騙されないための思考術ー会議・講義・ChatGPT、スラスラ話す人ほど危ない理由
「この人、とても頭がいいな!」
「この先生の講義、わかりやすい!」
そう思った瞬間、実は脳が騙されているかもしれない。
人間には、「流暢なものを信頼してしまう」というクセがある。
それが、流暢性バイアスだ。
今回は、専門用語(解説付き)がいくつか出てくるけど、読みきったらきっと納得してもらえると思うので、頑張ってついてきてほしい。
ていうか、騙されたと思って読んでみて!😇
「流暢=正しい」は錯覚かもしれない
診断士受験時代、ある講師の話しぶりに圧倒されたことがある。早口で滑らか、専門用語も交えてテンポよく話すその姿に「この人、すごい…」と圧倒された。
ところが、後からその分野を自分で深く学び直してみると、明らかに事実と異なる内容、もしくは本人の主観が堂々と語られていたと気づいた。
そのとき、ようやくわかった。
「あれは、話し方がうまかっただけだった」と。
内容が正しいかどうか、ではなく“いかにも”な話し方に、判断を委ねてしまっていた。これこそが、流暢性バイアスの正体なのだ。

流暢性バイアスとは何か
心理学の世界では、こう定義されている。
「理解しやすい(=流暢な)情報は、内容が正しい・信頼できると誤認されやすい」
人は、スムーズに処理できる情報を“正しい”と判断しやすい。見やすい資料、わかりやすい言葉、滑らかなトーン。そういった“流暢さ”が、本来チェックすべき中身の妥当性すら、すり抜けさせてしまう。
会議、プレゼン、講義、そして最近ではChatGPT。どれも、このバイアスが忍び込む余地に満ちている。これ、とっても怖いことだと思わない?
スラスラ話すあの人、準備しているとは限らない

準備ゼロでも講義ができることを「プロフェッショナル」として語る講師を何人か見てきた。確かに、一定の知識はあるのだろう。だが、だからといって受講者に正しく伝わっているとは限らない。
むしろ、そうした「即興性」や「ノープラン力」をありがたがる文化の背景には、「流暢なら正しいはず」という無意識の思い込みがある。
一方で、わたしたち講師には、否応なしに「即興力」が求められる。なぜなら、セミナーの締めくくりには、質疑応答の時間が多くの場合設けられているからだ。講師は、受講者の質問の意図を汲み取り、その場でセミナーの内容と整合性がとれた形で回答を組み立て、わかりやすく伝える必要がある。その思考のために与えられる時間は、ほんの数秒程度。
よって、講師業を営んでいると「即興力」が身についていくのだ。この「即興力」は、良くも悪くも武器になる。
ChatGPTにも潜む“それっぽさ”
わたし自身、業務でChatGPTを毎日使っている。コンテンツのたたき台作成やアイデア出しには便利だ。報告書や議事録作成も、ずいぶん楽になった。
だが、ふと感じるのは「なんか、うまくまとまりすぎてないか?」という違和感。
たとえば、ある補助金制度の概要を聞くと、正しそうな文面で回答してくれる。しかし、
・最新年度の情報が抜けていたり、
・誰にとっての支援なのかが曖昧だったり、
・肝心な現場での活用視点が欠けていたりする。
文面だけ見れば「すごくちゃんとしてそう」なのに、実は穴ボコだらけ。これもまた、流暢性バイアスである。
もちろん、プロンプト(=指示を出す際の文面)次第でいかようにもできるものではあるのだが、質問する側も一定のリテラシーは必要だ。
記号接地がなければ、言葉はただの飾り
では、なぜこのような“中身のない流暢さ”に騙されるのか?
その背景にあるのが、記号接地(シンボルグラウンディング)という概念だ。聞いたことあるだろうか?
何それ? 聞いたことないし!
難しそう…なんて思わないで。
ここからが面白いんだから!😄
記号接地とは、言葉(記号)が「身体感覚」や「経験」に結びついて、初めて本当の意味を持つという考え方である。
今井むつみ氏の著書『人生の大問題と正しく向き合うための認知心理学』では、こう語られている。
「人間は、言葉を経験に接地することで意味を理解する。AIはそれができない」
たとえば、「メロン」と聞いたときに浮かぶ甘い匂い、ザラついた表面、口に広がる風味―それが「接地」だ。赤ちゃんが「ワンワン」を覚えるときも、実際に犬に触れて初めて「これは犬か」と体感する。「雪」と聞いた時に凍えるような寒さをイメージしたり、手の上ですぐ溶けてなくなる感覚を思い出したりするのも、実体験からくるものだ。
一方、AIが生み出す文章にはこの“接地”がない。過去データをもとに、もっともらしく言葉を並べているだけで、意味を感じてはいない。
論点ずらしの政治家にも要注意
わたしは政治系コンテンツを見るのが好きで、内閣や各政党党首の定例会見や、選挙前の討論番組をよく見る。
(推しチャンネルは「リハック」。テレ東時代から高橋Pがすき)
しかし、政党を超えた討論会では、質問に答えず論点をずらして「それっぽく」話す政治家も多い。その場しのぎのような言い回しで、聞き手を納得させるのではなく、黙らせてしまう。あるあるだ。

聞いている側としては、「それ、答えになってないよ!診断士試験だったらゼロ点だよ!」とツッコミたくなる。
彼らもまた、“記号は接地していない”が“流暢ではある”という危うい存在である。
騙されないための3つの視点

では、この流暢性バイアスと記号非接地のコンボに、どう立ち向かえばよいのか?
わたしが実践している3つの方法を紹介する。
① 経験と繋げる問いを持つ
「これ、自分の経験とつながるか?」
「自分が使うとしたらどうなるか?」
この問いを通せば、“理解した気になる”を防げる。
わたしは講義の中で、身近な例に例えて話したり、問題を解くときに出てくる抽象的な言い回しも、なるべく具体化して捉えるように伝えたりしながら解説している。それはまさしく、“記号接地”を意識することで正答率が上がるからだ。

② 自分の言葉で言い換える
ChatGPTで得た文章も、講義で聞いた内容も、自分の言葉に変換できなければ使いこなせない。言葉が「自から発したもの」でないのなら、それはまだ他人の知識である。
③ 第三者に説明してみる
流暢な言葉は“伝わった気”にさせる。だが、第三者に話してみると「なんかうまく説明できない」と感じることも多い。そこに、理解の“接地不足”が現れている。
わたしがこの記事で扱いたかったのは、“流暢性バイアス”と“記号接地”というキーワード。これらについて解説することで、自分の中に接地させることが目的だったのだ。
AI時代に伝えることの“意味”を取り戻そう!
AIが当たり前になり、プレゼンは見映え重視、言葉はどんどん洗練されていく。文章だって、そう。このnoteの記事だって、いかにも生成AIに書かせたとわかるものも、少なくない(悪いことではないので否定はしない)。

今井むつみ氏は、こう警告する。
「効率性ばかり追求し、記号接地を省略すると人間としての強みを失う」
このフレーズ、とても響いた。
わたしたちは、「効率性」を追い求めるあまり、「接地」という人間らしい営みを忘れてはならない。
本当に価値あるコミュニケーションとは、流暢さではない。
言葉が、体験と結びついているかどうかだ。
自分の経験で語れること、伝えられること。そこに、人間としての「強さ」と「伝わる力」が宿る。だからわたしは、これからも、自分の言葉で文章を綴るのだ。
それと読み手としてのリテラシー、これも重要だ。
「認知心理学とはなんぞや?」も含めて学べる良書でした👍
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