【長編】二階建て空中楼閣のF【第26回】

◇◇◇

「オギーもサミーも勇気がありますゥ!」

 リビングにて。ヨハネス店長は殺傷力がありそうなショッキングピンクのブーツをヨイショヨイショと脱いで丁寧に向きをそろえてから、両腕を広げて俺とサンシンに飛びつくように抱きついてきた。きゃぴきゃぴと跳ねながら頬ずりされて毛がチクチクとくすぐったい。

「就職先はぜひワタシたち銀河団日本支部におねがいしたいですゥー!」
「うわ! やったなオギ!」
「いやいやいや、もう少し考えさせてくれ」

 俺は自己中心的にジタバタしただけで、呆れるくらいに何も解決に貢献していないのである。おっさんは汗だくのへとへとになって和室で横たわっていて、雉子が甲斐甲斐しく濡れタオルで顔を拭いている。旭さんも正座をして団扇であおいであげている。貢献者の特権だ。俺が熱烈なハグをされているのに、彼女の眼差しには嫉妬の火の粉ひとつないのは複雑な心境である。

 クラちゃんは邪魔なので家には入れていない。知らない女がサンシンと接触しているのが気になるのだろう、解放したままの正面玄関から腕を組んでいるように触手を折りたたんで床に添えている。

 店長の報告によると、銀河団はヴァチイネが所持する船の一斉検挙に成功したらしい。負傷者もいるというが命に別状はなく、団員は全員無事とのこと。ようやく来てくれた応援に宇宙賊船を引き渡し、店長は俺たちの無事を確かめるためにやってきてくれたのだ。

 彼女の愛車は空も飛べるはず夢を濡らした涙が止まっている。そのユーフォーは俺の知らないネコ耳系美少女アニメのステッカーが貼られ、いわゆる痛車いたしゃになっていた。

「みんなの無事をちゃんとこの目で確認したかったっていうのもあるんだけどォ……」

 ご立腹のアルファルドさんが車内で元カレとの通信でガミガミ怒鳴っている真っ最中らしい。彼女は一度沸点に到達するとしばらく冷めず、耳の奥が痛いので沈静化するまで近場であるこの家まで避難してきたという。俺は「元カレの情報提供でうまくいったんじゃないんですか?」と疑問を口にすると、店長はあざとい困り顔で瞳をウルウルさせる。

「アルーの愛車がねェー、牽引することになっちゃってェー」
「えっ? あ、だからいっしょに乗ってたんや……」
「その怒りを仲間にぶつけるワケにはいかないからァー、元カレにィ?」
「八つ当たりですか」
「歩くスキャンダルっていうかァー、醜聞製造機だからァ。各星のお偉いさまが天を仰ぐくらいに痴情がもつれすぎててェー、今回の情報提供もイメージアップのためだったっていうかァー、謝礼金目当てェ?」

 アルファルドさんに愛を絞ったはいいが、落とされた女たちからすればそうは問屋が卸さないだろう。王族だったアルファルドさんに唾をつけておくくらいだ。どえらいことになっているのは想像に難くない。

「銀河団的にも本当は手を借りたくなかった感じですか」
「そゥ! どうせクズであることにはァー、変わりないからァー」

 貞操を捧げた上に愛車もダメになったのでは、手をこまねき続けた宇宙マフィアだかギャングだかを憎き男のリークのお陰でひっ捕らえただけでは元を取れないだろう。

「ツッカー君」

 ふいに、店長はツカサに目を向ける。

「話はハナーから聞いたですゥ。例のコンポはァ、撤去するですゥー。それから同じ品番は販売中止ねェ。売っちゃったのもすぐさま回収するですゥー。パパーにも連絡するですゥー」
「はい」

 ツカサは控えめな声で潔く聞き入れた。

「ツカサんとこのコンポがどないしたんです?」

 トールはツカサと店長の顔を交互にうかがう。タケも状況を飲み込めずに眉根を寄せている。この状況で隠し通せないだろうと思ったのだろう、ツカサは嘆息を漏らし、嫌ってくれるなと懇願する眼差しを仲間に向けた。

「僕の父親は宇宙人だ」
「あ、そーなん!?」
「てっきりカタコトの外人だとばかり。むーん」

 タケは深刻気に腕を組みうつむく。受け入れ難いのかと思いきや「地球の男は飽きられているのか」とズレたことをぶつぶつ言っている。

「つまり、そういうハーフや?」

 目を丸くしているトールに、ツカサは「黙っててゴメン」と頭を垂らす。俺はムラタニ楽器店に行ったことがないので彼の父親がどんなキャラクターをしているのか見当もつかない。

「いや、ええよ。言えるワケないやん、そんなん」

 トールはあっさりしている。なおもガックリと肩を落としているツカサに、

「なあ、ツカサ。この家にはじめて入った日から、いやハクトーさんと出会うた日から、世界はまだまだとてつもなく広いというか、ぼくは何もわかっとらんねやと思ってんな?」

 と、トールは息を継ぐ間もなく言って手を差し伸べた。ツカサは安堵でぎこちなく口角を緩ませ、ふたりは握手を交わす。

「刺激的な人生ってやつだな。うんうん」

 タケがふたりの肩を抱き体重をかける。『これからもよろしく』と彼らは絆を確かめ合い、微笑ましい。

「俺たちえんじぇるす、飽きられない男になろうぜ!」

 タケは威勢よく腕を振り上げて小指を立てた。トールも“約束の指”を立てた。ツカサも続いて小指を立てると、タケは“約束の指”に絡めて「うぇーい」とピョンピョン跳ねだした。ツカサも絡めて、三人はウェイウェイウェイと“約束の指”を中心に時計回りにピョンピョンした。なんの儀式を見せられているんだ俺は。

 彼らのナゾの儀式は一段落して、花御堂は石をヨハネス店長に渡した。

「これが例の赤い石です」
「スゴイですぅー。こんなに大きいのは初めて見たですぅ!」

 店長は目を大きく見開かせ、赤い輝きをのぞき込む。瞳孔を広げたり狭めたりして、ちらちらと舌舐めずりする様はエサにありつける直前のネコだ。

「化石エネルギーのナニか……なんですよね?」

 よだれを垂らされる前に、店長の気を俺に向けさせた。彼女は「んま」とよだれを唇で押し戻す。ちょっとカワイイ。

「これはァ、宇宙空間の狭間近辺でごくマレに発見されるミステリーの原石なんですゥー。正体はまだわからないんだけどォー、微量でも巨大戦艦やロボットを動かせるエネルギーを持っていてェー、これで砲撃されるととんでもないんですゥー。あとォー、これを粉末にして摂取するとォー、いろんな意味でトんじゃうらしくてェー。だから悪用されないようにィー、取り締まってるんですゥー」

 興味ありげに、おっさんは雉子に支えられながら歩み寄り、ナゾの石をまじまじと見る。

「魔力の結晶みたいな気もしますね。異世界から飛んできたのかも。これが人を惑わせるのもわかる気がします」
「魔法使いの視点ではそうなのね」

 旭さんが何度もうなずく。

「えっ、魔法使いなん!?」

 驚愕するサンシンに俺たちは一斉に驚愕した。サンシンは次々と指さす。

「ていうか、やっぱり店長たちもリアル宇宙人!?」
「そ、そうですゥー」
「花御堂さんも!」
「僕は正式な手続きで地球人となりました」
「ハクトーさんは!」
「私は天使だ」
「それでええと!」
「僕は雉子です」
「うわぁ! 気づかなかった全然!」

 サンシンは頭を抱え悶え、俺をにらんだ。

「むしろ今更すぎだろお前、今まで何を見とってんま」
「だってハイになってたんやもん!」
「いやいやいや」

 現実見てなさすぎじゃねーか。

「オギは最初から知ってたんだろ!? うわぁ、人生損した気分! ていうかここがお前の住んでる家なんだよな!? なんか豚汁んだけど! こっちから出たらナスカの地上絵だし! どうやって、え、なんで綱渡りしとるげん?」

 見かねてタケが「おいこれ以上言うな! アホになるぞ!」と口を挟んだ。経験者は語るというやつだ。サンシンは「え?」と間抜け面を見せつけ、その鈍さに周りはどっと笑った。ついさっきまで危険にさらされていたというのに、ウソのように場はすっかり和んでいる。

「オーギガヤツ君」

 花御堂が笑みをこぼしながら俺に声をかけた。

「さっき、家族と言ってくれましたね」
「おう」
「うれしかったです。今度……いえ、まあ、そのうちに」

 言葉を尻すぼみに、花御堂は宇宙の彼方に目をやって分厚い唇を歪ませた。もしかすると俺と同じ、家族に対して意固地だったのだろうか。機会があれば聞いてみたい。地球星籍を取ってまで地球にいるのも、仮面ライダーやウルトラマンが誕生したこの星を愛したからではなく、昔の自分を断ち切りたかったからなのかもしれない。

 おっさんはゴチャゴチャになってしまった家の中を魔法でせっせと修復。ハクトーのレコードも花御堂もフィギュアもどうにかなった。

 石のおかげで疲労困憊から回復していたおっさんだったが、一気に修復するとなると消耗も激しいのだろう。雉子はおっさんに輸血ならぬ輸通力をして、店長とツカサは事件に巻き込んでしまったお詫びにと手伝えそうなことを積極的に探していた。
 キッチンが目も当てられない状態からマシになると、花御堂が夜食の調理をし始めて、旭さんはそれを手伝った。人数の多さに食材が足りず、急遽トールとタケが買い出しに立候補した。まるで大晦日のホームパーティーのような、平和的な慌ただしさだった。

 俺とサンシンはというと、また屋根の上に移った。部屋を往復している俺に「天使の部屋はそう簡単に出入りできるもんじゃないぞ」とハクトーはぼやいていたが、弓矢の件とは打って変わって拒もうとしなかった。サンシンの心情をくみ取ってくれたのだろう。きちんとお別れができるようにと、経験から基づく気づかいだ。

「だいじょうぶか、クラちゃん。一匹も仲間は減ってないな?」

 サンシンが群れを数えるそぶりを見せる。敵の砲撃で散り散りになりかけるも子クラゲは健気に集まってきた。

「ひゆううん」
「そうか! よかったな!」

 正確に意思疎通できているのか、そう問いかけるのは野暮だろう。

「気にすんな、クラちゃん。お前はゼンゼン悪くないからな」

 サンシンはクラちゃんの触手を数本、握手するように握る。

「あの石は銀河団で管理されちゃうけど、お前のキモチはちゃんと俺が受け取ったぜ。ハートキャッチ! プいキュアだ」
「ひゆおおおおおおん」

 傘をゼリーのようにぶるんぶるん揺らすクラちゃん。ずっとサンシンにまとわりついていた1号も2号に諭されたのかついに離れ、「お前もありがとうな」とサンシンは傘をなでる。1号は「ぴゅおーんぴゅおーん」と鳴いて、俺はうかつにも可愛いと思ってしまった。

「俺はちゃんとあれから調べて知ってんだ。クラゲは空なんて飛ばんし、素手で触るとクラゲは火傷する。あの頃はマジでみんなにバカにされたし、フツーにクラちゃんを触ってたし……だからいなくなったんかなって思った。ちがうんやな?」
「ひゆおおおおおうん」

 サンシンは目を充血させて涙ぐむ。クラゲは大切な友だち。ひとり暮らしが決まってから、クラゲをすべて海に帰すという人生一大イベントに参加するよう俺は誘われている。ひとりだとなかなか踏ん切りがつかなかったらしい。ベソをかきながらクラゲを放流する様子を半ば白けた気持ちで眺めていたのを、俺は今になって後悔し始めている。

 ヨハネス店長の説明によると、まだ500円玉が銀色だった頃にクラゲ売りは現れ、ハッコウソラクラゲを売っていた。あの頃の500円玉はそいつらにとって理想の混合物で、母星では高値で売れたという。新500円玉に切り替わるや密売をやめて、その後はもちろん銀河団によって逮捕された。売られたソラクラゲの回収作業もあった。

 ハッコウソラクラゲは成長に従って宇宙へ向かう。どんなに愛していても親から自立する。それが自然界の運命さだめなのだ。迎えに来た後方の群れに、サンシンは鼻をすする。鼻が両方から垂れて袖でぬぐい嗚咽を漏らす。

「ひゅおおん、ひゅおおおうん」

 泣かないで――クラちゃんはサンシンを包み込んだ。

「お前は群れの超立派なボスだ。大出世だな。いかしてるよ。ちゃんと仲間を守れよ?」

 クラちゃんはサンシンの手を引く。

「俺は行けねーよ。わかるだろ? 俺は地球でしか生きられないんだ」

 サンシンは半ベソで下の青い星を指差し、子どもをあやすような語調でクラちゃんを見つめた。

「ひゆううううううんおおおおおおおおおん」

 クラちゃんは傘をプニッと額に引っつけて、名残惜しそうに離れていく。するりするりと、握っていた最長の触手が最後の最後に離れ、サンシンは「あ」と声を漏らす。手が虚空をさまよう。クラちゃんは双子クラゲを連れて群れへ戻っていく。サンシンは一生懸命に手を振った。

「バイバイ、クラちゃん! うううッ! ううううバイバイッ! クラちゃん!」

 老人のように顔をくしゃくしゃにするサンシン。

「バイバイ、クラちゃん」

 場違いな俺も静かに手を振った。

「よくがんばったな。サンシンはえらいぞ」

 背後で見届けていたハクトーはサンシンの頭をなでた。サンシンの感情は決壊して涙も鼻水もヨダレもボタボタ落とした。おんおん泣いた。

「ひゆおおおおおん。ひゆおおおおおおおおん……」

 クラちゃんも別れを告げる。地球を離れ大移動していく群れ。クラゲの形は宇宙に溶け込んで見えなくなり、光だけが天の川のように見えた。それでも鳴き声はよく聞こえた。波音を感じた。何度も。

◇◇◇

 感傷に浸るサンシンをそっとしておいた。「わがまま言ってごめんなさい」と頭を下げる旭さんに対し、おっさんは嫌な顔ひとつせずにYES! 高須クリニックをとどまらせた。サンシンが心境に区切りをつけて降りてくるのを待った。

 家の中はすっかり元通りになっていて、俺たちは夜食にありついた。その中にはアルファルドさんもいた。彼女はずっとふてくされていた。元カレとの通話の件を口にする勇気は1ミリリットルも湧いてこなかった。

「ちゃんとおいしそうに食べないと作った人に失礼だぞ」というハクトーの言葉で場は一瞬凍りついたが、元気を取り戻したおっさんが持ってきたゼリーを食べるやアルファルドさんの表情は穏やかになった。おっさんの手料理は宇宙喫茶のまかないに必要だと思う。

 しばらく談笑を楽しんで、花御堂はいつもの調子を取り戻した。通報されかねない変態的な笑みを俺に見せつけ、店長とアルファルドさんと共に銀河団としての後始末に出かけていった。事情説明のためツカサも同伴だった。店長は「また明日ね」と帰り際にウインク&投げキッスをして、なぜか雉子が「ワッ」と驚きの声を上げた。
 残されたトールとタケは不本意ながらも終電に乗り遅れる前にと帰宅した。ハクトーは食後の紅茶が飲みたいと言い出して、おっさんは意気揚々と湯を沸かし、雉子がレモンを切る。ハクトーはずっと手伝う気がないようだったが、俺に何かを指示するつもりもないようだった。

 そして今。俺は旭さんとふたりきり、操縦室で腹ばいになって地球を眺めている。

 嵐の後の静けさである。あのハクトーの天使の旋律をそれとなく思い出せばとろけてしまい、そばにいる旭さんの存在が、乱れたポニーテールとメイド服というありえない組み合わせと汗のにおいが相まって、幻惑に迷い込みそうになる。

「こんな夜遅くまで、いていいんスか?」

 俺は形式的な言葉を旭さんに投げかけずにはいられなかった。まだとなりに居続けたくて、手を重ねたい衝動に駆られるも、ついためらってしまった。まだ俺の中には騒動の余韻があり、その興奮の対象が彼女へと転換する恐れがあったのだ。触れてしまえば、あっと電流がほとばしり、勢いに任せて襲いかねない……一度そういう考えを巡らせてしまうと余計に意識してしまっていた。

「いいのよ……ねえ、今夜泊めて」
「えっ」
「部屋、空いてるんでしょう?」

 ああ、そういう意味ね。マジでびっくりした……。彼女らしからぬいやらしい声に聞こえてしまっていよいよというところである。空き部屋はあるがそこで一泊となるとおっさんに許可を得た方がいいかもしれない。それか俺の部屋に旭さんを泊まらせて、俺はリビングに座布団を敷き詰めて寝てもいい。

 スカートからのぞくしっか部が、黒のストッキングの下からくっきりと浮かんでいた。どさくさに伝線したらしく、肉感的なふくらはぎがあらわとなっていた。指摘してしまえば脱いでしまう様子が目に浮かんで口にできなかった。
 右にごろりと一回転すればぶつかってしまう距離である。彼女が呼吸で上半身が浮き沈みするのが見て取れる。極めつきには大気の青が透明の床にまで届いてぼんやり明るく、彼女の瞳にはまた小さな宇宙が瞬いているのである。

「俺の部屋でもいいんですよ?」
「それは嫌」

 半ば冗談で言った俺に、色好い返事をしないのが彼女の純情。旭さんはいつもの戸惑いをせず「ウフフ」とはにかみ、とろんと目を細めた。興奮が収まって眠気が襲ってきたのだろう。無自覚過ぎる扇情的な表情を注視できなかった。未成年の俺と違って彼女は成人で、体は成熟して間もない女性であり、処女ならではの恥じらいを秘めている。そんな旭さんの羞恥心が俺にまで伝染して、同様に肩を強張らせてしまっていた。さっきまで呪文を絶叫したり、クラゲと格闘したりしたとは思えない初々しい緊張感だ。

「ねぇ。もしかして落ち込んでる?」
「ウーン……そうですねぇ」

 おっさんは家ごと俺たちを守ってくれた。花御堂は命をかけた。雉子がいともたやすく敵をやっつけた。ハクトーも俺とサンシンを助けた。

「俺マジでなんもしてねぇなーって」

 みんなを支えたいと意気込んでおきながら。以前の俺ならば恥ずかしくて顔から火が出ていたと思う。ムキになっていた自覚もある。その反動で今の俺が覚えようとしているのは空虚感だろう。支えられている人間はこれからも支えられてばかりの人生になるという暗示なのか、ふとアクベンスさんに占ってもらいたくなった。

「オギって頼られたいの?」
「そりゃあ男ならそうでしょうよ?」

 旭さんは「フーン」と吐息まじりに、すこぶる興味なさそうな反応をする。

「頼りない男って嫌じゃないですか?」
「頼りにできない人よりも情けない人の方が嫌い。別にオギは情けなくなかった」
「なんか空気を引っかき回しただけって気がするんですよね。やる気だけあってなんの成果も出さないって、メンタル的にしんどいんですよね」
「オギは経過よりも結果を重んじるタイプ?」
「そういうワケでもないんですけどね。努力さえすればいい結果になるんだったら、結局努力のインフレが起こるじゃないですか」
「だったら頼れるときにガンガン頼っちゃえばいいじゃない。適材適所ってヤツよ」
「そうなんですけどねー……」

 頭では理解しているが心が納得しきれないのだ。

「オギは弱いところを見られたくないのね」
「ンンー」
「それって不公平だと思う。私はオギに泣き顔見せちゃったのに」
「あー……俺もハクトーの前で泣いた」
「そうなの? ずるい」

 下唇をツンと尖らせる彼女に、俺は「ずるいですか?」と笑い混じりに言った。旭さんもつられて静かに笑った。

「夢みたい。私たち、地球を見てる。日本を見下ろしてる。私たち、日本に住んでるのね。泰京はどこかしら?」
「そうですねぇ……」

 旭さんは寝起きのような表情で言葉をつなぐ。

「天使がいて、正義の味方の宇宙人がいて、桃太郎のお供だったかもしれないキジがいて……東京さんも本物の魔法使いだった……私、この家のFが一体何なのか、わかった気がする」

 これがピロートークというやつだろうか。俺は脱力させるのを意識させながら「操縦室じゃ?」と返した。彼女は小さく首を横に振る。

「ううん……“FANTASTIC”のFだったのよ。私の中の現実をオギが破壊した。オギがFをつれてきてくれたのよ。おかげで触発されて……どんどん新たな魔術が生まれてくるような気がしてならない」
「“FANTASY”のFじゃなくって?」
「うん。これが今の私の現実だから。幻想じゃなくて幻想的なのよ。空トンビの幻想的」
「なんか日本語としてどうなんでしょうね?」
「幻想的……ほにゃらら」
「どゆこと?」
「なんでもいいのよ。続きがあるってこと。想像が膨らむじゃない。ムンムンと」
「ムンムンですか?」
「そうだムン」
「酔ってます?」
「かもしれない」

 なるほど、この不自然なまでにエロチックな空気は、Fの部屋の二次的な作用なのかもしれない。この操縦室にいれば、何でもかんでも操縦できてしまい、彼女のあられもない無防備さも、この俺が望んだからによる結果なのかもしれない。幻想的エロチシズムである。

「単なる長い夢だったらどうするんですか?」
「泣く。それはつまりあなたが存在しないということだから。いたとしてもそれは夢物語が構築されるためのモデルにすぎなくて、私とは何の縁もゆかりもない。そんなものを見た自分を呪い殺す」
「すいません、変なこと言って」

 穏やかに言うもんだから、かえって有言実行しそうである。

「俺ってばいつもそうなんですよね。実はこの世界は空想で作り上げたもので、小さい頃の記憶は第三者から与えられたもので、何度も同じ出来事が途中っていうスタートラインから繰り返されているだけであって、実は俺の思考は誰かさんに読まれてて、だからごまかすために脳内ナレーションを……って、シュミなんですよ! ベツに神経症じゃなくて、ちょっとネットで調べた結果が幻想妄想すれすれだっただけで、えっとつまり、幻想妄想っていうのは――」

 自己暗示で仙人を生み出しておきながらすれすれとは笑ってしまうが。とにかく俺の人格の方向性などお構いなしに、少しでも不安にさせたかもしれない申し訳のなさに早口で弁解しようとしてしまった。

「変じゃない」

 その一言で、更なる言葉を失わせる。しくじったと思った。

「変じゃない。Fなんだから。楽しいことも、怖いことも。すべて」

 旭さんは寝返りを打った。彼女の上目づかいのにらみが文字通り目前にあった。俺はその飴色の眼光と薄らと開けられた唇にすくんだ。デートの日はほんのりピンクだったが、今日はリップクリームを塗っただけのようだ。しかし、本来の赤みが強調されて……。

「チンユーシュツ、ゴウユーシュツ。キユーキューイン」

 彼女は口実を低く唱え、俺にキスをした。それから勢いよく反対側に寝返りを打った。白いうなじが丸見えにもかかわらず、上の階に天使がいることへの背徳感か、俺は吸いつくことはなかった。

「次は呪文がなくてもできるといいですね」

 冷静な声を出すことができた。旭さんはか細く「うん」と返事をして身じろぐ。けして心地よくはなかった、ハンコのように押しつけただけのキスは一生自分だけを愛するよう仕向けられた契約……呪いのように思えた。きっと当分の間、彼女自ら呪文を唱え誘うまで、手を出すことをはばかるに違いない。

「旭さん」
「何?」
「旭さん」
「そう何度も呼ばないで……照れるじゃない」
「好きですよ」
「う」
「好きですよ、本当に」
「わ、わかったから。何度も言わないで」

 旭さんは必死で小さくなろうとしている。やっぱりおもしろい。

「ふふふ」
「笑うのも禁止よ」
「ちゃんと口に出さないと伝わらないと思ったんで。人間の特権じゃないですか。無限にある言葉の中から選ぶことができるんですよ?」
「求愛が自然界より難解になったせいよ。ミルクパズルのようにね」
「俺たちは奇跡のようにぴったりですよね」
「はなれちゃ嫌だから……。私も好きよ、本当に。そういうロマンチストなところもね」
「旭さんも結構ロマンチストですよね」
「魔術師はそうでなければいけないの」
「俺も素質ありますか?」
「アシスタントとして雇ってあげる。野垂れ死にはさせないから」

 恥じらいは消え、いつもの余裕が戻ってきたようだ。彼女がいればまた落ちぶれそうになっても引っ張ってくれて、どこまでもやっていけそうな気がした。これは幻想的ロマンスだろうか……。

つづく
次回 最終回


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