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25歳で読んだ「走れ」と、31歳で読んだ「走れ」は、別の物語でした。

最初の出会い

教員生活3年目。4年生担任。25歳のとき、初めて「走れ」を授業で扱い、私は主人公ののぶよの気持ちがどこで変わるかを見つけることにばかり夢中になっていました。

初任のころに見た授業で、心情曲線を使っている先生がいました。
山場での登場人物の気持ちを線で表していくあの方法を見て、
「ああ、こういうふうに授業をするんだな」と感じた記憶があります。
だから3年目に「走れ」を担任として扱うとき、
私の頭の中には「のぶよの気持ちが変わる場面を見つけさせなきゃ」
という気持ちがありました。

それが当時の私の「走れ」の授業の全部だったと思うんです。
全然うまくいかなかったんですけどね。。

そして31歳の今。

今年度は、7年ぶりの4年生担任。
同じ「走れ」を授業で扱いながら、
物語の見え方がまるで変わっていることに気がつきました。

今の私は31歳。娘は小学3年生です。
のぶよが4年生で、けんじが2年生と知ったとき、
なんか急に、この二人がとても身近に感じられたんですよね。
「ああ、娘の一個上と一個下か」と。
そう思った瞬間に、お母ちゃんの気持ちが、じわっと伝わってきたんです。

「走れ」という物語を知らない先生へ

光村の国語の教科書を使ってある先生方が多いのかなと思うので、よかったら一度読んでみてください。

東京書籍の教科書で国語の授業をされている小学校の先生方は、なんとなく話の流れが分かると思うので、思い出しながら今回の記事を読んでみてくださいね。

本題に戻ります

お母ちゃんは、旦那さんを亡くして、
小学4年生と2年生の子どもを育てながら、弁当屋を一人で切り盛りしています。
個人的には物語の導入部分のそれだけで、もう涙が出そうなんですよね。
子どもたちと交代で【「。」読み】で音読をしてるんですけど、担任一人だけ泣きそう。(ほんとに年取ったと思う笑)

弁当屋のお母ちゃんは、行事の日には朝早くから出て、注文が入ればその対応をして、一生懸命働いている。
きっとお母ちゃんは、のぶよにも、けんじにも、寂しい思いをさせていることはわかっていると思うんです。
だから去年行けなかった運動会のことも、ずっと申し訳なく思っていたんじゃないかと想像しています。

このへんは私も妻も忙しい我が家を重ねているのかもしれません。

のぶよは、運動会の日の朝、お母ちゃんの布団を押し入れに片付けています。
4年生でそれをしているんですよ?
お母さんを助けたくて、自分にできることを一生懸命やっている子なんだろうなと伝わってきます。もはや、はじめの場面でやられてしまう笑

けんじはまだ純粋に、「お母ちゃんが来てくれる」ということをとても楽しみにしています。
特製の弁当の約束。それが叶わなくて怒ってしまうのも、その気持ちがわかるんですよね。
きっと周りのお友達が家族と食べているのを見て、
自分もそうしたかったんじゃないかと思うんです。

お母ちゃんは、いつもよりいいお肉を使ったお弁当を作ってきました。
それは間違いなく愛情です。
でもけんじには、うまく伝わらなかった。
大人の事情と、子どもの気持ちがすれ違う場面で、私はどちらも責める気になれないんです。

人生経験が物語の読み取りを深める、ということを、最近よく感じます。

25歳のときの私には感じ取れなかった情景が、31歳の今はありありと浮かび上がっています。
親になったこと、職場でいろんな先生と一緒に子どもたちに向き合ってきたこと、そういう積み重ねが、物語の中の人物をより立体的に感じさせてくれているんだと思うんです。

きっと逆もあります。子どもの頃からいろんな物語に触れることが、
人生を豊かにする力になるような気がしませんか?
絵本でも、映画でも、学校で出会うお話でも。
そして、いろんな人の気持ちを想像する経験は、
実際の人間関係の中でも、きっと生きてくると信じています。

だから今年、教室の廊下に絵本ラックを置きました。
リサイクルショップで見つけた棚に、図書館から借りてきた絵本や学校でとっている新聞を並べています。
強制的に読ませるために置いているものではないんですけど、
ふと手に取って、誰かの気持ちと出会う時間が、子どもたちにあってほしいなと思って。

人生の経験が、物語を深く読む力になる。
そして物語が、人生をもっと豊かにしてくれる。
そんな未来を妄想しながら、今日も子どもたちと授業をしています。

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