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心身論の外形的条件

うつ病や統合失調症・不安症などの心の病気がある。

こうした病気を扱う精神医学では、心は脳の機能だという前提で薬物療法を行うのが基本だ。脳内の神経伝達物質の伝達量を薬で調整するのだ。これは唯物論的だといえる。唯物論とは、この世界は物質が根源であり、精神や心も究極的には物質の作用や現象にすぎないとする世界観だ。

薬物療法が治療の基本になっているのは、効果があるからだ。物質(の動き)を変化させることで精神を変化させることができるのだ。この点から見ると、唯物論は正しいと考えられる。

ところがその一方で、認知行動療法という精神療法があり薬と同程度の効果がある。また最近ではオープンダイアローグという「開かれた対話」による治療法も注目されている。これらは言葉により認知や理解を変えることで治療を行うもので、唯心論的だ。唯心論とは、世界の根源や本質は物質ではなく「心(精神・観念)」にあるとする世界観だ。

精神療法に効果があるということは、言葉により精神を直接変化させることで脳内の神経伝達物質の作用を正常化できるということだ。この点から見ると、唯心論は正しいと考えられる。

さしあたり、心と物質それぞれが独立して実在する世界の根源だとする心身二元論は脇におく。

唯物論は「物質➡精神」の方向で作用が及ぶ世界だ。これが正しいとすると、精神はつねに結果だから、言葉で精神を直接変化させようとする精神療法には効果がないはずだ。唯物論では精神療法の効果を説明できない。

唯心論は「精神➡物質」の方向で作用が及ぶ世界だ。これが正しいとすると、物質はつねに結果だから、神経伝達物質を変化させる薬物療法に効果はないはずだ。唯心論では薬物療法の効果を説明できない。

すなわち、唯物論も唯心論も間違っているといえる。

正しいのはおそらく、精神と物質が相互に作用し合う相補的二元論だ。

「精神➡︎物質」方向の作用について科学は否定的だが、不思議なことに精神療法が効くという事実があるのだから。

(823字)


このエッセイについて

作者意図

課題本は12/16に読了しました。バズらせるためのアイデアが数多くありました。そのなかで、語りたいこと自体が一般に馴染みがなく難しい内容だった場合に、語り始めの切り口を工夫して読者を導入する、という手法がありました。これは役に立ちそうだと思いました。というのも、前回の私のエッセイ「赤いリンゴを見る」が哲学的で取っ付きにくい内容だったからです。
前回の作者意図では次のように書きました。

精神医学では、心は脳の機能だという前提で薬物療法を行います。その一方で、薬と同程度の効果がある精神療法もあり、最近では薬を使わないオープンダイアローグという「開かれた対話」による治療法も注目されています。私たちは、ともすると薬物療法と精神療法とを対立するものだと考えてしまいますが、臨床の現場では両方とも使われています。唯物論的な薬物療法と唯心論的な精神療法は、なぜ両立するのでしょうか? 最良の哲学には、それを可能にする根拠となるものがあります。その哲学について、「赤いリンゴを見る」を素材に書いてみました。

「赤いリンゴを見る」作者意図より

前回ふみサロでいただいたフィードバックに、「この作者意図の内容をそのままエッセイにしてもよかったのでは?」というものがありました。実はそのエッセイ提出前に、自分でもそう思って書き直しを試みたが難産になりそうで中断した、という経緯がありました。「同じことを考える人もいるんだ。自分の感覚もあながち間違ってはいなかったのだ」と思いました。
そこで、今回の課題本がせっかくの内容でしたので、その手法を使って書いてみようと思いました。ただ内容が内容だけに、これで「読者をうまく導入できるのか」「内容がわかりやすいか」はたいへん心許ないです。

完成までの経緯

この作品は第1稿です。

課題本読了後すぐにアイデア出しをしました(30分)。翌日書き始めました(70分)。18日にいったん完成させました(30分)。19日にブラッシュアップして仕上げました(60分)。21日締切日に微調整しました(20分)。

この期間中、エッセイの内容についての参考図書として、『情動はこうして作られる』『脳は世界をどう見ているのか』『自然主義入門』『感情が作られるものだとしたら世界はどうなるのか』を適宜参照しました。


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