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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」10   張赫宙と金史良(その5)

↑ヘッダー写真:『文芸首都』12(9),文芸首都社,1944-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12893455

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張赫宙チャンヒョクチュ金史良キムサリャン──在日朝鮮人文学の嚆矢こうし(その5)


5 朝鮮人作家『文藝首都』と出会う



 改造懸賞小説入選で山本実彦改造社長の招待晩餐会に臨んだ張赫宙は、そこで保高徳蔵やすたかとくぞうに出会った。保高は朝鮮にいたこともあり張赫宙に好意を持った。
プロレタリア文学最盛期に純粋文学の発表機関を求めた保高徳蔵は、新たに季刊文芸誌『文学クオタリイ』を発行、張赫宙の第3作「迫田農場」はこの第2輯(1932年6月)に発表された。分厚い『文学クオタリイ』は第2輯で終刊となり、月刊の『文藝首都』が1933年から1969年まで発行された。

文学クオタリイ社 [編]『文学クオタリイ』2,文学クオタリイ社,1932-06.
(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1480918
小平麻衣子『文芸首都 公器としての同人誌』翰林書房、2020年


 『文藝首都』からは、その後、張赫宙、金史良、金達寿、尹紫遠、金泰生、金石範など多くの朝鮮人作家たちが輩出された。

 日本語小説で日本文壇に位置を占めつつあった張赫宙だが、朝鮮語での執筆もし出版もしていた。日本と朝鮮を行き来していたのだ。

 初期の作品群は伏せ字が多く読みにくい。それだけではなく、朝鮮での教員経験を生かした教師ものの小説「奮い立つ者」(『文藝首都』1933年5月』)は発禁になってしまった。
前述したとおり『文藝首都』は純粋文学のよりどころだったのだが、張赫宙のために発禁となってしまった。この悔いは、同じ教師ものである次作「権という男」(1933年9月号)で社会問題に触れず心理描写中心の小説にするというかたちに表れた。
 この点について張赫宙は『文藝』1934年4月に掲載した「我が抱負」で、朝鮮民族のおかれた実情を訴える作品を書く自由を完全に封鎖されていると、日本社会の警察国家化が進む実情を言い、プロレタリア文学を放擲しようとは思わないが、先天的芸術が自分を占領しているので、人間の社会生活の奥にひそんだものを見極めたい、と書いている。プロレタリア文学を書くと拘束される危険があるので純粋文学に進むと宣言しているのだ。

 この間に『権という男』(1934年6月 改造社)、『仁王洞時代』(1935年6月 河出書房)を出版し、改造社の山本実彦社長を案内して朝鮮を旅した。そして「文壇のペスト菌」(『三千里』1935年10月)で朝鮮の文壇を批判して物議を醸した。

南富鎭・ 白川豊 (編集)『張赫宙 日本語文学選集』作品社、2022年


 
 1936年、後に「二・二六事件」と呼ばれる、皇道派の陸軍青年将校らが政府要人を襲撃するクーデター未遂事件が発生した。
 この年、張赫宙は東京に定住した。

 翌年春、東大に在学中だった金史良張赫宙を訪ねる。二人の邂逅であった。


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◆参考資料

*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。

◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
著書に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)。『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)は、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!


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