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字が汚いからLaTeXを使おうとしたら、英語の勉強が始まった

字が汚いという、地味だけど深刻な問題

突然ですが、控えめに言って私は字がきれいではありません。

数学の勉強をしていると、手書きノートがどんどん読みにくくなっていきます。式を書き、途中で計算を書いたり、図を書いたり、その横にメモを残したり。その時は、自分ではわかった気になります。

でも、あとで見返すと、自分でも何を書いているかわからなくなることがあります。

「これは何を書こうとしていたのか」
「i なのか j なのか」
「この横棒は、マイナスなのかただの汚れなのか」

もちろんきれいなノートを作ることが勉強の目的ではありません。

ただ、自分の場合は、字の汚さが数学の理解の妨げになっているような気がしました。
あとで見返してわからなくなるのはもちろんですが、1分前に書いたものがわからなくなるのは、地味な悩みですが、かなり効率が悪い。

そこで考えました。
手書きが汚いなら、最初からパソコンで書けばいいのではないか。
数学のノートをきれいに書くなら、LaTeXを使えばいいのではないか。
ちょうどその頃、授業で数式を書くための道具として、LaTeXなるものがあると習ったばかりでした。

そんな単純な動機で、私はLaTeXに手を出すことにしました。
そのとき、これはかなり良い解決策に思えました。

きれいな数学ノートを作りたくてLaTeXに手を出した

実際に使ってみると、LaTeXで書いた数式は驚くほどきれいに表示されました。

これはいい。

それまで知らなかった新しいおもちゃで遊ぶような感覚で、しばらくの間、私はノートづくりにのめり込んでいきました。

ちょうどその頃、ObsidianというMarkdown形式で書けるノートアプリにもはまり始めていました。正確にいうと、LaTeXだけでノートを作っていたというより、Obsidianのノートの中に数式を埋め込みながら、数学の勉強ノートを作っていた感じです。

手書きではぐちゃぐちゃになっていた式が、画面上では整って見える。
添字も、分数も、積分記号も、きれいに並ぶ。

それだけで、少し数学がわかりやすくなったような気がしました。

しかし、人間慣れるもので、最初はものすごく快適に感じていたノートづくりにも、しだいに小さなノイズを感じるようになってきました。

数学のノートといっても、数式だけが並んでいるわけではなく、数式と数式の間には、説明のための日本語が入ります。

そして、この日本語部分に差しかかるたびに、私は小さなノイズを感じるようになっていました。

全角半角の切り替えの面倒くささ

最初は楽しさで気にならなかったのですが、徐々に、日本語部分にさしかかるたびに、わずかな引っかかりを感じるようになりました。

この、ところどころつまずく感じは何なのだろう。
そう考えてみて、ふと気づきました。

LaTeXは、基本的に半角の英数字や記号で書きます。
ところが、日本語の説明部分に入ると日本語入力に切り替えなければなりません。

そんなの切り替えればいいだろう、と言われるかもしれません。

しかし、私はキーボード操作もそれほどうまいわけではありません。
日本語入力に切り替えたつもりが半角のままだったり、逆に半角でコマンドを打ちたいのに日本語入力のままだったりする。

そういう小さな失敗が何度も繰り返され、そのたびに、「あーんもぉっ!!」と思いながらBackspaceを連打することがしばしばありました。

ノイズの正体は、この全角/半角ボタンの操作だったのです。

なんとかならんものか。私はしばらくの間、このことについて思案していました。
多分、一番の解決策はキーボード操作に慣れることなのですが、私のたどりついた結論はかなり雑なものでした。

全部半角だったら楽かも

日本語入力に切り替えるから面倒が生じるのだ。
それなら、最初から最後まで半角で入力すればいいのではないか。

冷静に考えれば突っ込みどころの多い話です。けれど、そのときの自分は、この革新的なアイデアに酔いしれていました。

全部半角で書くということは、日本語を使わないということです。
となると、今まで日本語で書いていたノートを、英語で書く必要が出てきました。

数学の英語って決まり文句が多い

こういう発想に至るということは、英語が得意なのかと勘違いされそうですが、まったくそんなことはありません。

私は20代で学校を卒業して以来ほぼ英語に触れてこなかったタイプの人間です。おそらく、当時の英語力は中学生の自分といい勝負だったと思います。

ただただ全角/半角ボタンが煩わしいという理由で、より面倒くさいことを思いつき、それを名案だとニヤニヤしていたのです。

しかし、実際に、日本語なしでノートを作り始めてすぐ気づきました。

あれ、いちいち何て言えばいいかわからないぞ…。

英語ができるわけではないので当然といえば当然です。
一歩進んではつまずき調べ、また少し進んでは調べる。
なんとももどかしい作業を繰り返していました。

ただ、一度ノートを取り始めたのに、すぐやめるのもなんとなく嫌でした。せっかく思いついたのだから、しばらく続けてみよう。そんな気持ちで、しばらく英語で数学ノートを書くことにしました。

そんな中で、少し救われたのは、数学の英語には、意外と決まり文句が多いということでした。

よく使う数学英語フレーズ

というように、使い回しのきく表現が多い。

もちろん、最初から自由に書けたわけではありません。それでも、同じような表現を何度も調べて、何度も使っているうちに、少しずつ数学英語のフレーズが頭に入ってくるようになりました。

少し英語の表現が頭に入ってきて余裕が生まれたときに、表現だけではない問題があることに気づいてきました。

英語で書くと、見えてくるもの

自分の理解の粗さが浮き彫りに

当時の自分のやり方は、日本語の教科書を読んで、それを自分なりに英語で書いてみるというものでした。
誰に強いられたわけでもないのに、無駄に荒療治なスタイルです。

最初は、単語やフレーズがわからないから英語で書けないのだと思っていました。実際、それもかなりありました。

けれど、続けているうちに、別の種類のつまずきがあることに気づきました。

単語も、なんとなくわかる。
使えそうなフレーズも、一応持っている。

それなのに、うまく説明できないことがあるのです。

これは単なる英語力の問題というより、自分が日本語で読んだ内容を、本当に自分で説明できるところまで理解していない、という問題に近いのではないか。
英語で書こうとすると、その粗さが思った以上にはっきりと見えてきました。

「これ」「それ」「こうなる」を英語にできない問題

日本語では、少しふわっと言っても文章として成立することが多いように感じます。

たとえば、「ここで関数を置く」「これを代入する」「するとこうなる」といった書き方をしていても、それほど強い違和感はありません。自分などは、「そうか、なるほどねー」とか思ってしまうことすらあります。

しかし、それを英語にしようとすると、事情が変わります。

自分の拙い英語力でも、日本語の教科書に書いてある情報だけでは、何かパーツが足りないのではないか、と感じることがありました。

ここで自分がしっかりと理解できていれば、その省略されているパーツを復元できます。

けれど、自分の理解もふわっとしているものだから、いざ自分で説明すると、そこで詰まってしまうのです。

英語は主語や目的語が明示的に書く必要が出てくる場面が多くあります。一方で、日本語では、そのあたりを文脈に任せても、それなりに読めてしまうことがあります。

日本語に書いてある内容を英語にしようとするときに説明に窮する。
そのことが、奇しくも自分の理解度を測るものさしになっていたのです。

数学英語の基本テンプレ集

英語で数学を書くといっても、最初から自由に説明できたわけではありませんし、今もそこまで上達している訳ではありません。
むしろ、ほとんど型に頼っていました。

1. Let ...:〜とする
2. Define ...:〜を定義する
3. Assume / Suppose ...:〜と仮定する
4. Substitute ...:〜を代入する
5. By definition / By assumption:〜より
6. Therefore / Thus / Hence:したがって
7. We show / We prove / We calculate:〜を示す・求める

当時の自分にとって、数学英語のテンプレは、英語をかっこよく書くためのものではなく、考えている間に迷子にならないようにするための、標識のようなものでした。

当時の自分の学習フロー

当時の自分の学習フローは、かなり単純でした。

まず、日本語の教科書を読みます。
次に、その内容を自分なりに英語でノートに書いてみます。
そして、書けないところが出てきたら、そのたびに単語や表現を調べる。

基本的には、これだけです。

いま振り返ると、かなり効率が悪かったと思います。最初から数学英語の入門書を読んだり、よく使う表現をまとめたりしてから始めれば、もう少し楽だったかもしれません。

でも、当時はそんな順番ではありませんでした。

とにかく、目の前の教科書の内容を英語で書いてみる。
わからなくなったら止まる。
調べる。
また書く。
また止まる。

その繰り返しでした。

たとえば、日本語の教科書に「(x) を実数とする」と書いてあれば、
“Let $${x}$$ be a real number.”
と書いてみる。

「$${f(x)=x^2}$$ と定義する」とあれば、
“Define $${f(x)=x^2}$$.”
と書いてみる。

ここまでは、わりと型に当てはめれば進められます。
ところが、少し説明が長くなると、すぐに詰まります。

「これを上の式に代入する」
「このことから、次の式が得られる」
「したがって、求める値は〜である」

こういう日本語を英語にしようとすると、急に手が止まりました。

「これ」とは何か。
「このこと」とは何を指しているのか。
「得られる」とは、計算して得られるのか、定義から従うのか。
「したがって」と書いているけれど、本当に前の式から自然に出てくるのか。

英語で書こうとすると、日本語で読んでいたときには流していた部分が、いちいち引っかかるようになりました。

そのたびに、英語表現を調べるだけでは済まなくなります。
自分が何を言おうとしているのかを、もう一度考え直す必要がありました。

つまり、当時の流れはこうです。

  1. 日本語の教科書を読む

  2. 内容を英語で書こうとする

  3. 単語や表現で詰まる

  4. 調べる

  5. それでも書けないところで、自分の理解の粗さに気づく

  6. もう一度、日本語の説明や式の意味に戻る

  7. なんとか英語で書き直す

  8. 最後にAIに英語をrefineしてもらう

最初は、単に「全部半角で入力したい」というだけの話でした。

けれど、実際にやっていたことは、日本語で読んだ数学を、自分の中で一度分解し、英語で組み直す作業だったのだと思います。

それはスムーズな学習法ではありませんでした。
むしろ、かなり引っかかりの多い学習法でした。

ただ、その引っかかりこそが、自分にとっては大事だったのかもしれません。

きれいなノートを作りたかっただけなのに、英語学習にも

そして、その学習方法が英語の勉強にもなっていたのだと、後々気づきました。

そりゃそうだろ、と思われるかもしれません。

ただ、先ほど書いたように、数学英語はどちらかというと無骨で無機質な英語です。自分には、鉄骨むき出しの構造物のような印象があります。使う語彙も限られています。

それは、自分が「英語で数学のノートくらいなら作れるかもしれない」と思った理由の一つでもありました。逆に言えば、日常会話や自然な英文を書く力には、あまりつながらないのではないかと思っていた理由でもあります。

でも、むき出しの構造物は、むき出しであるがゆえに勉強になるところがありました。

文章レベルで言えば、最低限どのパーツがそろえば文として成立するのか。その感覚をつかむ練習になっていたように思います。

また、数学の文章は論理展開を重視します。

定義から何が言えるのか。
仮定から何が導けるのか。
前の式と次の式は、どのようにつながっているのか。

そうした関係を、Therefore、Thus、Since、By definition のようなつなぎ言葉でどう結びつけるか。

これは、数式や文同士をつなぐ練習であると同時に、文章を書く練習にもなっていたのだと思います。

1周まわって、手書きに戻ってきた

と、ここまで書いておいて身もふたもない話なのですが、現在の私の数学の学習方法は、手書きの比重がかなり増えてきています。

では、なぜあれほど面倒くさがっていた手書きに戻ってきたのか。

理由はいくつかあります。

一つは、ふとしたきっかけで、自分の手書き文字が少しだけましになったことです。もちろん、急に達筆になったわけではありません。それでも、以前よりは自分で読める字を書けるようになってきました。

もう一つは、きれいなノートを作ることと、考えることは少し違うのだと気づいたことです。

書いて、消して、削って、付け足して、矢印を引いて、余白に思いつきを書き込む。そういう思考の試行錯誤の段階では、手書きの方が圧倒的に自由度が高いと感じるようになりました。

現在は、理解するための段階や反復練習をする段階では、手書きでノートを書いています。パソコンに残すのは、ある程度理解が進み、整理して保存したいと思った段階でよいのではないか。今はそんなふうに考えています。

ただ、パソコンを使う頻度は落ちたものの、英語で数学ノートを作るというチャレンジ自体は続けています。

劇的に英語力が伸びて、急に流暢に話せるようになったわけではありません。

それでも、少しずつではありますが、確実に上達してきている感覚があります。

まとめ:めんどくささが学び方を変える

最初は、手書きがめんどくさいと思い、パソコンでノートを作るようになりました。

次に、全角/半角の切り替えがめんどくさくなって、英語でノートを作るようになりました。

そして今は、考えている途中の段階では、パソコンで頭を整理すること自体が、かえってめんどくさいのではないかと思い始め、手書きへと回帰しつつあります。

一周まわって、同じところに戻っているだけじゃないか。

そう言われそうですが、前と少し違うところもあります。

英語に変換するプロセスを通じて、一つひとつ立ち止まって考える習慣ができたこと。そして、英語そのものへの抵抗感が、以前よりも弱まったことです。

手書きが嫌で、LaTeXに逃げる。
全角/半角の切り替えが嫌で、英語に逃げる。
パソコンで考えるのが面倒になって、手書きに戻る。

こうして振り返ると、ずっと面倒くささに振り回されているだけのようにも見えます。

でも、その面倒くささを避けようとして試したことが、結果的に自分の学び方を少しずつ変えてきたのだと思います。

面倒くさいものにも、退屈なものと、楽しめるものがあるのかもしれません。

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ToDo | わからんもんコレクター 学びながら書いています。面白いと思っていただけたら、チップで応援していただけると励みになります。

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