「パパ、ごめんね。」——あなたは今、なんのために働いていますか。
第1章|崩壊寸前だったあの頃
入社3年目で、リーダーになりました。
会社としては異例の昇格だったと、後から聞きました。
上司からは「兄貴的な優しさ、実行力、目標に向かって突っ走る姿勢が評価された」と言われました。
素直に嬉しかった。認めてもらえた気がした。
でもその感覚は、あっという間に消えました。
今まで、自分の成績だけを追ってきました。
でもリーダーになった瞬間から、部下の成績にも責任を持たなければ、という気持ちが強くなりました。
部下から「納期が間に合いません」と相談が来る。
放っておけない。夜中まで、部下の仕事を一緒に捌く。
それが、日常茶飯事になっていきました。
でも、私自身も、難易度の高い案件をたくさん抱えていた。
部下をフォローすればするほど、自分の案件が滞る。
気づけば、休日に仕事するしかない状況になっていました。
そのころの私のマインドは、こうでした。
「俺が寝んかったら、ええんやろ」
完全に、スポ根状態でした。
帰宅は毎日22時を超え、自宅にPCを持ち帰り、会社に隠れて夜中まで仕事をこなす。
休日もPCを開く。部下には残業を強要してしまう。
それでも、チームの売り上げ目標には、程遠いまま。
「何やってんねやろ、自分」
そう思いながらも、止められなかった。
止め方が、わからなかった。
家族を幸せにするために働いている。
そう信じていました。
でも今思えば、あの頃の私は——
働くことから、逃げられなくなっていた。
それだけでした。
それに気づかせてくれたのは、5歳の娘でした。
第2章|「パパ、ごめんね。」
3月の、ある日曜日のことです。
大型案件の納期が迫っていて、朝から自宅の書斎でPCに向かっていました。
娘はいつもなら、隣でお絵かきをしたり、ネトフリを見たり、おとなしくしてくれています。
でも、その日だけは、違いました。
「パパ、あそんで」
「パパ、あそんでよ」
「パパ——あそんでよ」
何度も、何度も、せがんでくる。
私の中で、イライラが積み上がっていきました。
納期が迫ってる。数字が足りてない。時間がない。
そして私は、言ってしまいました。
「うるさいんじゃ、あっち行け‼」
叱ったんじゃない。
しつけでも、注意でもない。
完全に、自分の中に溜まっていたものを——
まだ5歳の、我が子にぶつけた。
娘は、泣きませんでした。
でも泣きそうになりながら、こう言って、部屋から出て行きました。
「パパ、ごめんね。。。
いつもお仕事、頑張ってくれてありがとう」
私は、言葉を失いました。
自分の娘に、何て言わせてんねや。
家族を幸せにするために、働いてるんちゃうんか。
その夜、眠れませんでした。
妻には情けなくて、言えなかった。
いつも、妻と娘の3人で、同じベッドで寝ています。
娘の寝顔を見ると、胸が苦しくなった。
抱きしめたい衝動に駆られた。
でも——そんな資格、自分にはない。
そう思って、ただ、自分を責め続けました。
今思えば——
娘がその日だけ、しつこくせがんできたのは、
きっと、私の異変を見透かしていたからだと思います。
子どもって、全部見えてるんですよね。
言葉にはしないけど、感じ取っている。
あの子には、パパが壊れかけていることが——
ちゃんと、わかっていたんだと思います。
それから、1週間後。
なんとか有給を取得して、娘の年中最後の発表会に、妻と行きました。
緊張しながらも、一生懸命お遊戯する娘。
最後に、クラスのみんなで歌を歌ってくれました。
一生懸命歌う娘の姿を見ていると——
涙が、ポロポロと、止まらなくなりました。
今のままじゃダメだ。
何か変えないと、家族を幸せにできない。
そのとき初めて、本気でそう思いました。
でも、その直後に、私の心を完全に折る出来事が起きました。
第3章|適応障害という現実
発表会から帰った私は、開業という選択肢を、本気で考え始めていました。
このままじゃ、いけない。何か変えなければ。
その気持ちだけは、はっきりしていました。
でも現実は、そんな私をあざ笑うかのように動いていました。
以前から着手していた、大型案件。
娘を怒鳴ってまで、休日も夜中も必死にやり続けていた、あの仕事が——
納期に、間に合いませんでした。
その瞬間、頭の中で、ひとつの言葉がぐるぐると回り続けました。
「娘にあんなこと言わせてまで、やっていた仕事も、間に合わんかった。
何してんねやろ、、、」
翌週の、月曜日。
社内チャットに「しんどい」と打って、会社を休みました。
火曜日も、同じでした。
「心療内科に行く。連絡してこないでくれ、しんどくなるから」
そう打って、病院へ向かいました。
とにかく今の自分が、どんな状態なのか、専門家に判断してほしかった。
先生は、30分以上、話を聞いてくれました。
仕事の業務過多のこと。
家族のこと。
娘に、酷いことを言ってしまったこと。
全部、話しました。
先生は、こう言いました。
「1人で、よく頑張ったね。
でも、あなたは1人じゃないんだよ。
もっと、あなたの周りに誰がいるか、考えてみて。
あなたの敵じゃない。絶対に、あなたの味方だよ」
その言葉を聞いた瞬間、真っ先に頭に浮かんだのは——
妻でした。
口うるさくて、文句も多い。
でも今回だけは、何も言ってこなかった。
きっと、私から話してくるのを、ずっと待っていてくれていたんだと思います。
適応障害、1ヶ月の休養を要する。
診断書を受け取り、会社に連絡しました。
会社からは、診断書の通り、休暇を取るよう指示を受けました。
第4章|娘と過ごした日々が、私を変えた
妻に、長期休暇の話をしました。
その時も、何も言わなかった。
ただ、そばにいてくれました。
何日か休んで、気持ちが少し落ち着いてきたころ。
妻に、全部話しました。
会社を辞めたいこと。
独立開業を考えていること。
家族との時間を、大切にしたいこと。
でも、今の生活水準は落としたくないこと。
妻は、肯定するだけじゃなく、客観的に聞いてくれました。
そして、こう言いました。
「焦らんでいい。しっかり療養して、会社に復帰してからでも遅くないんちゃう?
まずは、働き方の考え方を変えてみたら?
——なんのために、仕事してるの?」
私はすぐに「家族のため」と答えようとしました。
でも、口ごもってしまいました。
どうすることが、本当に家族のためなのか。
お金を稼いで、生活費を入れることが、家族のためだと思っていた。
でも今回、その「家族のため」が——
家族との時間を、全部奪っていた。
自分でも気づいていなかった矛盾に、やっと気がつきました。
収入は、大切です。
でもそれは、目的じゃなく、手段でしかない。
一緒に過ごす時間の方が、プライスレスだった。
休養中、娘と一緒にいる時間が、とても増えました。
朝、一緒に歯磨き、顔洗い、朝ごはん。
お昼も、晩も、一緒にご飯を食べる。
ボール遊び、縄跳び、鬼ごっこ、ごみ拾い。
玄関先にピクニックシートを敷いて、お昼寝。
焚き火、バーベキュー。
何でもない日々が、こんなに温かいものだったんか。
そのことに、私は初めて気がつきました。
そしてある日、ずっと言えていなかった言葉を、娘に伝えることができました。
「あの日、怒鳴って、ごめんな」
娘は「うん!」とだけ言って、またボールを蹴り始めました。
それだけでした。
でも私にとっては——
父親として、リーダーとして積み上げてきた、
しょうもないプライドが、全部剥がれ落ちた瞬間でした。
5歳の娘が、「等身大」という言葉を教えてくれました。
第5章|なんのために、働いてるんやろ
5月11日、職場に復帰しました。
完全に元通りでは、ないけれど、
あの時間が、私の中に、確かなものを残してくれていました。
妻に言われた言葉が、今も耳に残っています。
「なんのために、仕事してるの?」
あのとき、すぐに「家族のため」と答えようとして、口ごもった私。
今なら、わかります。
お金を稼ぐことばかり考えて、
肝心の家族との時間を、自分で潰していた。
収入は、大切です。
でもそれは、目的じゃなく、手段でしかなかった。
一緒に過ごす時間の方が、ずっとプライスレスやった。
「あの日、怒鳴って、ごめんな」
そう謝れた日から、私は少しずつ、肩の力を抜けるようになりました。
いいパパじゃなくていい。
立派なリーダーじゃなくていい。
等身大の自分で、目の前の家族を笑わせる。
それだけでよかったんやと、5歳の娘が教えてくれました。
私は今、開業を目指しています。
家族との時間を大切にしながら働くために、何ができるか。
その答えを、探している途中です。
焦らず、ぼちぼち。
家族という花を咲かせる、いい土になれるように。
最後に、これを読んでくれている、あなたへ。
あなたは今、なんのために働いていますか。
もし答えに、少しでも詰まったなら——
一度だけ、立ち止まってみても、いいのかもしれません。
無理を、しすぎてしまう前に。
読んでくれて、ありがとうございました。
しんどい話を書いた日も、家に帰ればこんな会話をしてます。
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ここまで読んでくださって、おおきに。
いただいたチップは、娘との「100のやりたいこと」を叶える資金にさせてもらいます。かき氷とか、その辺に消えます笑
スキだけでも、ほんまに嬉しいです。