されたから」というシンプルな答えに集約されます。

ただ、この「シンプルな答え」の裏側には、僕が経験してきた緊張と、学びと、今でも財産だと思っているオフレコの言葉たちがあります。今回は、そこを正直に話してみます。

僕はTrex(Tレックス)。肩書きは「AIブリッジエンジニア」、IT企業を15年以上経営しています。起業前は、日常的に英語を使う職に就いており、上場企業の社長を250名超、直接取材してきました。一方、アフィリエイターとして20年以上、完全に1人で取り組んでいます。自己紹介ページ

この記事では、「なぜ取材できたのか」という経緯から、取材現場で感じたこと、そしてその経験が今の発信にどうつながっているかまで、順を追ってお伝えします。

🗞️ すべては「某新聞社の連載企画」から始まった

「どん底からの這い上がり」を取材する企画

起業前、僕は日常的に英語を使う職に就いていました。その仕事の中で、某新聞社の連載企画の担当記者に抜擢されました。

企画の内容は、こうです。「上場企業の社長に直接会って、どん底だった時期の経験を取材し、どん底からどのように這い上がったのかを聞き取る」。

読んで字のごとく、成功者の「失敗談」を集める連載です。上場企業の社長というのは、外から見ると「成功した人」の代名詞です。でも、今の地位に至るまでには必ず暗黒期がある。事業の失敗、人間関係の崩壊、資金繰りの危機、健康の喪失。そういった話を、本人の口から直接聞き出す企画でした。

読者にとってはリアルな学びになる。経営者にとっては、自分の歴史を語る場になる。なかなか企画の設計が巧みだと、今でも思います。

なぜ担当記者に選ばれたのか

一言で言えば、「勢いと好運」です。

当時の僕には、怖いもの知らずだった時期があります。某新聞社に、この企画を自分で持ち込んだのです。

最初の反応は、芳しいものではありませんでした。担当者と話したとき、「そんなの突然いわれても無理だよ」というニュアンスの返答でした。上場企業の社長を、連載で何十人も取材するなんて現実的じゃない、ということだったのだと思います。

ところが、そこにたまたま新聞社の会長が通りかかりました。話を耳にした会長が一言、「面白そうだから、まずはやらせてみろ。週一の連載が3ヶ月続けられたら、本契約してやる。」と言ったのです。

それがことの始まりです。

一度動き出せば、こっちのものでした。最初の取材がうまくいき、次の取材が決まり、また次が決まる。気がつけば、250名超の社長を取材していました。

「あのとき会長が通りかかっていなければ」と考えると、今でも少しぞっとします。企画と勇気は自分で用意しましたが、最後の一押しは完全に運でした。ただ、チャンスをものにできるかどうかは、その準備があったかどうかで決まる、とも思っています。

💼 断る経営者が、一人もいなかった

新聞社の肩書が持つ絶大な力

連載企画が動き出して、最初に驚いたのがこれです。取材依頼を出した経営者が、一人も断らなかった。

僕のアポ取りの技術が高かったわけではありません。コネクションがあったわけでもない。理由は明白で、「某新聞社の連載取材」というひと言に、圧倒的な力があったからです。

上場企業の広報担当者は、新聞社からの取材依頼を受けたとき、まず「断る理由があるか」を考えます。よほどのスキャンダル中でもない限り、断る理由はありません。むしろ、著名な新聞の連載に社長が登場することは、会社のブランドにとってプラスになる。そういう判断が働きます。

結果として、僕の取材依頼に対して「お断りします」という返事は、一度も来なかった。250名超、すべてです。

良い意味でも、悪い意味でも

ただ、この経験は複雑な感覚も残しました。

「新聞社という肩書がなければ、僕は誰にも会えなかった」という事実を、毎回突きつけられるからです。取材が終わって社長室を後にするたびに、「今日話せたのは、僕の力じゃない」という気持ちが頭をかすめました。

同時に、その力の大きさに純粋な驚きもありました。メールを1本送るだけで、数千億円規模の会社のトップがスケジュールを空けてくれる。アポを取るだけなら、秘書も広報も動いてくれる。組織の肩書が持つ影響力というのは、個人の能力とは別の次元で存在している、と身体で知った体験でした。

良い意味では、「組織に属することで使える力がある」ということ。悪い意味では、「それが本当に自分の力なのか、常に問い直す必要がある」ということ。起業してから今も、このときの感覚を忘れないようにしています。

🎤 1対1の緊張感と、オフレコの財産

社長室で2人になる、あの空気

取材の多くは、会社の応接室や社長室で行われました。最初のうちは、広報担当者が同席していることもありましたが、話が深くなってくると、自然と1対1になることが増えていきました。

「少し席を外しましょうか」と広報担当者が気を遣ってくれる場面もありましたし、社長の方から「二人で話しましょう」と誘われることもありました。

その緊張感は、今でも思い出せます。

向かいに座っているのは、何十年もかけて会社を上場させた人物です。鋭い目線で僕の質問を聞き、少し間を置いて、ゆっくりと答える。その「間」の重さが、普通の会話とは明らかに違いました。

曖昧な質問には、曖昧な答えしか返ってきませんでした。「具体的にどんな場面でしたか」「そのとき、何が一番きつかったですか」。事前に準備してきた質問を並べるだけでは、話が表層で終わる。相手の言葉を拾いながら、その場で次の問いを考える。その能力を、僕はこの連載で徹底的に鍛えられました。

オフレコで聞いた言葉が、今の財産

記録には残らない話が、最も深い話であることが多いのは、取材の世界では常識です。

ICレコーダーを止めた後、あるいは「これはオフレコでお願いします」と前置きした上で、経営者たちは本音を語り始めることがありました。会社の数字には絶対に出てこない話。株主にも社員にも言えない葛藤。成功の裏側にある、しくじりの本体。

取材源は明かせませんし、個別の発言を「あの社長がこう言った」と書くことは絶対にしません。それはオフレコの約束だからです。

ただ、それらの言葉から得た「経営の本質」は、僕の中で静かに積み上がっています。今の発信の随所に、あの取材室で聞いた言葉が溶け込んでいます。

あるとき、ある経営者がこんなことを言いました。「会社がどん底のとき、人の本性がわかる。一番助けてくれたのは、顔見知りじゃなくて、自分が本気で向き合ってきた相手だった」と。業績が悪化したとき、長年の取引先は去り、わずか数回しか会ったことのない経営者が動いてくれた。「向き合う深さが、関係の強さを決める」というこの言葉を、僕はずっと覚えています。

📖 250名と向き合って見えてきたこと

成功した経営者に共通していたこと

250名を超える経営者に会って、気づいたことがあります。

成功している経営者ほど、話が短い。言葉を選ぶ。曖昧なことを言わない。

失敗談を聞いているはずなのに、話を聞き終えた後に「この人は今でも前向きだな」という印象が残る。どん底の話をしていても、後悔の色がほとんどない。「あれがあったから今がある」という整理が、当たり前のようにできている。

もう一つ印象的だったのは、「自分の失敗に対して怒っていない」という共通点です。後悔しないというより、失敗を「当時の判断でベストを尽くした結果」として受け取っている人が多かった。自己批判がない。だから前に進める。

この視点は、AIとの付き合い方にも当てはまると思っています。「うまくいかなかったプロンプト」を後悔するより、「なぜ期待どおりにならなかったか」を分析して次に活かす。この習慣を持てるかどうかが、AI活用が定着する人とそうでない人の差ではないか、と最近感じています。

この経験が今の発信につながっている

起業して、IT企業を経営して、アフィリエイトを続けて、AIを使い倒す今の自分がいるのは、あの取材経験があったからだと思っています。

「問いの精度が、答えの質を決める」という感覚を体に覚えさせてくれたのは、あの社長室での1対1でした。あの経験がなければ、今のプロンプト設計の仕事も、記事の構成力も、まったく違うものになっていたはずです。

単なる「経歴の一行」ではなく、今の発信の骨格を作ってくれた期間として、僕は取材の日々を今でも大切にしています。

✏️ このnoteで「オフレコの知見」をどう活かしているか

取材源は明かせませんが、あの場で聞いた言葉の「本質」は、このnoteのコラムに静かに流れ込んでいます。

「ある経営者がこう語っていた」という形で紹介することがあります。名前はありません。会社名もありません。でも、それは実際に起きた話です。フィクションではない。その重みが、僕の発信に独特の質感を与えていると自分では思っています。

このnoteを読んでいただいている方に、正直にお伝えしておきたいことがあります。

僕の肩書きは「AIブリッジエンジニア」です。AIの専門家として、技術の世界と、実際のビジネスの現場の間に橋を架ける。その橋の設計図の一部は、あの社長室で聞かせてもらった言葉でできています。

250名の経営者に会えたのは、新聞社の肩書のおかげでした。でも、その場で何を聞き、何を学び、何を今に活かすか、それは肩書とは関係のない、僕自身の仕事でした。

もしこのnoteで「ある経営者がこんなことを言っていた」という話が出てきたら、それはあの取材室での1シーンです。どうか、肩書なしで向き合ってきた250名との時間の蓄積として受け取ってもらえたら、うれしいです。

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