【世界のオンチェーンプロジェクト File.009】 Project mBridge
コルレス銀行を通らず、中央銀行デジタル通貨を直接交換できるか
複数国の中央銀行が共有する、実価値のmulti-CBDC決済基盤
最終更新:2026年8月
現在のクロスボーダー決済では、一つの国から別の国へ資金を送るために、複数の銀行と口座を経由します。
送金銀行が受取銀行との間に直接の口座関係を持たなければ、コルレス銀行が中継します。
一つの送金でも、
送金銀行
中継銀行
外国為替を行う銀行
受取銀行
各国の中央銀行決済システム
が関与します。
各機関は異なる帳簿、営業時間、規制、データ形式を使います。
その結果、
処理に時間がかかる
手数料が事前に分からない
資金が途中で滞留する
取引状態を把握しにくい
同じコンプライアンス確認を繰り返す
コルレス関係がない国へ送金しにくい
という問題が生じます。
Project mBridgeは、この構造を根本から変えようとしました。
各国の中央銀行が、自国通貨のホールセールCBDCを共通のDLT基盤上で発行します。
参加する商業銀行は、その中央銀行デジタル通貨を使い、相手国の銀行と直接、即時に資金と外国為替を決済します。
問いは、
各国の中央銀行マネーを、一つの共通基盤で直接交換すれば、コルレス銀行網を経由しないクロスボーダー決済を実現できるか。
です。
Project Card
正式名称
Project mBridge
前身
Project Inthanon-LionRock
開始時期
2021年
創設参加者
Hong Kong Monetary Authority
Bank of Thailand
Digital Currency Institute of the People’s Bank of China
Central Bank of the United Arab Emirates
BIS Innovation Hub Hong Kong Centre
追加正式参加者
Saudi Central Bank:2024年参加
対象となるマネー
各国中央銀行が発行するホールセールCBDC
基盤
mBridge Ledger
主な取引
クロスボーダー銀行間決済
法人顧客の国際送金
外国為替
Payment versus Payment:PvP
主な到達点
2022年:20銀行が実価値取引
2024年:Minimum Viable Product、MVPへ到達
2024年:BIS Innovation Hubから参加パートナーへ引継ぎ
2026年:マカオから香港、UAE、中国本土への取引事例
mBridgeは新たに構築されたmBridge Ledger上で、複数のCBDCをリアルタイムに発行・移転・交換する仕組みです。2024年のMVPでは、各創設中央銀行が検証ノードを運営し、実価値取引に対応する法務・ガバナンス上のルールブックも整備されました。
mBridgeでは、何が台帳に載るのか
mBridgeに載るのは、商業銀行預金ではありません。
各国の中央銀行が発行するホールセールCBDCです。
例えば、
中国人民銀行が発行するデジタル人民元
香港の中央銀行マネー
タイ中央銀行が発行するデジタル・バーツ
UAE中央銀行が発行するデジタル・ディルハム
を、同じmBridge Ledger上で扱います。
商業銀行は、自国中央銀行からCBDCを取得し、そのCBDCを使って外国銀行へ支払います。
中央銀行マネーそのものが共通基盤上にあるため、銀行間決済を別のRTGSやコルレス口座で後処理する必要がありません。
mBridge上の移転が、そのまま中央銀行マネーによる決済になります。
なぜ中央銀行マネーを共通基盤に置くのか
A国の商業銀行預金とB国の商業銀行預金は、異なる銀行の負債です。
商業銀行預金を交換する場合、最後には銀行間で中央銀行マネーによる決済が必要です。
従来型の国際送金では、その最終決済が各国の国内決済システムとコルレス口座を通じて順番に行われます。
mBridgeでは、中央銀行マネーを最初から共通基盤へ置きます。
これにより、
支払指図
CBDCの移転
外国為替
銀行間最終決済
取引記録
を同じネットワーク上で処理できます。
mBridgeは、レガシーなコルレス網へ新しいメッセージ機能を追加するのではなく、複数通貨の中央銀行マネーを扱う新しい決済基盤を作るアプローチです。
一つの国際送金はどう流れるのか
例えば、中国企業がUAE企業へ支払う場合を考えます。
Step 1|送金人が銀行へ依頼する
中国企業が、中国の参加銀行へUAE企業への支払いを依頼します。
銀行は、
送金人
受取人
取引目的
AML/CFT
制裁
必要書類
を確認します。
Step 2|送金銀行がCBDCを取得する
送金銀行は、自国中央銀行から必要なデジタル人民元を取得します。
中央銀行は、送金銀行が保有する既存の中央銀行預金などと引き換えに、mBridge Ledger上でCBDCを発行します。
Step 3|外国為替条件を決める
人民元からUAEディルハムへ交換する条件を決めます。
外国為替を提供する銀行が、
レート
金額
有効期限
手数料
を提示します。
Step 4|両通貨をロックする
人民元側とディルハム側のCBDCをロックします。
一方の通貨だけが移転しないようにします。
Step 5|PvPで交換する
人民元とディルハムを、Payment versus Paymentによって同時に交換します。
両方成立する場合だけ実行し、一方が失敗すれば両方を不成立にします。
Step 6|受取銀行が顧客へ入金する
UAEの受取銀行は、受け取ったデジタル・ディルハムに基づき、受取企業の商業銀行預金を増額します。
この構造では、中央銀行マネーの移転と外国為替決済がmBridge上で完結します。
2022年の実価値パイロット
2022年には、中国本土、香港、タイ、UAEの20銀行が参加し、実際の価値を持つCBDCを使ったパイロットが実施されました。
6週間で、
164件の支払い・外国為替取引
総額2,200万ドル超
1,200万ドル超のCBDC発行
が行われました。
これは模擬的なトークンの移転ではありません。
商業銀行が企業顧客のために、実際の価値を持つ中央銀行マネーをmBridge上で決済したものです。
MVPで追加されたもの
2024年、mBridgeはMinimum Viable Product段階へ進みました。
PoCからMVPへ進むために、技術機能だけでなく、
参加者資格
中央銀行の権限
ノード運営
CBDCの発行・償還
取引監視
障害時処理
法的ファイナリティ
各国規制との関係
ガバナンス
ルールブック
が整備されました。
mBridge LedgerはEthereum Virtual Machine、EVM互換性も持ち、外部アプリケーション、スマートコントラクト、新しいユースケースを接続できる設計になっています。
MVPは、参加国の準備が整った範囲で実価値取引を行える状態とされました。
BISから参加パートナーへ
2024年10月、BISはmBridgeを参加パートナーへ引き渡しました。
したがって、現在のmBridgeを「BISが運営するプロジェクト」と説明するのは正確ではありません。
BIS Innovation Hubは技術開発と実証を支援しましたが、MVP以降の運営・発展は参加中央銀行側へ移っています。
これは、プロジェクトが終了したという意味ではありません。
実験段階を越え、参加中央銀行自身がネットワーク拡大、実取引、運営体制を担う段階へ移ったということです。
一方、BISという国際機関が運営から離れた後も、異なる国・通貨間で中立的なガバナンスを維持できるかは、mBridgeの重要な評価点になります。
2026年の現在地
2026年6月、Bank of Chinaは、マカオでmBridgeを使ったクロスボーダー取引が開始されたと公表しました。
公表された取引には、
マカオから香港への2,000万人民元超の送金
マカオからUAEへの人民元送金
マカオから中国本土へのマカオ・パタカ送金
が含まれます。
これは一つの銀行による公表であり、mBridge全体の商用規模や参加者数を示すものではありません。
ただし、2022年の限定パイロットから、参加地域と企業利用が広がっていることを示す具体的な事例です。
Agoráとの違い
mBridgeとProject Agoráは、クロスボーダー決済に中央銀行マネーを利用します。
しかし、構造は大きく異なります。
mBridge
中央銀行デジタル通貨が中心
複数CBDCを同じmBridge Ledger上へ置く
商業銀行がCBDCを直接交換する
コルレス銀行を経由しない直接決済を志向する
2022年から実価値取引を実施
中国、香港、タイ、UAE、サウジアラビアが中心
Project Agorá
商業銀行預金と中央銀行準備の両方を扱う
共通層と法域別中央銀行台帳を組み合わせる
現在のコルレス銀行関係を維持・高度化する
預金、外国為替、コンプライアンスを一つのワークフローへ統合する
2026年にプロトタイプ完成、実価値検証へ移行
整理すると、
mBridgeは、複数の中央銀行マネーを直接交換する。
Agoráは、現在の二層型銀行制度とコルレス関係を維持しながら、商業銀行預金と中央銀行準備を一つの取引へ統合する。
mBridgeはより直接的なmulti-CBDC基盤です。
Agoráは、商業銀行が顧客マネーを提供する現在の金融構造をより強く維持しています。
mBridgeが解かなければならない問題
1.外国為替流動性
CBDCを発行できても、異なる通貨を交換する相手がいなければ取引できません。
主要通貨以外では、
マーケットメーカー
為替レート
流動性
スプレッド
取引限度額
を確保する必要があります。
2.国内システムとの接続
mBridge上でCBDCを受け取っても、顧客が使うのは通常の銀行預金である場合が多いでしょう。
各国の、
RTGS
銀行勘定系
外国為替管理
貿易システム
AMLシステム
との接続が必要です。
3.通貨ごとの規制
参加国には、
資本規制
外貨管理
制裁制度
データ越境規制
AML/CFT
税務
の違いがあります。
共通台帳を使っても、各国の政策要件が共通になるわけではありません。
4.プライバシー
中央銀行と商業銀行が同じネットワークを利用する場合、
顧客情報
取引相手
金額
通貨ポジション
銀行流動性
を誰が閲覧できるかが重要です。
5.ガバナンス
参加国が増えた場合、
新規参加を誰が承認するか
仕様変更をどう決めるか
障害時に誰が停止するか
制裁対象国との取引をどう扱うか
ノード間で意見が分かれた場合どうするか
を決める必要があります。
6.ネットワークの中立性
共通基盤は、特定国の技術・通貨・政策に過度に依存しないことが求められます。
参加国と取引量が一部の通貨へ集中すれば、制度上は共同運営でも、実態として特定通貨の影響が強くなる可能性があります。
Project mBridgeが示したこと
mBridgeの最大の成果は、CBDCの技術実験ではありません。
複数の中央銀行が共通のDLT上で自国通貨を発行し、商業銀行が実価値を直接交換できる
と示したことです。
従来のクロスボーダー決済は、国内中央銀行システムとコルレス銀行口座を順番につなぎます。
mBridgeは、複数国の中央銀行マネーを最初から共通基盤へ置きます。
これは、現在のシステムを改善するというより、クロスボーダー銀行間決済のための新しい基盤を作るアプローチです。
ただし、共通台帳ができれば国際送金の問題がすべて解決するわけではありません。
外国為替流動性、各国規制、国内システム接続、ガバナンス、プライバシーが残ります。
タイトルの問いへの答えは、次のようになります。
中央銀行マネーを共通基盤で直接交換することは可能である。
しかし、コルレス銀行を不要にできるかどうかは、技術よりも通貨流動性、規制、参加国、運営の中立性によって決まる。
次回予告
次回はGlobal Layer One、GL1を取り上げます。
mBridgeが一つの共通基盤を実際に構築したのに対し、GL1は複数の金融機関向けDLTについて、共通のインフラ原則とコンプライアンス規格を作ろうとしています。
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