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ある船乗りの忘れられない恋バナ~episode0

先日、「ある船乗りの忘れられない恋バナ」というエッセイを書いた。

かつて船乗りだった先輩から託された、若かりし日の恋愛航跡史だ。

実はこの話には、泣く泣くカットしたエピソードがあった。
富山の場末のスナックで出会った美人ママとのロマンスである。
それだけで相当なボリュームになってしまうので、前回はカットしたのだが、今回はその話を書かせてもらいたい。

昭和42年の夏、彼は外国航路の船に乗り、富山に入港した。
仲間と飲みに行ったある夜、一軒のスナックのドアを開けた瞬間、足が止まった。

和服姿で30歳くらいの、藤村志保似の美女が立っていた。
なぜこんな場末に、こんな人がいるのかと不思議に思ったという。
1週間の停泊期間中は毎日通い、一度だけデートにつきあってくれた。
場所は富山ではなく、隣県の金沢だった。
兼六園を散策して楽しんだ。
彼は自分より年上の彼女のことを「ママ」と呼んでいた。
帰りのタクシーで「金沢駅まで」と告げると、運転手に「金沢駅でいいんですか?」と聞き返された。
ホテルへでも行くと思われたのだろうと、彼は笑って回想している。
 
出港してからも、ニュージーランドからエアメールを出した。
 
そして帰国後、夜行列車のSLに乗り、日本海の吹雪を右手に受けながら、一路富山へ。
水上勉の小説で有名な越後の絶景を眺めながら、映画の主人公になったような気分だったという。
彼女は、びっくりしながらも歓待してくれた。

その後も彼女への思慕が募るばかりだった彼は、次の休暇中、意を決して実家のある九州から富山へと向かった。
この時初めて、二人は男女の関係になったという。
天にも昇るような気持ちだったと、彼は綴っている。

その後も、日本に入港するたびに彼女は船まで会いに来てくれた。
甲板員に「和服を着たきれいな女性は誰?」と尋ねられた。
「姉です」と答えると、「お姉さんが船に泊まっていくのか!?」と冷やかされたという。

しかしその関係は、長くは続かなかった。

ある時、彼女が言った。
「私みたいな女がいると、あなたの将来に良くないわ」と。
それを最後に、会いに来なくなった。
彼は、失意のまま下船した。

時は流れ、彼は富山で造船中の新造船の受け取りを命じられた。
ほどなくしてM子さんと別れることになった彼は、造船所の近くにあった彼女の店を訪ねた。
思い切ってドアを開けると、「いらっしゃいませ」という声が途中で止まった。
3年半ぶりの再会だった。

彼はM子さんと別れたことを告げ、持っていたM子さんの写真を目の前で破り捨てた。
新造船の出港時、彼女は港まで見送りに来てくれた。
それを最後に、再び会う事は無かった。

さらに時が流れ、彼が東京の本社で勤務していた頃、会社に一本の電話がかかってきた。

「ようやく自由の身になれた。今、芦原温泉のホテルで仲居として働いている。機会があれば会いたい」

あの懐かしい彼女の声だった。
彼は、すでに結婚していることを告げると、静かに受話器を置いた。

「電話するのに相当な勇気がいっただろうに…」と思いながら。

この話の最後に彼はこう記している。
「彼女の最後の男になれなかったことを申し訳なく思っています」。

不器用な船乗りと、不器用なママ。
もう少し器用な生き方をしていれば、その後の二人の人生も変わっていたかもしれない。

不器用な二人が織りなした、なんとも切なくて美しい恋バナである。

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