最速上映&公開初日朝イチ回、2回ブッ続け鑑賞!!『プロジェクト・ヘイル・メアリー』映画感想文
宇宙はあたたかった
ロード=ミラーは、映画界のレノン=マッカートニーだ!!そこに最高なゴズリングが加わることで、ビートルズ級の化学反応が起こっていた
失敗から逃げてばかりの落伍者や臆病者が世界を救う。大切なものがあれば、人は勇敢になれる。映画化に際して印象に残ったのが、人に助けてもらうということ。原作よりもその点がより前面に出て強調されている気がした。それは、ストラット(全政府)側のカールから始まる。そう、何もすべて一人で答えにたどり着いたり、解決する必要はない。
これぞ映画の魔法だ!一番好きなトーン、作風。なんでこんな大事なことに1度目(最速上映)では気づけなかったのだろうか?…と自分で不思議に思うくらい。理論(頭)じゃなくて気持ち(心の底)から好きと言える。小説でも映画でも、別のアプローチ(だけど根幹は変わらない)で特別な体験をもたらしてくれた。号泣とまではいかないけど、最後にはウルッときてしまった。よっしゃ!
地球のお手玉は溶岩にもなる=未来か終末か?ロッキーが船に乗り込んでからのあれこれをグレースが語る自撮りビデオレターシーンで着ている「I HAD POTENTIAL」Tシャツ。こんなところでまで、当初の夢をあきらめた主人公を描写するなんて、アイテム使いもニクい。
語り口は優雅でユーモラス、詩的そのもの。小説にあった科学的プロセスを大胆に削ぎ落としたSF友情ドラメディ大作に、驚き 驚き 驚き 表明。よくここまで原作の核となる部分や幾多もの要素を巧みにまとめたなと思う。薄味になりかねないところもテンポよく組み立て直していたし、ハリウッド的な三幕劇としてもきれいにまとまっていた。目に動きを検知。サンドイッチするブックエンド方式も。
その過程ではもちろん原作からの改変もある。例えば、原作ではロッキーが自身の食事シーンを他者に見せるような行為ではない(ex. 排便のようなもの?)としているのに対して、映画ではグレースの食べ方を汚いとし、自身の食べ方を優雅であるといった具合に自信満々に披露するのが笑えた。…と、エリディアンの文化をアメリカナイズド(ハリウッド化)しているかもしれないし、時にそれはご都合主義的にもなりかねないわけだけど、本作には効率の良さと人間らしい温度感が同居しているようでもあった。
ロード=ミラーは、映画界のレノン=マッカートニーだ!!とりわけ本作は原作を読んだ時点で絶対に適任だとは思ったけど、実際に観た印象は、ある意味で想像以上だった。つまり、『21ジャンプストリート』(や『レゴムービー』)から変わらない、得意とするバディものブロマンス的な要素がある作品で、コメディとドラマを絶妙なバランスで織り交ぜては、さっきまであんなに笑っていたのに気づけば感動してしまっている…ということになる、真に優れた語り手だけが許された普遍的な「映画の魔法」だ。
そこに最高なゴズリングが加わることで、ビートルズ級の化学反応が起こっていた。ふたりの手腕が確かで、演出が素晴らしいことはお墨付きだけど、やっぱり主演の演技次第では、本作はサブくて観ているのがツラい時間になっていただろう。ところが、ゴズリングの遺憾無く発揮された圧倒的なまでのコメディセンス(コメディアンっぷり)と、胸打つドラマ演技を"壁"なく自由(スムーズ)に行き来できるカリスマ性が、本作をあたため絶えず動かすエンジンとなっていた。ゆえに観客はダレることなどなく、スクリーンに釘付けになる。
目を見張り、とことん見惚れ酔いしれてしまう美しい撮影。角度をつけたカメラワークは宇宙というばかりか世界や物事、自分自身に対する(時に厳しい)見方すら、別の見方もできるということを表しているようでもあった。当たり前や常識、固定観念を疑えと言わんばかりに。右は左、ノーはイエス、そして一人の寂しさと勇敢さみたいな「あべこべ」。独り者たちの特攻ミッションなのに、「また会える」。Sign of the TimesにTwo of Usなど選曲もピッタリ。
光の速度は?本作における第三の主人公と言っても過言ではない強烈キャラであるはずのストラット役ザンドラ・ヒュラーが、彼女史上一番かわいかったかもしれない?原作での緊急事態化の正義や正当化を問いかけ惹き込まれるような衝突は、もっとやさしい形でグレースとの信頼関係・連帯(ある種の戦友)の友情に置き換えられていた。
宇宙(現在)パートと地球(過去)パートでの画角の変更で、宇宙の広大さを表しながら、同時に孤独も際立たせるようでもあったし、地球パートは上下にマスクができることで思い出している記憶感もあった。光の速度は?
Grace Rocky save stars.
Fist my bump. ジャズハンズ
P.S. 最速上映IMAXで観て、始発で帰って仮眠して、また別の映画館で朝イチ(というより昼前)の回をIMAXで観るなんて、どれだけ好きなんだおれ。けど、本作は2度観てよかったなと本当に思った。今では、最初からこうなる運命だったんじゃないかと思いすらする。
【最速上映】
重力くらい避けられない、例外なく観客を惹きつける完全なるゴズリング劇場!原作通りグレースが目覚めて、わけも分からぬまま船内探索する冒頭からの一連のシーンが魅惑的だった。
だけど、そこからロッキーに出会うまでアストロファージで飛ばしたのかってくらい光速で駆け抜けていて、用語や設定など原作未読の人がこれを観て内容をどれほど分かるのだろうかなと思った。本作には原作の魅力であった「問題 → 仮説 → 検証 → 失敗 → 再仮説」という科学的なカタルシスはほとんどゼロで、結果だけが提示される。過程が抜け落ちていて、否めない総集編感。
その代わり、小説に比べて短い限られた時間で共感させる必要のある映画的なアプローチとして要らない部分を足すことが要る。一見くだらない要素が、情緒になるフィル・ロード&クリストファー・ミラーらしい味付けで、全体的にどこか軽い(けど、あたたかい=軽快な)印象に。原作が知的好奇心を刺激するのに対して、今回の映画化はそれを子ども版に翻訳した感じ。
宇宙は広い。本作に限らず、原作ありきの映画化には取捨選択が付き物。同じくアンディ・ウィアー原作『オデッセイ』は主人公が一人だったのに対して、本作は異星人との交流からの友情という、それだけで間違いなく1本の映画になるだけの要素があるから。グリーンバックを使っていないという映像美で惹き込まれた。船外活動など、宇宙シーンは圧巻!!
小説では科学的プロセスが物語を前に転がし、その中でキャラクターの抱える葛藤や友情が育まれていくわけだけど、今回の映画化に際して科学的な側面を大胆にカットするという英断で、代わりに友情に全振りする構成は、映画として非常に合理的。ただ、そうした科学的な側面にワクワクしまくっていた自分としては、正直少し残念だった。
後頭部が寝癖みたいにボサボサと立った無造作ヘアっぽいスタイリングが、グレースのキャラクターをよく表していた。一方で、ロッキーが「○○、質問?」っていう"あの"皆真似したくなるロッキー構文以外で、ふつうに質問しているときが何度かあって気になった。
ストラットがせっかくのザンドラ・ヒュラーという最高の適材適所っぷりなのに、映画版のキャラクターが薄くて、原作の独裁者か救世主かわからないカリスマ性溢れる強烈キャラっぷりが出ていなかった。むしろ薄味。あと、地球のその後は見せないほうがいい。
P.S. 隣の席の比較的大柄で人の出入りの際にも絶対に動かない人が本編中、指カタカタと声出しで、イライラした。





