Netflix映画「10 DANCE」感想その2 原作未読の方へ
何度見ても素晴らしい主演の二人
初めて映画を見終わった時、あまりの素晴らしさにノックアウトされた私は、ただ「最高」という言葉しか頭に思い浮かばず、興奮と混乱が体中を駆け巡り続ける中、前回の感想を書いた。
2025年12月18日の公開から4日間、毎日繰り返し見てようやく少し冷静に作品と向き合うことができるようになった。
何度見ても竹内涼真さんと町田啓太さんのダンスと演技に圧倒される。
お二人が重ねた練習の凄まじさや肉体的・精神的プレッシャーの重さは並大抵のものではなかっただろう。
役作りに本気で取り組んでくださった俳優としての姿勢、才能と努力に感服するばかりだ。
竹内涼真さんの鍛え上げられた肉体から溢れる色気、踊ることの喜びが伝わってくる躍動感に満ちたダンス、周囲を惹きつけずにはいられない「人たらし」ぶり、これがお芝居だということを忘れさせるリアルな感情表現、そのすべてに魅了され、日本にはこんなに凄い俳優さんがいるのだと感激した。
町田啓太さんが彫刻のように美しいと噂には聞いていたけれど、ビシッとボールルームの衣装を着て髪を撫でつけた姿の麗しさは期待を遥かに超えていた。
世界一美しい横顔&斜め横顔だと思う。
美形の男性を描写する際に「端正な顔立ち」と言うけれど、町田さんこそ端正そのもの。
言葉の使い方の例として辞書に顔写真を載せてもいいくらいだ。
セリフのないシーンでのお二人の演技に心を揺さぶられた。
相手を見つめる眼差し、潤んだ瞳、眉や唇の端の微かな動き、何気ない仕草、細やかなお芝居が実に雄弁に鈴木と杉木の心情を表現していた。
反発しながら惹かれ合う二人を結びつけたのはダンスであり、一緒に踊ることで彼らは愛情を深めていく。
先日、竹内さんがXで視聴者に「一番好きなセリフは?」と質問した際、真っ先に私の頭に浮かんだのは杉木の「僕と一緒に踊ってくれませんか?」だった。
このセリフを口にした時の町田さんの決意と緊張感に満ちた表情に心が震えた。
原作よりはるかに二人の会話が少ない映画の中で、唯一の直接的な愛の告白だったからだ。
映画の中では、二人は全く愛の言葉を口にしない。
さらに言えば、愛情どころか自分が何を考えているか、相手をどう思っているかを伝えるためにほとんど言葉を使っていない。
原作では杉木が「僕はあなたが欲しい」(4巻#17)と言うし、鈴木はもっとはっきり「アンタを愛してる」(5巻#28)と伝えている。
私は原作を熟読しているから、セリフが少なくても二人の感情を理解できるし、展開が急でもついて行けるが、正直、原作未読の方はストーリーや二人の気持ちが理解できるのかな?と心配になった。
もしも、私が原作を読んでいなかったらきっと疑問に思ったことを私の個人的な見解を交えながら解説してみようと思う。
映画から「10 DANCE」に触れた方が作品を楽しむ一助になれば幸いだ。
注:以下、一部私の以前の記事の内容と重複します。
原作未読の方への解説
① なぜ杉木は鈴木を「10 DANCE」に誘ったのか
映画だけ見ると、杉木は自分が世界一になるために鈴木にラテンダンスを習おうとしているように感じないだろうか?
まず、二人の背景から説明すると、杉木はダンス教師の母のもとに生まれ、5歳からイギリスのダンスコーチャーであるマーサの家で育てられ、競技ダンサーとしてのエリートコースを辿ってきた。
杉木はイギリスで開催される主要な3大会を制し、「ブラックプールの帝王」の異名を取っている。
しかし、世界大会でだけは優勝することができない。
叔父をダンス界の有力者として持つジュリオにどうしても勝つことができないのだ。(映画では杉木が1位を取れないのは「アジア人(差別)のため」とされている)
杉木が引退を考えていた時期に、まだアマチュアだった鈴木のラテンダンスを見て感動する。(この場面は映画の後半にある)
「10 DANCE」に誘う前から杉木にとって鈴木は、最後の掴める藁、自分を前に突き動かすエネルギーとなったもの、憧れ、ダンスの神様だったのだ。
一方の鈴木はキューバで生まれ育った。
9人の妹がいて、キューバに残してきた母と妹に仕送りするお金を得るために競技ダンスをしている。
鈴木が大会で本気を出さず、世界に出る気がないのは、その方が稼げると元・ラテンダンサーである父から教えられたからだ。
「上(お偉いさん)には睨まれるな、それと世界に絶対出るな」という父の注意をこの時の鈴木は守っていた。
しかし、杉木に出会ったことで鈴木は変わる。
ダンスへの情熱を掻き立てられ、世界を目指すようになる。
映画の中でブラックプールの前にインペリアルホテルで開かれていたパーティで杉木は「僕の欧州ツアーのチームです」と言ってニーノ(元・ラテンダンスチャンピオンであり現・人気振付師)とファビオ(衣装デザイナー)を紹介しているが、原作では彼らは杉木が自分の人脈を使って、鈴木を世界チャンピオンに押し上げるために用意した人物たちなのだ。
杉木の目的は自分が「10 DANCE」で優勝することではない。(原作ではこここまで明言されておらず、私の予想だが)
杉木は鈴木を育てて、優勝させようとしている。
映画でも杉木はマーサに「引き際は華のあるうちがいい」と引退を勧告されているが、杉木は世界一になってから引退したいのではなく、自分が極めたスタンダード(ボールルーム)ダンスを鈴木に引き継がせ、彼をチャンピオンにしてから引退したいのだと思う。
天才的なダンスの才能を持ちながらも本気でダンスと向き合わず、世界に挑戦する意志のなかった鈴木が、杉木の導きによって成長し「10 DANCE」の頂点に立ち、ひいては社交ダンスに興味のない一般の人々にも広く認知されるスーパースター、「ダンスの神」になっていくというのがこの物語の筋書だと私は考えている。
そのために杉木は鈴木にダンスだけでなく、テーブルマナーも指導している。
高級レストランで杉木とのディナータイムに、ハーフアップで白いデコラティブなシャツを着た竹内さんが、左手でフォークを持ってむしゃむしゃ食べる姿、マナー違反なのに少しも下品ではなくて何だか可愛かった。
仕草が完全に海外育ちの人で、外国の人が場末のダイナーで食事をしているかのような自然さでとてもよかった。
② なぜ杉木は地下鉄に乗った鈴木を追いかけたのか
地下鉄車内でのラブシーンは個人的に本作最大の見所だが、なぜ杉木が突然走り出したのか理解できただろうか?
「死神と天使」とは?
イルミネーションが輝きクリスマスマーケットが立ち並ぶ街を杉木が一人歩いている。
空から舞い散る雪を大きな掌で受け止めながら、物思いに沈む杉木は一人ダンスの練習を始める。
その様子を偶然通りかかった鈴木が見つける。
鈴木「踊らないと死んじゃう病気?」
杉木「あなたは?」
少し展開は違うのだが、原作ならここで二人は一緒に踊る。
原作では杉木ダンス教室での練習の後、さらに夜の公園や歩道で踊るのが彼らの日課だった。
ところが、映画では鈴木は踊っている杉木を見つめるだけで一緒に踊らない。
私は原作よりも二人の心に距離があるのを感じた。
この後二人はアイリッシュパブに行き、杉木は昔、競技会で転倒事故後にショック状態から回復できなかった房子を人形のように操ったことを鈴木に打ち明ける。
原作では、自分は競技で勝つためには手段を選ばない、「紳士」とは程遠い非情な男だと鈴木に話すのだが、「まるで死神のようだ」とは言わない。
まずこの「死神」発言が理解できない。
「10 DANCE」において「死神」という言葉が初めて出てくるのは、幼い頃、マーサのかつてのダンスパートナー(ダリオ・クレメンテ)の写真を見たと杉木が鈴木に話す場面だ。
「マーサと死神みたいな顔のスペイン人がまるで 夕暮れの天に昇るように見えた」
と杉木は語るのだが、そこに描かれた男はどう見ても「死神」らしくない。普通のダンサーのように見える。(映画でも同じことを思った)
彼がどうして杉木には「死神」のように見えたのかわからないから、なぜ杉木が自分を「死神のようだ」と言うのかはますますわからない。
鈴木「死神面のスペイン人に憧れてダンサーになったんだ?」
杉木「いえ、そうじゃなかったと思います」
「僕は美しくて恐ろしいその男に取って代わろうとしたんだと思います。畏れでいっぱいになる前に」
どうして杉木はその男を「恐ろしい」と感じたのだろうか。
最新話である#44にはダリオの顔がもっとはっきり描かれているものの、やはり私には「恐ろしく」見えないのだ。
このあたりの疑問は今後説明されるのだろうか。
ともあれ、原作では杉木の話を聞いた鈴木は、内心「酷い奴だ そうまでして勝ちたいか」と非難しながらも、杉木が「生まれた瞬間からダンスをするために育てられた男」であり、「人間らしい感情を殺して 理想の紳士たれと自分に負荷をかけ続けてきた」ことを知り、自己を制御する彼の「強さ」を認めつつも、杉木を抑圧から解放するために「俺が潰してやる」と決意する。
自分がダンスで杉木を超えることで、杉木を楽にしてやる、と。
この気持ちが映画では「俺はブラックプールの死神(杉木)を倒す天使になる」という鈴木のセリフに言い換えられているのだろうけれど、原作を読んだ私にもかなりわかりにくい表現だった。
そもそも、映画での「アンタはそのキャラを通せ」「死神になればいいんだよ」という鈴木のセリフに違和感があった。
杉木が本当の自分を抑圧して、ダンスで勝つために紳士(≒死神?)の仮面をつけていることを理解してなお、俺が(天使になって)お前を救うまで仮面をつけ続けて(苦しんで)いればいいということ?
それとも、キャラ(英訳ではpersonaとなっていてこちらの方が元の意味に近そうだが)を演じると杉木が決めたのであればそれすらも肯定し、その上で俺がお前を救うということなのだろうか?
少し順序が逆になってしまったが、原作では杉木の過去を聞いた後二人はバー(映画ではパブ)を出て、鈴木は杉木に何も言えないまま別れる。
映画ではここで「俺はこんな弱気な言葉を聞きたかったのか」という鈴木のモノローグが入った後、鈴木は杉木に対し「つまんねぇ」と言い捨てて去る。
それを聞いて杉木はショックを受けた様子だが、その場では何も言えない。
暫く一人で思い悩んでから意を決し、鈴木を追いかけて地下鉄の駅に走るのだ。
(原作では舞台は丸ノ内線銀座駅で始発電車の設定だが、映画では路線が違い、終電になっていた)
原作ではここで杉木は「なんで話してしまったんだろう」と自分の嫌な部分を鈴木に知られたことを後悔し、「嫌われたくない」と思って衝動的に鈴木を追いかけるのだ。これなら杉木の行動が理解できる。
一方、鈴木は原作では「なんて言っていいかわからなかった」と悩んでから、「やっぱ今戻らないと・・・・」と地下鉄を降りて杉木のもとに戻ろうとする。
そこで車両に杉木が駆け込んでくる…という展開になる。
映画で出てきた鈴木の「つまんねぇ」とはどういう意味なのだろうか。
杉木がダンスで勝つために本来の自分を隠して紳士の振りをして、その落差に苦しんでいることがつまらないってこと?
「つまんねぇ」と言われた杉木は当然ショックを受けている。
ここから鈴木を追いかけて行ってキスする流れになるのは、おそらく原作通り「嫌われたくない」と思ったからなのだろう。
原作を読んでいる私は想像で補完できたものの、映画だけ見た方にはよくわからないのではないかと感じた。
しかし、その後の地下鉄車内のシーンが……
何もかもどうでもよくなるほど切なくて美しくて、もう何も考えられなくなった。
それまで、ダンスの時に重ねた手のひらと指先から波のように感情を伝え合って、一緒に踊る瞬間だけ互いの愛を感じていた二人が、ついに湧き上がる衝動に突き動かされて激しく唇を重ねる。
私は映画の中でこの場面が一番好きだ。
青い光の中、縺れ合いぶつかり合いながらまるで踊っているかのように動く二人の体、何度も何度も重ねられる唇。
映像作品だからこそ表現できた美しく幻想的なラブシーンに心を奪われた。
正直、竹内さんと町田さんのパブリックイメージや今後の仕事への影響を考えると、ここまで濃厚なキスシーンにはならないのではないかと予想していたからなおさら驚いた。
お二人の俳優としての覚悟、器の大きさに感動した。
この後舞台はイギリスに移り、二人はブラックプールでのダンス大会に出場する。
大会後に杉木が鈴木の部屋を訪れるシーンが次のテーマだ。
まだまだ書きたいことはたくさんありますが、ひとまず今回はここまで。
また記事をお読みいただければ幸いです。
