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【在宅介護】深夜の「スーパーパワー」と、消えてしまった私。せん妄という嵐の中で母が守ろうとしたもの。



介護の現場や自宅で母と過ごしていると、時折、理屈では説明できないような不思議な光景に出会うことがあります。
その最たるものが、母を襲う「せん妄」の嵐です。

普段の母は、足腰が弱り、何かにつかまらなければ立ち上がることもままなりません。
声も小さく、ぼんやり過ごしている時間の方が多いのです。
しかし、ひとたびせん妄のスイッチが入ると、母の体にはどこからともなく「驚くべき力」が宿ります。


あれは、アドレナリンが出ているのでしょうか。
さっきまで弱々しく横になっていたはずの母が、ガバッと身を起こし、重たいサイドテーブルをバンバン!と力任せに叩き始めます。
「動かしてやるんだ!」という執念を感じるほどの強い力でテーブルを揺さぶり、立ち上がろうとする。

その瞳には、いつもの母にはない鋭さと、何かに追い詰められたような切迫感があります。

「そこの人! こんなところに私を閉じ込めるなんて、どういうつもりなの!」

母は、誰もいない空間をじっと見つめて、すごい形相で怒鳴り始めます。
私たちが「見えていない誰か」が、母の目にははっきりと映っているのでしょう。

怒鳴り散らしたかと思えば、急に弱々しくなり、涙を流しながら私に訴えてくることもあります。

「ねえ、聞いてちょうだい。私の履物を誰かに隠されちゃったの。外に出られないようにされているのよ」

必死に訴えるその姿は、一人の女性として、あまりにも孤独で不安そうに見えます。
私は「大丈夫だよ、ここにちゃんとあるよ」と声をかけますが、母の心には届きません。

何より切ないのは、そんな時、母の目に映っている私は「娘」ではないということです。
「この人は、私をここに閉じ込めている一味かもしれない」
「私の履物を隠した張本人かもしれない」
そんな疑念の混じった視線で見つめられるとき、胸がギュッと締め付けられます。


かつて、初めてこの状況に直面したときは、私も深く傷つきました。
「お母さん、私だよ! いちこだよ!」と、分かってほしい一心で声を荒らげてしまったこともあります。

でも、介護の仕事を経験し、50代の学び直しの中で「脳の機能」や「高齢者の心理」を学ぶうちに、少しずつ心の整理ができるようになりました。

せん妄の最中、母は決して私を嫌いになったわけではありません。
脳という精密な機械が、疲れや病気で少しだけエラーを起こしているだけ。母は今、混乱という暗い森の中で、出口を探して必死に戦っている。
その戦いの中では、娘の顔すら見えなくなってしまうほど余裕がないのだと。

そう思えるようになってから、私は母を否定することをやめました。
「そっか、閉じ込められているみたいで怖かったね」
「履物がないと不安だよね。一緒に探そうか」

娘としての期待を一度横に置いて、プロの介護職としての「冷静な目」と、家族としての「温かな手」をバランスよく使い分ける。
それが、今の私にできる精一杯の愛情です。


せん妄という嵐が過ぎ去ると、母はまた、いつもの穏やかな表情に戻ります。
私のことも「娘」だと認識し、さっきまでの激しい怒りが嘘だったかのように、私の手を握って眠りにつきます。


動物たちは、母が叫んでいる間も、何が起きているのかを敏感に察知して、ただ静かに寄り添ってくれていました。

介護は、心身ともに削られる瞬間が確かにあります。

今、同じように
「親が自分を忘れてしまった」
「急に暴れるようになってしまった」
と悩んでいる方がいたら、どうか自分を責めないでください。
それはあなたのせいでも、親御さんのせいでもありません。

嵐の夜は、誰かに頼ってもいい。
そして、嵐が過ぎた後の静かな時間を、大切に味わってください。


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