社交辞令が回した歯車
「どこで学ぶかじゃなくて、何を学ぶか、だからな」
高校時代の先生が言ったその言葉を、私はいまだによく覚えている。
それは、浪人生活を終えて受験結果を報告しに行った時のことだった。私の結果はそれはもう見れたものではなく、母校に向かう足取りは当然のように重い。
先生がいる教科準備室に入り、ポツポツと今後の進路について報告する。「まぁ、結果は結果なので。」と、努めて冷静に、少しの空元気で話し終えると、先生はようやく口を開いた。
「どこで学ぶかじゃなくて、何を学ぶか、だからな。入った大学で、お前がどれだけ吸収できるかの方がよっぽど大事だぞ。」
いつも生徒に対して軽口ばかり叩いている先生が、珍しく真面目なことを話す。気を遣われていることを嫌でも感じ、情けなくて仕方なかった。
何を学んだって、結局大人は学歴を見るんだろう。
大人たちは散々「ゆとり世代」を馬鹿にしてきたじゃないか。
先生の言うことは綺麗事でしかない。
吐き捨てたい気持ちは山ほどあった。でも、言えなかった。口を開けば、声よりも先に嗚咽が漏れそうで。
やっとの思いで「はい」と中身のない返事をして、私は母校を後にした。
この日に見た、涙でにじむ教科準備室の風景は、今でも脳裏に焼き付いている。
***
2年も浪人生活はできない。ただそれだけの理由で入学した大学で、私は友人を作るつもりがなかった。仮面浪人して、1年で去るつもりだったからだ。
新入生交流会はとんでもなく憂鬱だったけれど、社交辞令として「仲良くしてください」と言えるくらいには大人だった。
まさかこの「仲良くしてください」を真に受ける人がいるなんて、この時は思いもしなかった。
交流会の後、一人の女子から話しかけられた。正直、何と話しかけられたかは覚えていない。なにせ友人になる気などなかったのだから。その時はただ「この金髪は、大学デビューなんだろうか…」ということしか考えていなかった。
金髪女子に話しかけられた後、先輩にあたる学生が履修の相談に乗ってくれる時間があり、私たちは一緒に説明を受けた。対応してくれたのは、柔らかな関西弁を使う2年生だった。
履修相談もそこそこに、先輩は私たちに問いかける。
「交流会の時に説明聞いたと思うんやけど、ラジオ番組制作には興味ない?」
私が入ったのはメディア関係のことを学ぶ専攻だったので、番組制作のような実践的な取り組みができる場が設けられていると、確かに説明があった。この先輩は、どうやらラジオ班らしい。
「見学だけでもええからさ」
そう感じ良く誘う先輩に、これが文系大学生か…と、なんともぼんやりした感想を抱いた。
それまで、ラジオはほとんど聞いたことがなかった。大した思い入れもない人間が加入するのは、かえって迷惑ではないか。そんなことを考え断ろうとしたが、「行くだけ行ってみよう」という金髪女子に「私は帰る」と言う度胸は持ち合わせていなかった。
先輩に教えてもらった研究室に足を踏み入れると、そこは学生たちでごった返していた。大して広くない研究室にところ狭しと並べられた机とイス、そして音声編集用のパソコンや機材類。その隙間に設置されたホワイトボードの前で、チームの長らしき学生がプロジェクトにおけるラジオ番組制作について説明を始めた。
制作しているのは、30分間の生放送番組で、毎回一つのテーマについて調査したり、インタビューした結果を元に、学生同士でトークを展開するのが基本スタイル。
その企画の立案から、番組の構成決め、機械の操作をするミキサーもすべて学生たちが担う。専攻の教授やラジオ局の人にアドバイスをもらうことはあるが、基本的には学生が主体となって取り組んでいる。そういう話だった。
なんだか面白そうだな、と思った。
ラジオに興味はなかったけれど、一からすべて自分たちの手で何かを創り上げることは興味があったし、先輩たちが楽しんでいることも伝わってきた。こんなにも純粋にワクワクしたのは、いつ以来だろう。
「どこで学ぶかじゃなくて、何を学ぶか、だからな」
ふと、あの時の先生の言葉が頭をよぎる。ここで何か学びが得られるなら、それも良いかもしれない。
春学期の間やってみて、納得できなかったら本腰を入れて受験勉強をしよう。
そんな決意を胸に、私はこのチームに加入することを決めた。
金髪女子は「私はいいや」と言って加入しなかったが、以後、講義が被れば一緒に受ける程度の仲になった。
近すぎない距離感が、当時の私にとってはちょうど良かった。
***
基本的に番組のテーマは自由だったが、“学生らしい視点”があることを求められた。たとえ自分たちが興味のあるものだとしても、公共の電波に乗る以上内輪ノリになってはいけない。面白いテーマだとしても、「画」がないと伝わりづらい事柄はラジオに向かない。他にも企画を立てる上でクリアしなければならないことは山ほどある。“自由”は、案外難しい。
この企画案出しのミーティングに、私は毎回頭を悩まされた。
人見知りなのに、街頭インタビューを任されたことも一度や二度ではない。「すみません」の一言を絞り出すのに、毎度毎度ありったけの勇気を振り絞る。終わる頃には、いつも喉がカラカラだった。
初めて先輩の聞き手役としてパーソナリティをやらせてもらった時には、緊張のあまり手が震えた。頭が真っ白になっても困らないよう、番組の構成表にはたくさんメモを書いた。
そうして、あっという間に春学期は過ぎていった。
夏休みが始まる頃には、仮面浪人のことなどすっかり忘れていた。
***
2年生になって間もない頃、相変わらず悩みの種となっていた企画案出しで、私は「挫折」をテーマにすることを提案した。
「夢に向かって努力すること」の大切さは多くの若者が分かっていることであろう。しかしその裏で「夢は必ずしも実現するとは限らない」ということも何処かで感じている。頭の中で分かっていてもなかなか受け入れられないことも多いだろう。
しかし努力が報われなかった時に私たちはいつまでも落ち込んでいて良いのだろうか。いつまでも落ち込んでいては前に進めないではないか。このようなことを、様々な例に当てはめて考えていきたい。今すぐには前向きになれなくても、いつか一歩進むことが出来るということを伝えられたら良いと思う。
今見ると、なかなか説教くさい。しかし、伝えたいことを自分なりに考えて練った企画書だった。
チームのみんなも興味を持ってくれて、私の企画は通ったのだが、構成を詰めていく中でメンバーから「このテーマ、聞き手なしで話してみたら?」と言われた。
え?私が一人で喋るということ?出来るわけがない。
そう思ったはずなのに、次の瞬間私は「やってみる」と言っていた。どこからそんな勇気が湧いたのか、さっぱり分からない。
でも、私が話すことに意味があるのなら挑戦してみたい。今の私なら出来る気がすると、どこかで直感的に思ったのだろう。
私は、覚悟を決めた。
迎えた放送当日。
沢山リハーサルもした。いつもの仲間も見てくれている。カンペを出してくれるのは仲良しの同期。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
マイクを前にした自分に言い聞かせているところで、ミキサーの先輩からキューが出された。
***
番組終了後の反省会で、顧問の教授は、私にこう言った。
「あなたにしか出来ない放送だった。あなたには伝える力があると思う。」
正直、生放送の30分間はものすごく緊張したということしか覚えていない。
いや、同期がカンペで「落ち着いて」って出してくれてたのは覚えている。客観的に見ても、ひどく緊張していたのだろう。
そんな状態の私が、本当にちゃんと伝えることが出来ていただなんて到底思えなかったが、教授はお世辞を言うような人ではない。私は少しだけ、自分に自信がついた。
どんな放送だったのかずっと聞く勇気がなかったが、意を決して約10年ぶりに音源を聞いてみた。
――こんばんは。本日のパーソナリティは……
震える声で、たどたどしく自己紹介と放送内容の説明をする私。聞いているこちらの呼吸が浅くなってくるほどに、いっぱいいっぱいなのが伝わってきて、正直聞いていられない。
なんとか一通り説明できたところで、学内外で聞き込みをした人のインタビュー音声が流れる。
答えてくれたのは、私と同じように受験が上手くいかなかった学生や、ケガで引退せざるを得なくなった運動部員、若い頃に夢を諦めたと話す年配の方などさまざまだ。
――どうやって挫折を乗り越えたんですか?
「希望の学校には入れなかったけど、部活に入って友だちが出来たら楽しくなった。」
「気持ちを切り替えて、自分がどこまでいけるかだけを考えました。」
「そういうこともあると受け入れた。」
「支えてくれる仲間がいたので、乗り越えられました。」
挫折を味わっているのは自分だけではない。それぞれに、それぞれの方法で、時間をかけて乗り越えている。その事実は、ほんの少し私に勇気をくれたようで、声の震えもほんの少し和らいだ。
続けて、私を支えてくれた人として、母へのインタビューを行った音声が流れる。緊張でお互いに少しこわばった声を聴くのは、なんだか気恥ずかしい。
――当時の私はどういう風に見えてた?
大学に行き始めた頃ね。楽しそうではなかったかな。
――どういうところからそういうのを感じた?
口数が少なかったかな。普段はたくさん喋るもん。でも、だんだん学校のこととか、友だちの話をするようになったと思う。最近はね。
――今は口数が増えたというか、戻ったって感じ?
そうだね。幼馴染の子とか、近所のお母さんたちにも笑顔で話せるようになったし、お母さんもホッとした部分はあるな。
――まぁ、浪人のことが、別に辛い思い出ではなくなったかな。
強くなったなって思うよ、精神的に。たくましくなったんじゃないかな。
インタビューを振り返るコメントで、私は「お母さんが、挫折した私のことをかわいそうと思っていなかったことが嬉しい」と言った。
私はかわいそうなんかじゃない。今私は、楽しく学生生活が出来ている。そう言えたことが、心の底から嬉しかったことを思い出す。
そして、番組の締め。
私は、挫折を乗り越えて、前に進めた時に今の私になれたから。挫折は新しい自分に出会えるチャンスだと思うんです。
だから、夢と現実の壁にぶち当たっちゃった時も、この先に何かある!と思って頑張れると良いんじゃないかと思います。
周りの人も、挫折を経験した人を”かわいそう”と思うんじゃなくて、頑張ってるね、と言ってあげてほしいです。
と、放送中に弱音を吐いていた。
偉そうなこと言ってるな。
そう思うのに、気付けば涙している自分がいた。
何かを伝えようとする自分は、すごく熱くて、眩しくて。
教授が言っていた「伝える力がある」とは、こういうことだったのかもしれない。
***
「どこで学ぶかじゃなくて、何を学ぶか、だからな」
私が腐らずに大学生活を送ることができたのは、いつも頭の片隅に先生のこの言葉があったからだ。
先生、あの時あの言葉をかけてくれてありがとう。私は、自分が進学した大学で、そこでしか出来ない経験をして、たくさん学んだ。
先生が言ったこと、嘘じゃないってちゃんと分かったよ。
まぁ、「行くだけ行ってみよう」と言われて着いて行った場所に、私の青春も学びも、熱くなれるもの全部が詰まっているだなんて思わなかったけれど。
結局、あの時の彼女とは大学4年間どころか、現在にいたるまでずっと付き合いがある。
あの時は本当にありがとう。入学した時の金髪、ずっとネタにしててごめんね。
でも、初対面で私の愛想が最低だったこともずっとネタにしてるんだから、許してよね。
今、あの時の自分に伝えられることとすれば、やっぱり、どこで学ぶかじゃなく、何を学ぶかが重要だということ。
それから、
社交辞令も馬鹿にならない、ということだ。
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