映画「アレクサンドリア」〜学問の無力、女の哀しみ、自由の儚さ
2009年公開の映画、アレハンドロ・アメナーバル監督作品「アレクサンドリア」(原題:AGORA)を観たので、その感想を書く。
舞台は4世紀末のアレクサンドリア。主人公のヒュパティアは哲学者であると共に、数学者、天文学者でもあり、学問の自由が次第に奪われてゆく時代の変化に翻弄されて、悲劇的な最期を遂げる。
アレクサンドリアの歴史
地中海に面した美しい港町で、エジプト第2の都市でもあるアレクサンドリアは、古代においては世界最大の図書館を誇る学問の町であり、ギリシア人、ローマ人、ユダヤ人、エジプト人、その他の民族が共生する、世界有数の国際都市であった。
町の歴史は、マケドニアの英雄アレクサンドロス大王が東方遠征(紀元前311年)に際して、この場所は交通の要衝になり得ると見込んで、都市建設を命じたことに始まる。大王の予想は的中し、交易都市として大いに繁栄する。
大王の死後、プトレマイオス朝(紀元前304-紀元前34年)が成立すると、その開祖プトレマイオス1世は、古代の七不思議の一つとされる大灯台を建設、港湾機能を整備すると共に、ムセイオン(Museumの語源)と呼ばれる巨大な博物館を建設し、そこに世界中の書物を収蔵するなど、学芸奨励の政策を採用した。その結果、地中海世界の各地から優秀な学者が引き寄せられることとなった。その中には、コペルニクス(1473-1543)より二千年も前に地動説を唱えていた、アリスタルコス(紀元前310-紀元前230頃)も含まれる。
プトレマイオス朝の最後の王は、世界三大美女として名高いクレオパトラ。ローマ軍に敗れて王朝が滅亡すると、ローマの属州となる。ただし、ローマの属州となってからも、しばらくは学問の一大中心地としての性格を失っていなかった。この映画の主人公であるヒュパティアは、このローマ属州時代に生を受けた。(370年頃)
その後、アレクサンドリアはイスラームの支配下になり(641年)、現在に至っている。

ローマ属州時代の出来事
学問の町という視点から見た場合、アレクサンドリアのローマ属州時代は、その自由が徐々に制限されてゆく歴史だった。自由を脅かしたのは新興宗教・キリスト教である。
キリスト教がアレクサンドリアの地に入ったのは大変古く、パウロの弟子マルコ(福音書作者)以来の伝統がある。しかし、最初期のキリスト教は弱小勢力に過ぎず、奇異の目で見られていたとは思うが、基本的には穏やかに共生していた。
不穏な空気が流れ始めたのは、テオドシウス1世がローマ皇帝になってからのことである(379年)。テオドシウスは、ローマ帝国内の非キリスト教徒を迫害・弾圧する政策を次々と打ち出した。その頂点にキリスト教の事実上の国教化、つまり、異教の禁止がある(392年)。交易の盛んな国際都市、アレクサンドリアも例外ではなく、伝統的な多神教はむろんのこと、共通の源泉を持つはずのユダヤ教までもが迫害され、改宗を拒んだ者に残された道は、殉死するか、亡命する以外に残されていなかった。
この頃のキリスト教が目の敵にしたのは、異教だけではない。キリスト教の教義に合わない学問も排除された。要するに、アレクサンドリアは二重の意味でキリスト教に迫害されたのである。交易都市ならではの宗教の多様性は否定され、学問の町ならではの自由な精神は排除された。
この映画の主人公ヒュパティアの悲劇は、こうした歴史の過程におけるクライマックスに起きた出来事である。その死は、ギリシア・ローマの自由な精神の死を象徴していた。
ヒュパティアの自由精神
ヒュパティアは哲学者としては新プラトン主義の専門家として多くの弟子を育成し、天文学者としては天体観測を行うための機器である「アストロラーベ(天体観測儀)」を考案・製作した業績で知られる。
※なお、映画では、惑星が太陽を中心に楕円軌道を描く仮説を立てて、アリスタルコスの地動説を補強したように描いているが、これは演出上の創作で、ヒュパティアが地動説を支持していた証拠はない。
ヒュパティアは女性だった。女性が学者であること自体が珍しい時代、父テオンが創始した学園を継承して校長となり、多くの弟子を育成した。こうした活動が出来たのは、彼女が聡明であったことに加えて、アレクサンドリアという町が持っていた学問の自由を尊ぶ気風(リベラル・アーツの精神)のおかげもあったと思う。
リベラル・アーツの精神を拒絶し、キリスト教の教義にそぐわない学問を「異端」の名のもとに断罪した初期キリスト教の野蛮について、映画は容赦なく描いている。男尊女卑の思想がキリスト教本来の思想かどうかは議論の余地があるけれども、ヒュパティアを弾劾したキリスト教徒たちに、その思想があったことは疑いえない。彼女は女の分際で男に教育を施している。しかも、キリスト教の教義に反する知識を、である。それは「彼らの中では」有罪に値することだった。
ヒュパティアの最期は無惨そのもので、馬車で自らの学園に向かっていた所を、キリスト教徒の集団に襲撃され、引きずりおろされ、教会に連れ込まれ、裸にされ、生きたまま肉を骨から削ぎ落とされ、絶命したとされている。
ヨーロッパにルネサンス(古典古代復興運動)が起こった時、ヒュパティアはギリシア・ローマ文化の最後の輝きとして再評価され、千年の忘却から解き放たれた。
ラファエロの傑作「アテネの学堂」に、ヒュパティアが描かれているのをご存知だろうか?私は恥ずかしながら、この映画を観たのをきっかけに調べるまで知らなかった。


キリスト教の野蛮により命を落とした彼女が描かれた「アテネの学堂」が、よりにもよってキリスト教の総本山・バチカンに飾られているのは皮肉な話である。(もちろん、意地悪なラファエロはあえて描いたにちがいない)
映画の感想
映画は古代アレクサンドリアの雰囲気をよく表現しており、ヘレニズム時代や古代ローマが好きな人なら映像的にも楽しめる。
追いかける人々と逃げ惑う人々を上空から見下ろすアングルが非常に多い。「天空の城ラピュタ」ではないが、人間が虫のように見える。この描き方から推すに、「人間の愚かさ」が監督にとっての中心テーマなのだろう。
ないものねだりを言えば、「学問の無力」「女の哀しみ」「自由の儚さ」の3大テーマを、もっと掘り下げて欲しかった。もちろん触れられてはいるのだが、ドラマに起伏を付けるために色々の演出を加えて行くうちに、それぞれが薄くなってしまった感は否めない。学問は生存のために容易に捨てられ、女性は常に男性の偏見に曝され、自由は政治状況その他に左右されて明日には無くなっているかもしれない、という現実。現代も事情はさほど変わっていない。呆れるほど人類は進歩していない。
「学問の無力」は、ヒュパティアがたった一人、「学問の自由を否定されるくらいなら死んだほうがマシです」と、キリスト教への改宗を断固拒否したのと対照的に、彼女の弟子たちは自身の立身出世のためにあっさりと改宗したところに、端的に表現されている。ヒュパティアにとって、学問の自由は実存の問題(生きるとは即ち学問することと同義)だったが、弟子たちにとっては、取り換え可能な知識に過ぎなかった。この一件は、知識の伝達はやさしいが精神の継承はむずかしい、という実例である。それは、自ら摑まなければならない種類のものである。
あと気になったことと言えば、ヒュパティアの学者としての描かれ方が、天文学に偏りすぎていると感じた。天文学は実験装置などが登場するため、ビジュアル的に便利なのは分かるが、ヒュパティアがプロティノスの「絶対的一者」の思想に、どのように魅せられていたのかを観てみたかった。カール・マルクスの伝記映画を観たときも似たような感想を持ったが、学問という脳内のドラマは映像化がむずかしいため忌避される傾向にあるようだ。
最も感動した場面は、ヒュパティアの奴隷(この時代は奴隷がいるのが当たり前の時代である)が、キリスト教に入信するまでの葛藤。これが迫真の演技で素晴らしかった。ヒュパティアの導きによって学問の味を知り、一度は魅せられた者が、それでもキリスト教を選ぶしかなかったという、なんともやり切れない、切ない場面である。
キリスト教は弱者のための宗教であり、キリスト教がこれほど拡大した理由は、この世界には不幸にも強者よりも弱者の方が多いからである。強者のための宗教というのが仮にあったとして、キリスト教のように広まることは絶対にないだろう。イエスの言葉は今でも傷ついた人々、嘆き悲しむ人々を慰め、感動を喚び起こさずにはおかない。存在意義は充分にあると言わなければならない。
しかし、それだからと言って、初期キリスト教が行った野蛮を免じて良い理由にはならない。ヴォルテール(1694-1778)の自由主義思想として名高い、「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」という言葉は、ただの言葉ではない。憲法の条文に「言論の自由」が明記されていればそれで解決、ではない。
近い人、遠い人を問わず、他の人間の精神の自由が擁護される世界は、生の実践を通してしか達成されない。この映画は遠い昔に起きた悲劇を、現代を映す鏡として観客の前に置く。
終わり
