【在宅介護】部屋に舞う「トイレットペーパーの雪」。母のこだわりと、届かない手のひらの葛藤。
わが家の母のベッドのサイドテーブルには、いつも「トイレットペーパー」が一ロール、鎮座しています。
ティッシュペーパーではなく、あえてのトイレットペーパー。
これには、介護生活の中でたどり着いた、私なりの小さな知恵がありました。
最近の母は、よだれや鼻水がどうしても止まらず、そのままにしておくと服まで濡れてしまいます。
気づいたときにサッと拭き取れるトイレットペーパーは、水に溶けるので後処理が楽ですし、何より「肌の油分を取りすぎない」という利点があります。
何度も鼻をかむ高齢者のデリケートな肌にとって、高級なティッシュよりも、実はこの素朴な紙の方が優しかったりするのです。

ところが最近、その穏やかな習慣に変化が起きました。
仕事から帰り、母の部屋を覗くと、まるで雪が降ったかのように白い紙の破片が散乱していることがあるのです。
母がトイレットペーパーを力任せに引き出し、細かくちぎったり、丸めて投げたりするようになってしまいました。
「お母さん、どうしたの? 散らばっちゃったね」
優しく声をかけると、母は決まってこう答えます。
「私じゃないよ。誰かが勝手にやっていったんだ」
その目は、私を騙そうとしている目ではなく、本気でそう信じ込んでいるような、どこか怯えた色をしています。
以前の記事でも書きましたが、これは「できない自分」を認められない、母の最後の自尊心が作り出す「盾」なのだと私は理解しています。
「それなら、片付けが大変だから少し離れたところに置こうか」
そう思って、母の手の届かない棚の上にロールを移動させたこともありました。
しかし、それが大きな間違いでした。
ふと手元に、いつもあるはずの「白い安心感」がないことに気づいた瞬間、母はパニックに陥ってしまったのです。
「ない! ない! 私のトイレットペーパーがない!」
部屋中に響き渡るような大声で叫び、必死に周りを手探りする母。
その姿を見て、私は胸が締め付けられる思いでした。
彼女にとって、トイレットペーパーは単なる衛生用品ではありませんでした。
「汚れたらすぐに拭ける」
「自分の身の回りを自分で整えられる」
という、失われゆく自立心を守るための、いわば「命綱」だったのです。

それからの私は、部屋がどれだけ紙の雪でいっぱいになろうとも、トイレットペーパーは母のすぐそばに置くことに決めました。
ボロボロになった紙を拾い集めるのは、確かに手間がかかります。
正直、この物価高でコストもかかる・・・
仕事で疲れて帰ってきたときには、溜息が出てしまうこともあります。
そんなときは、足元にすり寄ってくる茶トラ猫や、心配そうに見つめてくるラフテッドコリーのぎんじ君に「今日も雪が降ったね」と話しかけます。
彼らは何も言わずに、ただ寄り添ってくれます。
「私じゃない」という母の言い訳も、散らかった部屋も、すべては母が生きて、必死に自分を保とうとしている証拠。
50代からの学び直しの中で、私は「効率」よりも「尊厳」を優先することを学びました。
今日も私は、母の枕元に新しいロールを置きます。
たとえ明日、また部屋に雪が降っていたとしても、母の手の届くところに「安心」があること。
介護の毎日は、きれいごとだけではありません。
今の私にできることをひとつづつこなしていく、という毎日の積み重ねなんです。


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