第75話 【自己肯定感って何?】元教員だった私が壊れた理由─ 真面目だからではなく、「止まれなかった」から
教員として働く中でうつ病を経験し、休職・入院・デイケアを経て回復の途中にいます。
このnoteでは、うまくいかない日も含めた闘病の記録と、自己肯定感について綴っています。
↓自己紹介はこちら♪
自己紹介の通り、
私は、教員でした。
朝は6時頃に出勤。
誰よりも早く職員室に入り、授業の準備をする。
授業では、子ども達が楽しく学べるよう、
できることをあれこれと考え、
子どもの小さな心の変化にも気づけるように、
常に気を張っていました。
毎日残業で定時で帰るなんてほぼあり得ない。
帰り着くのは9〜10時。
「先生、ありがとう」
その一言で、どれだけ救われたかわかりません。
でも同時に、
その教員という仕事に縛られてもいました。
だから、私は、壊れました。
今回は私の人生を、
ちょっとだけ振り返ってみます。
壊れた日のこと
ある朝、起き上がれませんでした。
身体が鉛のように重く、
涙が止まらず、
「行かなきゃ」と思うのに動けない。
頭の中では、
・甘えているだけ
・みんなは行っている
・これくらいで休むなんて
そんな声が鳴り続けていました。
でも身体は、動かなかった。
そのとき初めて、
私は“止められた”のだと思います。
自分では止まれなかったから。
私はなぜ止まれなかったのか
今なら、止まれなかった理由がわかります。
私はずっと、
・期待に応える人
・ちゃんとしている人
・責任感のある先生
でいようとしていました。
それは悪いことではありません。
でも、「それ以外の自分」を許していなかった。
・疲れている自分
・できない自分
・弱音を吐く自分
・他人に頼る自分
それらを認める心の余裕がありませんでした。
教員という仕事の構造
教員という仕事は、
・正解を出す側
・子ども達を支える側
・弱さを見せにくい立場
であることが多いです。
誰かが困っていたら、
自分の不調よりそちらを優先する。
目の前の子どもを放っておけない。
その積み重ねは、とても尊いものだと思います。
でも同時に、それは、
自分を後回しにする理由でもありました。
頑張れる人ほど、壊れる
私は弱かったから壊れたのではありません。
むしろ逆でした。
頑張れてしまったから。
耐えられてしまったから。
笑えてしまったから。
限界のサインを、
「まだ大丈夫」で上書きし続けた。
うつになったのは、
心が壊れたのではなく、
これ以上壊れないために、止まった、
そう思っています。
本当の理由は「自己肯定感の土台」
一番大きかったのは、
「できる自分」にしか
価値を感じられていなかったこと。
・子どもに必要とされる私
・保護者に信頼される私
・同僚に頼られる私
その私だけが、
存在していいと思っていました。
だから、できなくなった瞬間に
自分の居場所がなくなった気がした。
これが、絶対的自己肯定感が
育っていなかった状態です。
壊れたことで、初めて見えたもの
休職中、
私は何も生み出せませんでした。
社会的役割もなく、
肩書きもなく、
「先生」でもない。
その時間は、
怖くて、苦しくて、不安で、
でも必要な時間でした。
何もしていない自分と
向き合わざるを得なかったから。
そこで少しずつ、
「生きているだけでいい」
という感覚を学び直しました。
壊れたのは、失敗ではなかった
もしあのまま走り続けていたら、
もっと深く壊れていたかもしれません。
壊れたことは、人生の失敗ではなく、
生き方を見直すための強制停止でした。
私は今、あの経験を誇りとは言いません。
でも、否定もしません。
あれがあったからこそ、
頑張らなくても
存在していいという土台を
育て直せたのだと思えています。
おわりに
みなさんにも、
私と重なるところはありましたか?
もし今、
・責任感が強い
・弱音を吐けない
・止まるのが怖い
そんなあなたがいるなら。
壊れる前に、少しだけ立ち止まってほしい。
あなたが大切にしてきたものは、素晴らしい。
でも、あなた自身も、
その「大切」の中に含まれています。
壊れた理由は、
弱さではなく、誠実さ。
その誠実さを、
今度は自分にも向けて、
自分を守ることにも使っていい。
今、私は、そう思っています。
