わたしたちを縛っているものは【note感想文】
今回のnoteは、「あなたの渾身のnote、応援します!」企画にご応募いただいた、ひいろさんのnote感想文です。
メンバーシップに入っていただいているひいろさんですが、目指している世界が思っていた以上に近い気がしています。
今回のnoteも正にそんな記事の一つでした。
▽感想企画は、明日2/14(金)まで受け付け中です!企画概要note▽
▽今回、感想を書かせていただいた、ひいろさんのnote▽
狭い世界が苦しめる
今回のひいろさんの「渾身のnote」。正に、渾身のnoteでした。
恐らく、わたしが旧態依然の考え方として、最も憤りを覚えるものはこの分野の話です。
そして、なぜこれほどまでに心の奥底が震えるのか、順を追って振り返ってみたいと思います。
育児・家事の不平等さと、許されない不得手
今回のひいろさんのnoteは、いわゆるワンオペ育児に関するお話です。
その社会背景について、具体例を挙げながら考察されているのですが、核心は後半です。
SEKAI NO OWARIのSaoriさんの本から引用されている部分に衝撃を受けました。
子育ては「向いていない」と言うことが許されず
自分で何もかもしなくてはいけない、
できなくてはいけないと思われがちだ。
藤崎彩織さんの「ねじねじ緑」の引用抜粋部分からさらに一部抜粋
生きづらさを、生きやすさに
わたしとひいろさんが共通している部分は、この考え方です。
苦手なことやどうしてもできないことに無理に挑戦しなくていい。
自分が得意なことや身を削り過ぎないでできることで生活が成り立てるようにどうやっていくか。
わたしが見たい世界はそうしたものです。
ですが、今回のひいろさんのnoteを読んでハッとしました。確かに、子育てについては「うまくできない」=親の資質を問われ、人として非難されます。
「苦手なことは苦手なことでしょうがないよねー」ということが通用しない分野として凝り固まってしまっているのです。
同調圧力と窮屈さ
今回の話を受けて、真っ先に思い出したのは所属しているコミュニティの「広さ」という話です。
わたしの長男は小学生のとき、児童相談所や警察のお世話になっており、パートナー共々かなり頭を悩ましていました。
ですが、現在中学生になり、過去の清算もしつつ、人が変わったように精力的に活動しています。当時の話を長い時間かけて聞いてわかったのは、コミュニティの狭さによる閉塞感であり、窮屈さでした。
小学校では、その教室内における立場や人間関係は、絶対に近い価値観を伴っています。
もちろん、それは人によっても感じ方は異なると思いますが、わたしの長男が大人の目から見ると説明がつかない行動に走ったのは、「友だちから仲間外れにされたくない、クラスメイトからどう思われるか」という気持ちに強く縛られていたからだと本人は言います。
中学に上がり、複数の小学校出身者が統合され、部活というコミュニティも加わり、さらに授業で学んだ親友や仲間という概念で救われたそうです。
いや、息子よ、キミの親は二人とも「友達100人はいなくていい派」ですぞ(笑)
▽考え方が一致しすぎてドハマりしたマンガ『僕は友達が少ない』について、アツい想いをまとめたnote▽
それぞれが輝ける、笑顔でいられるために

恐らく、ここまで大きい主語のことを明言したことはありませんが、わたしが望む究極の形はこれです。
それぞれが自分にあった生き方をするのが理想だと思っています。しかし、それには「選択の自由」が不可欠です。そして、これには大きく2つの要因が関係していると思いました。
①周りの反応
「周りがどう言おうと、気にしなければいいじゃん」とわたしは長年思っていました。ですが、そんなわたしも適応障害になりました。
わたしが学生時代に傍若無人でいられたのは、勉強がある程度できることによる安心感があったからでした。現に、社会人になってからは長らく成果が出せず自己肯定感を削り続けていました。
ですが、応援してくれる人や、応援までせずとも「否定しない」人が多ければ多いほど、自分の選択がしやすくなるはずです。最近は職場でも重視される「心理的安全性」という話ですね。
これを妨げるのは、人にまで「〇〇すべき」や「普通は〇〇だよね」という、自身の考え方しか知らない人たちです。
とは言え思います。そこに憤りを強めると、それはそれで自分の眼鏡でしか見ない人と同じになってしまいます。
だからこそ、わたしは自分の意見を押し付けたり、相手の背景を探りに行こうとしない人は苦手です。
ただ、これも先ほどの自身の特性と同様の話で、考え方が近い人たちとの時間を大切にするようにすることで、心理的安全性が高まっていることを身をもって痛感しました。
適応障害から復職して落ち着いた頃、わたしがやったのは、利害関係よりも「また会いたい」と思う人に連絡を取ることでした。かと言って、「合ないな」と思った人も敵対視したり、過剰に避けることはしませんでした。ですが、もちろん、仲良くもしません。
②自身の行動
実は、①と②はお互いに相関関係があると思っているのですが、同時に自身の行動も重要です。
印象的だったのは先日紹介したそよそさんのご経歴でした。
▽そよそさんのnote感想文▽
学生時代の立ち回りに限界を感じたそよそさんは、海外に行くことで日本のコミュニティがすべてじゃないことがわかり、かなり気が楽になったと書かれています。
フラットな目線を持っている方は、広い世界を経験していることが多く、それは他の国であったり、他の会社であったり。他のコミュニティ経験というのは、コミュニケーションのリテラシーという観点で非常に重要な要素なのかもしれません。
そして、自身の心理的安全性が高まると、より自分の心に沿った選択ができるようになります。それが出来ると周りに否定する人が少なくなっていき、さらに心理的安全性が高まるという好循環が生まれます。
それはもちろん、イエスマンを周りにたくさん置くという話や、波風を立てないおとなしい人に囲まれるという話ではありません。
例えば、わたしで言えば、
・丁寧な時間を大切にしている方
・相手の背景を知ろうとする方
・教養に関心がある方
・紙の本が好きな方
などがその一例です。
それは目指す方向性や意見が違っていても、前提となる部分で重なり合っている部分が大きいということを指します。そして、それは「重なり」として表現されるように、自身の円を大きくすればより多くの方と重なりを見出すことができるかもしれません。
旧態依然の体制を壊すための一つの方法

ですが、この育児や家事の話に関しては、それだけではまだ足りないと思っています。
そもそもの仕組みにも問題があるからだとわたしは考えています。
共働きを前提としていない制度。また、「平等」を重視しても、男性が出産そのものを請け負うことはできません。育児でも母乳をあげることはできません。
しかしながら、育児すべて、家事すべてを一任する理由はなんでしょうか。
それは、過去は収入を得る側と、守る側に分けることが一般的だからでしょう。ですが、時代は変わりました。とは言え、女性のキャリアプランを描くのは容易ではありません。はっきり言えば、女性が男性と同じ水準の給料を得る道はまだまだフェアではないほうが主流に感じます。
ですが、必ずしも「壊さなくてもいいかもしれない」というのが、私が考えていることです。わたしが自分の手の届く範囲でその世界観を実行すればいいわけであって、そうすると、少なくても自分の世界ではそちらがスタンダードになります。
その動きが世の中に少しずつ浸透すれば、昔ながらの意見は肩身が狭くなるというのがわたしの考えです。
アートに興味を持ってから、美術館に興味がある人がこれほど多くいることを知りました。もちろん、その方がすべてとは言いませんが、仲良くなりやすい方がスポーツ好きな人とどちらが多そうかは、わたしにとっては前者です。
女性活躍を掲げ、女性メンバーが主体の企業も増えています。働くママさんを応援して仕事を提供する企業も増えました。あるいは、わたし自身はライティング畑にいるので、男女で支払うお金を調整する必要がありません。
ということで、締めくくりはごくごく一般的な話ですが、誰かを憎むよりも、自分が心地よい空間・コミュニティに身を置く時間を増やしたほうが幸せになりやすい。そんな風に思っている今日この頃でした。
ひいろさん、わたしが今まで名言するのを避けていた世界観について、しっかり語るきっかけをいただいてありがとうございました!
また、いつも記事のご紹介ありがとうございます。
何より、わたしがnoteを始めたばかり&フォロワーも少ない弱小アカウントのときから、2人目という形でメンバーシップに入っていただき、本当にありがとうございました。*今もまだフォロワーがメチャメチャ多いアカウントではありませんが(汗)
ひいろさんの描くキャラクターのように、自分のスキな世界に自由に羽ばたける人が少しでも増えたらと今日も願っています。
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