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新刊チェック:2026年5月第2週分

こちらの記事の続きですが、前回の記事を読んでいなくても支障はありません。

5月第2週(3日~9日)


アリ・スミス著・岸本佐知子訳『五月 その他の短篇』

5月7日、河出書房新社より発売予定。2023年に河出書房新社から単行本として出たものが文庫化するという流れでした。

アリ・スミス(1962-)はスコットランド生まれの作家。新潮クレスト・ブックスから『両方になる』と「四季四部作」(『秋』『冬』『春』『夏』)が出ています。

近所の木に恋する<私>、バグパイプの楽隊に付きまとわれる老女、おとぎ話ふうの語りの反復から立ち上がる予想外の奇譚……現代英語圏を代表する作家のユーモアと不思議に満ちた傑作短篇集。

河出書房新社の公式サイトより

岸本佐知子が翻訳しているだけあって(?)、あらすじを読む限り、パトリシア・ハイスミスやルシア・ベルリンと読み味がかぶっていそうな気がしますね。どちらも不思議な設定の短編を書いていて、それが日本にも紹介されていたように思います。

江國香織『川のある街』 (朝日文庫)

5月7日、朝日新聞出版より発売予定。文庫。解説は朝吹真理子みたいです。文庫版の紹介が少し粗かったので、単行本版の説明を一部抜粋しました。

ひとが暮らすところには、いつも川が流れている。

両親の離婚によって母親の実家近くに暮らしはじめた望子。そのマンションの部屋からは郊外を流れる大きな川が見える。父親との面会、新しくできた友達。望子の目に映る景色と彼女の成長を活写した「川のある街」。

河口近くの市街地を根城とするカラスたち、結婚相手の家族に会うため北陸の地方都市にやってきた麻美、出産を控える三人の妊婦……。閑散とした街に住まうひとびとの地縁と鳥たちの生態を同じ地平で描く「川のある街 Ⅱ」。

四十年以上も前に運河の張りめぐらされたヨーロッパの街に移住した芙美子。認知症が進行するなか鮮やかに思い出されるのは、今は亡き愛する希子との生活だ。水の都を舞台に、薄れ、霞み、消えゆく記憶のありようをとらえた「川のある街 Ⅲ」。

〈場所〉と〈時間〉と〈生〉を描いた三編を収録。

朝日新聞出版の公式サイトより

あらすじだと地名がぼかされています。作中でも仄めかされないのであれば、読者が自分にまつわる河川を思い思いに浮かべながら読んでいけるような作品になっている、そのように考えてもよいのではないでしょうか。

まず「川の流れる街」について。自分にとって「郊外を流れる大きな川」というと、利根川を思い出します。日本の河川の中でも最大の流域面積を誇りますし、じっさい常磐線やつくばエクスプレスに乗ると河川敷の広さに圧倒されます。

川といえば「隔てる境界」というイメージがあるので、望子も父親に面会するときは大きな川を渡ることになるのでしょうか。そして、面会と川のイメージが彼女の中で結びついていくのでしょうか。そうしたことが予想されます。

「川の流れる街Ⅱ」の舞台は北陸の地方都市だそう。また「市街地を根城にしているカラス」がいるということで、安直に「北陸 カラス 多い」で検索をかけてみたところ、以下のような記事がヒットしました。

この記事は今年の4月17日に配信されたもので、小説が書かれた時期よりも新しいものの、一般の方のブログ記事を見てみると、石川県(特に金沢)は定期的にカラスの大量発生に悩まされているような感じがします。(その例としてブログ記事2件のリンクを貼っておきます。ひとつめは2021年のもの、ふたつめは2016年のものです。)

となると、この作品は「金沢」を想定して読めばよさそうな気がしてきました。

最後に「川の流れる街Ⅲ」。「運河の張りめぐらされたヨーロッパの街」や「水の都」といったワードから、私はヴェネツィアやアムステルダムを想像しました。(ちなみに、ヨーロッパには「水の都」と呼ばれる都市がこの2つ以外にも複数あるみたいです。)

そして、「忘却」と「川」というキーワードから思い出されるのは、やはりレーテーでしょうか。レーテーとはギリシャ神話における冥界の川であり、その川の水を飲むと生前の記憶を一切失うのだとされています。芙美子も川の水を飲み始めているのかもしれませんね。

ヘロニモ・デ・パサモンテ著・岩根圀和訳『ヘロニモ・デ・パサモンテの生涯と苦難』

5月8日、彩流社より発売予定。『ドン・キホーテ』の後編が出版されるまでの間に、別の作者によって勝手に続編が書かれていたということは存じ上げていました。(たしかセルバンテス自身が『ドン・キホーテ』の後編の最初の方でも触れていたはずです。私の記憶が正しければ……。)

そして、今回取り上げる本は贋作『ドン・キホーテ』を手掛けた作者の自伝にあたる本なのだそうです。さらに面白いのは、セルバンデスと同じく、贋作の作者たるヘロニモ・デ・パサモンテもレパントの海戦に参加していたということ。偶然なのではありましょうが、世界史の教科書にも載るような有名な事件に2人が立ち会っているということにロマンを感じます。

ベストセラー『ドン・キホーテ』の前編と後編の間には、別の著者による後編、または贋作とも言われる『ドン・キホーテ 後編』が出版されていた(この別の著者による「前編」は出版されてもいなかったにも拘らず……)。その作品は、後に刊行された後編の作者セルバンテスが、本文中、最後まで罵詈雑言を浴びせ続けながらも、自身の物語の内容を変更せざるを得なくなるほどの影響を与えている。この「後編」の作者はいったい誰なのか?「スペイン無敵艦隊」に同乗していた戦友なのか?!セルバンテスが後編を書く際も、その作者の「自伝」を読んで物語に大いに活用している節も伺える、その当の「自伝」を本邦初訳!

彩流社の公式サイトより

三島由紀夫『黒蜥蜴』(創元推理文庫)

5月9日、東京創元社より発売予定。読みは「くろとかげ」。馴染みすぎていて、かえって言いたいことが見つからないのですが、ひとまず「出版されて良かった!」と申し上げたいです。創元推理文庫から出版されるということは、三島のファンだけでなく、乱歩のファンやミステリの読者も手に取るかもしれないということですからね。

合う・合わないが明確に分かれる作家ではありましょうが、ひとまず手に取って読んでいただけると嬉しいです。また、本作は戯曲であり、ふだんの小説とは書き方が異なるので戸惑う部分も多いと思います。ですが、戯曲にも面白いものが多くありますので、この機会に少しでも親しんだり慣れたりしていただければ、と思います。

二の腕にあざやかな黒蜥蜴の刺青を持つ妖艶で美貌の女賊、黒蜥蜴と名探偵明智小五郎が、誘拐された宝石商の令嬢と「エヂプトの星」と呼ばれる秘蔵のダイヤモンドをめぐって対決する。しかし、追い、追われるうちに、いつしかふたりの間に恋慕のようなものが芽生えはじめ──。江戸川乱歩の傑作推理小説を翻案した三島由紀夫の名作戯曲を、装いも新たにお届けする。解説=東雅夫

東京創元社の公式サイトより

※補足

ヴィキ・ドラク著・福田耕佑訳『ヴィクトリア』

5月1日、京緑社より発売予定。公式サイトには本作に関する説明がなかったので、Amazonより引用しました。「ギリシア文学研究者が本邦初翻訳」とあるので、さすがにギリシア文学のはず。

「ヴィクトリアとは、一八八七年に帝都のアレツで生まれた著者の祖母の名前である。祖母を中心人物として、三世代に及ぶ家族の物語が展開され、家族の強いられた脱出まで続く。物語は、著者のテッサロニキでの青年時代と壮年時代で終わる」(本文493ページ、「訳者解説」より)

イスタンブルとテッサロニキ、二つの都市をめぐる親子三代の物語を気鋭のギリシア文学研究者が本邦初翻訳。

Amazonの商品ページより

あらすじから察するに「帝都」というのは、オスマン帝国の“首都”であったイスタンブールのことを指しているのでしょう。そして、テッサロニキは、ギリシャにおいてアテネに次ぐ2番目の都市です。

20世紀においても、現在のギリシャとトルコにあたる地域・国家の間で何度か戦争がありました。あらすじにおける「強いられた脱出」というのは、そうした事件のせいでイスタンブールを追われた経験を指しているのかもしれません。(といいつつ、別の歴史的事件のせい、ということもあるのかもしれませんが……。)

そして個人的に気になるのは「アレツ」という固有名詞。なのですが、その意味はよくわかりませんでした……。(イスタンブール市内の地名を指しているのかもしれません。)英辞郎によれば「アレクサンダー」の短縮形に「Alec(アレッ)」があるらしく、それに近い意味を持っているのではないかと推察しています。しかし、これ以上は踏み込むことはできませんでした。力不足で申し訳ないです。

テシー・バイラ著・福田耕佑訳『雨の日の茶』

5月1日、京緑社より発売予定。こちらは版元ドットコムの説明から。

アテネの生活の中で受けた傷に押しつぶされた若き考古学者のフリスティナは、運命の導くままに日本へと逃げ込むこととなった。ここ日本でフリスティナは人生の哲学の講義をしてくれた友人の敏夫、芸者の寛子とその秘密、そしてお伽噺に出てくる悪役のような老婆の公美と出会い、自らの傷を乗り越え、どうしてこの国に来たのか、そしてこれからどう生きていくのかを学ぶこととなった。そして決意を新たにして人生の次の生涯を歩み出そうとした時に……。ニコス・カザンザキスが描いた日本とギリシアを引き受け、国際PEN GReec会長のペンを通して現代のお伽噺は再び私たちの絆を描くのだった。現代ギリシア文学の専門家による翻訳でお楽しみください。

版元ドットコムより

文学に精通した外国人が訪日したさいの経験や所感を綴った小説というのは、たとえばアンナ・ツィマ『シブヤで目覚めて』が人気を博したり、『北は山、南は湖、西は道、東は川』がクラスナホルカイ・ラースローの長編の中で唯一翻訳されていることを思えば、どうやら優先的に翻訳される傾向にありそうです。そして、あらすじを読む限りだと、本作もそうした傾向の延長線上にありそうですね。

あらすじに「ニコス・カザンザキスが描いた日本とギリシアを引き受け、」というフレーズが出てきます。このニコス・カザンザキス(1883-1957)というのはギリシャの作家で、本作の訳者である福田耕佑さんも精力的に研究されているみたいです。(reseachmapによれば、少なくとも博士課程まではカザンザキスを中心に研究していたそう。)カザンザキスがどのように日本とギリシアを描いてきたのか、その点は門外漢の私にはわからないものの、wikipediaによれば、1935年には日本と中国を来訪しており、1938年にはその旅行記を『日本中国旅行記』として発表しているようです。

次回は5月第3週(10日~16日)の新刊チェックでお会いしましょう! それでは!


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水石鉄二(みずいし) 平素よりサポートを頂き、ありがとうございます。