【リィさん創作大賞感想】なんでこんなにも勇気をもらえるんだろう
今日は、彩野リィさんの創作大賞2025 エッセイ部門の応募作品『社交辞令が回した歯車』の感想文です。
余談ですが、少し体調を崩してから徐々に実践する毎日ルーティーンを戻していっていました。ただ、それでもなかなかnote記事を書けなくて、今日のnoteどうしようかなと1日悩んでいました。
そんななか、色々な方のnoteを読む中で、すっと書き始めていました。リィさん、心を動かしてくれる素敵な作品を改めてありがとうございます。
それは、最初のスクランブル交差点なんだと思う

大学生活。
志望通りの大学に入った人。第〇希望に入った人。
高校までは圧倒的に違う自由。
「青春」とはちょっと違う。もう青よりは色は濃くなった。
でも、希望通りのところに入った人でも、やっぱり、多くの人の胸に大きな不安はある。そこに入ることをひたすら夢見ていたけど、その先のことはあまり知らないから。
もちろん、必要だったら調べることはできた。既に大学生の人に聞いて解像度を上げている人もいるかもしれない。
でも、やっぱり、楽しみだけど、不安も大きかった。
それは、現役で1校しか受からずに選択肢はなくそこに入ったわたしも一緒だった。大学生になった後、なんて知らない。
バイトもできる。車の免許を取った友だちもいる。恋愛やその先だって経験豊富な友だちもいる。コソソコしなくても、お酒もタバコも問題ない。
しかも、今までの学校生活を知る人間は少ないし、確かめようもない。
それは、高校生の時に初めて渋谷駅を降りて、スクランブル交差点を前にしたときみたいだった。
これが、いつもテレビで見たいた光景。どこのお店に行ってもいい。坂を上って道玄坂のほうに行ってもいい。そのままマルキューに行ってもいい。結局マルイに行く?あそこのTSUTAYAは行ってみたい。
大きな可能性と大きな自由。そして、それを満喫できるだけのチカラも今はある。でも、そんな無限に見える可能性と一緒に、大きな不安もある。
どこかに行くということは、行かないところを選ぶということでもある。
さらに言えば、その先のことはもっともっと大きな不安だ。
わたしのキャンパスライフの初期は、とにかく腹の探り合いみたいなカンジだった。とにかく大きな人数で行動してて、少しずつグループに分かれていった。新卒の学部ならではかもしれない。
そんな大きな期待と、心に広がるどうしていいかわからない不安、これで合っているのかという不安。そんな不安に刺さるのは、大学生として学業で成功している人や起業している人じゃなくて、リィさんのように熱中できるものを見つけた人なんだと思う。
しかも、元々期待していなかったのなら、なおさらだ。
あまりに金言な教え
「社交辞令」だったとしても、というリィさんが大切にしていた言葉。
この言葉もあまりにも刺さる。
例えば、希望通りの大学・学部に入ったとしても、特に何もせずに4年間過ごしていたら、語れることは何もない。そして、それは大学卒業に限ったことじゃなくて、職場などでも同じことが言える。
「何を学ぶか」
余りにも深い。なぜならば、それは勉強だけじゃない。どんな経験をして、何を学ぶか。その人の生き方そのものにも通じる言葉だ。
ついつい人は見失いがちだ。
所属することや、その職業に就くこと自体を目標に置いてしまいそうになる。
でも、結局はその先、自身がどうするかという話でしかない。
“自由”は、案外難しい。
本当に、この一文にすべてが詰まっているような気がする。
〇〇を、たのしめているか

今回、リィさんのnoteは、「挫折を経験した人を”かわいそう”と思うんじゃなくて、頑張ってるね、と言ってあげてほしいです。」と締めに向かう。
「かわいそう」そんなこと思うだろうかと自問自答してみた。
多分、自分に対しては思わない。
でも、多分、自分の子どもたちや近しい人なら思う。
なるほど、そういうことかと思った。
そんなとき、ふと思ったのはまた、メンタルがキツくなってきたら自分にかけてあげたい言葉だ。もちろん、自分だけに言う言葉じゃない。
それは、〇〇をたのしめているかということ。
例えば、自由。仕事。会社。noteも場合によってはそうかもしれない。
もちろん、不幸な出来事を無理にここに入れる必要はないけど、もし、以前は前向きだったものへのイメージが少しくすんできたら、この言葉を唱えたい。
ちょっとリハビリ的なnoteになって、いつもと違うテイストになってしまいました(笑)
メンタルリハビリ期のわたしでも、スッと書き始められるほど、心を軽やかにしてくれた、リィさんの素敵な作品にただただ感謝です!
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