生きることにまっすぐだった藤圭子と、書くことに誠実だった沢木耕太郎――『流星ひとつ』
2013年8月22日、藤圭子が投身自殺をした。
そんな衝撃的な事件の報道が落ち着いたタイミングで出てきたのがこの本である。正直はじめは、私は反発を感じた。というのも、人の悲しいできごとにつけ込んで、過去のインタビューを出すなんて悪趣味だと考えたからだ。著者が、沢木耕太郎なので、「あれっ?」と違和感を持った。ノンフィクション作家として確固たる地位を持つ沢木であるが、私はほとんど彼の著作を読んでいなかった。ただ、『キャパの十字架』は読んでいて、その本から、著者としての誠実な姿勢に感銘を受けていたからだ。その沢木がこのタイミングで、過去の藤圭子のインタビューの本を出すということに、私は純粋な好奇心を持った。
1979年秋のある日、東京紀尾井町のホテルニューオータニ40階のバー・バルゴーで、沢木耕太郎は、藤圭子と対面していた。「芸能界を引退する!」という藤圭子に、「絶頂期になぜ?」という問いに襲われインタビューを申し込んだという。この時までに沢木は偶然ではあるが、2度、藤圭子に会ったという。一度目は、沢木は、藤圭子とはわからずパリの空港で会っている。そのあと、この対話の数ヶ月前に、銀座でたまたま藤圭子と出会っている。そのとき、少しした会話でふと藤圭子の口から漏れた「やめるかもしれない」という言葉に、沢木が「どうして?」という疑問を投げたところで会話が中断された。そして、「藤圭子引退」の報道に、沢木は背中を蹴り飛ばされるように反応した。銀座で聞いたあの言葉は本当だった。ジャーナリストとして血が騒いだのか、ひとりの人間として好奇心に勝てなかったのか、いずれにしろ、その勢いでインタビューが実現することになる。
この本は、1979年になされたインタビューである。それが今のいままで日の目を見ることはなかった。そして、このインタビューは公開されることはない筈だった。封印されていたものなのだ。沢木はこれを原稿としてまとめたときに、あらためて考えてみたという。
「藤圭子が『引退』する理由はわかった。それが並の決意でないことも理解できた。とはいえ、これから先、どういう理由で芸能界に『復帰』せざるを得なくなるかわからない。(中略)そのとき、この『インタビュー』が枷にならないだろうか。自分で自分にブレーキをかけてしまうことになるかもしれないし、実際に『復帰』したらしたで、マスコミに『あれほどまでの決意を語っていたのに』と非難されたり嗤われたりするということがあるかもしれない。(中略)要するに、これからの新しい人生を切り拓いていこうとしている藤圭子にとって、この作品は邪魔にしかならないのではないか、と思ってしまったのだ。」
それだけでなく、自分のノンフィクションを描くという力量に疑いをもっていた。それだけ、藤圭子との対談が、沢木の予想を越えてしまい、そこに1人の守るべき天使のような人間に遭遇したのだろう—「確かに、会話体だけで書き切ることはできている。それによって、藤圭子という歌手が芸能界を去ることの、本当の理由がわかるようになっている。だが、藤圭子という、実際にインタヴゥ―をするまでは自分でも想像をしていなかったほどの純粋さを持った女性の姿を本当に描き得ただろうか。私は、私のノンフィクションの『方法』のために、引退する藤圭子を利用しただけではないのか。藤圭子という女性の持っている豊かさを、この方法では描き切れていないのではないか…。」
沢木はこの二つの理由から、この本の出版を見送ることにして、藤圭子にも承諾を得る。そして、たった一冊だけを印刷所に本を製本してもらい藤圭子に送っている。そしてこの原稿は、出版されないで幻と化したのである。だが、その後、一度だけ出版を検討されたことがあるというのだ。沢木が自身のノンフィクションの選集を出すときに、非公開のものとして掲載される話が浮上してきた。しかし、一度出版を断念したものなので、藤圭子にその事情を説明した上で進めなくてはならなかったが、直接コンタクトがとれず、そのままその話は現実にならずふたたびは幻になった。
ところが、状況が変わった。今年、藤圭子が自死したあと、宇多田ヒカルや元夫の宇多田照實から発表されたコメントを知り、「精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげくの投身自殺」という説明で片付けられることに、沢木はじっとしていられなかったというのだ。
「ニューヨークで結婚してからの藤圭子は知らない。しかし、私の知っている彼女が、それ以前のすべてを切り捨てられ、あまりにも簡単に理解されていくのを見るのは忍びなかった。私は手元に残った『流星ひとつ』のコピーを読み返した。そこには、『精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返したあげく投身自殺した女性』という一行で片付けることのできない、輝くような精神の持ち主が存在していた。」
そして、こうもいうのである—「28歳のときの藤圭子がどのように考え、どのような決断をしたのか。もしこの『流星ひとつ』を読むことがあったら、宇多田ヒカルは初めての藤圭子に出会うことができるかもしれない…。」
私は沢木の姿勢にプロとしての誠実さを感じた。これまで、ものすごいスクープとなるインタビューをまとめながら、それを葬る心意気に感動したし、絶頂期にいた藤圭子というイコンにふれたものとして、自分の知る真実がまったく知られていないと憂い、それを公開する行動した職業意識に心が動かされたのである。そして、その本の中で描き出されている藤圭子は、生きることにまっすぐで誠実な人であったことを知った。そこに息づく藤圭子は、『精神を病み、永年奇矯な行動を繰り返した』かわいそうな人ではなかった。
私は、藤圭子がテレビに出ていたのを覚えている。ものすごくきれいだけど、にこりともせずにたんたんと歌っていく。ほとんどアクションがなく、ただマイクを持ち、直立不動で歌われる演歌。歌詞の内容がけっして元気になるものではないのに、暗くなるわけでもない。聞いてしまうと心をわしづかみにされ、聞き入ってしまう。その歌には、当時の私にはわかるようでわからない大人の切ない話や、傷ついた男や女の心の叫びがあみこまれていた。その中には、つらい現実があり、厳しい真実があった。そして、当時誰もがそんな思いを持って生きていた。その時代の中で、藤圭子はイコンとして輝き、デビューして10年で誰もが憧れるスターになり、絶頂のタイミングで芸能界から消えていった。そして、今年この世からも消えて行ったのである。その真相はだれにもわからない。ただ、この本を通じて知ることができた、ひたすら純粋な藤圭子という歌手がいたことは覚えておきたい。そして、それを知らしめてくれた沢木耕太郎という作家の心意気もあわせて心にとめおきたいのである。
