林浩治「在日朝鮮人作家列伝」10 張赫宙と金史良(その8)
↑ヘッダー写真:真珠湾攻撃
撮影者:不明 - Official U.S. Navy photograph 80-G-21218 from the U.S. Naval History and Heritage Command./パブリックドメイン
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張赫宙と金史良──在日朝鮮人文学の嚆矢(その8)
8 金史良逮捕される
金史良が6歳年下の金達寿と会ったのはこの頃だった。金達寿は『文藝首都』の会合のあと保高徳蔵らと二次会で深酒した金史良を鎌倉の下宿に送って、そのまま泊まった。酔い覚ましに五右衛門風呂に二人で入ったあと、金史良は執筆を始めた。
その翌日が1941年12月8日、日本軍が真珠湾を奇襲攻撃した日だ。
そして金史良は9日の早朝、思想犯予防拘禁法によって検挙され鎌倉署に留置された。そこで従軍作家として南方に行くように強要されるが拒否したという。
その後、保高徳蔵、島木健作らの尽力によって翌42年1月29日釈放された。釈放の条件としては時局協力、自由な執筆禁止と「文章報国」だった。
翌月には朝鮮の平壌府に引っ越したが、日本で要注意人物として睨まれていた金史良が朝鮮で自由なわけがない。
既に朝鮮では、「帝国の忠良なる一部としての朝鮮」を創出すべく「内鮮一体」の文化運動が盛んで、朝鮮文壇からの「皇軍慰問派遣隊」が派遣され、また、「朝鮮文人報国会」が設立されていた。
朝鮮近代文学の祖と言われる李光洙は、朝鮮的なものを根こそぎ棄てて日本人にならねばならぬと言って「内鮮一体」を進める立場をとっていた。
10月には、朝鮮語学会に対する弾圧事件が起こり、数十名の学会員が検挙された。後に「朝鮮語学会事件」と言われた。朝鮮独自の言語、文学、文化は破壊されていった。
この頃、裕福なクリスチャン家庭だった金史良の実家は、アメリカと内通しているとの口実で弾圧されていて、客が訪れても食事を出す余裕がなくなっていた。
4月、第2小説集『故郷』を京都の甲鳥書林から出版するが、43年、雑誌『国民文学』に「太白山脈」の連載を始めるまで、新たな作品は1年に渡って書いていない。

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◆参考資料
*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。
◆著者プロフィール
林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
著書に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)。『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)は、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!
