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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」10   張赫宙と金史良(その12)

↑ ヘッダー写真:wikipedeia「朝鮮戦争」より(パブリックドメイン)*

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張赫宙チャンヒョクチュ金史良キムサリャン──在日朝鮮人文学の嚆矢(その12)


12 張赫宙の戦後


 戦後、妻と5人の息子を抱えて、書くことしかできない張赫宙の作家としての動きは早かった。
1946年12月『孤児たち』を萬里閣から、翌年12月には『ひとの善さと悪さと』を丹頂書房から出版した。
 『孤児たち』は、東京空襲で孤児となって上野界隈にたむろする少年たちを描いた。張赫宙は日本の敗戦に無条件で歓喜することなく、被害者になった戦災孤児たちの姿をありのままに描こうとした。

 しかし戦前親日的言動の多かった張赫宙に在日朝鮮人社会は厳しかったに違いない。

 1947年高麗神社のある日高町に妻野口桂子とともに移住した。早婚していた朝鮮の妻はその後死亡している。

 1950年6月25日朝鮮戦争が始まり朝鮮民族を南北に二分した戦争が始まった。張赫宙は、1951年米軍機に便乗して朝鮮戦争を取材した。人民軍に随行した金史良とは反対の立場にあった。

 翌年には2度目の取材にも行き、1952年5月、朝鮮戦争を描いた『嗚呼朝鮮』を張赫宙名で新潮社から出版した。
ソウルに住むキリスト教信者で裕福な中流家族が戦乱に巻き込まれ、その家の息子聖一は人民共和国の義勇軍に徴用されてしまう。その後、聖一は逃げ出すが、今度は韓国軍の部隊に放り込まれたり、また逃亡したり、また逮捕されて孤島に囚われたりする。

 この頃、金達寿許南麒は朝鮮民主主義人民共和国を支持する立場をとったが、張赫宙は朝鮮民主主義人民共和国も大韓民国も支持できなかった。
朝鮮の北も南も支持できず、どちらからも非難される立場にあった張赫宙は追い込まれ、1952年10月帰化申請して妻の姓野口を名乗るようになる。

 『嗚呼朝鮮』が「張赫宙」名で書く最後の作品となった。次の『無窮花』(1954年6月、講談社)は「野口赫宙」名で発行した。帰化して「野口稔」となるがペンネームは「野口赫宙」として旺盛に執筆した。

 1950年代後半以降は主にミステリーなどのエンタテインメント小説を続々と発表するベストセラー作家だった。
 1975年に自伝的小説『嵐の詩』(講談社)を発行して後は、文明論的ノンフィクション『韓と倭―天孫民族はどこから来たか』(1977年 講談社)や『陶と剣―秀吉の朝鮮出兵と陶工大渡来』(1980年 講談社)、『マヤ・インカに縄文人を追う』(1989年 新芸術社)などを出版した。

 1991年には湾岸戦争の取材をするなど行動的だった。晩年は英文でも小説を書くなど旺盛だったが、1997年に91歳で永眠した。

→ 「張赫宙と金史良」(その13)へつづく

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*ヘッダー写真:朝鮮戦争。米軍の仁川上陸
(この著作物は、アメリカ合衆国で1931年から1977年の間に発行され、それに加え、著作権表示がされていなかったため、パブリックドメインの状態にあります。)
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◆参考資料


*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。

◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
著書に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)。『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)は、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!


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