Light-up studio 031 あなたはあなたの船の船長でした 「船出」 辻征夫
「船出だぞーっ!!」
ルフィーである。「ONE PIECE」である。海の男たちの冒険譚である。
調べてみると漫画が始まったのは1996年、翌年から連載開始。テレビアニメは1999年スタートだという。30年が経過しているのだ。子どもは大人になり、なんなら子供がいたりする。いやはや。ルフィーも大人になっていることだろう。……いやまさか。
あれはまだ小学校に入学する前だった。部屋の畳が海で、座布団や段ボール箱が船だった。左右に身体を揺すって徐々に陸に近づく。陸はちゃぶ台だったり、もう1枚の座布団だったり。ぼくは陸に上がると、きっとこぶしを突き上げただろう。時には声を上げたかもしれない。
「陸が見えたぞ! さあ冒険だ!」
新しい大陸に足を下ろし、あらたな冒険が始まる。そんな思いは何度もしてきた。清水の舞台から飛び降りるような決断と実行。それはどれもドキドキわくわくして、いやわくわくは嘘だな。ただひたすらドキドキドキドキして怖くて怖くて目を閉じて、それでも引き返す勇気はなく決断を半ば後悔して「えいやっ」と飛び降りたものだ。
はじめてのデート、はじめてのキス、はじめての家出、はじめてのセックス、はじめての海外、はじめての引っ越し、はじめてのアルコール、はじめての仕事、はじめての……。
最初はあんなにドキドキして眼を固く閉じて飛び降りるしかなかったのに、いつか当たり前のことになったあれこれ。「船出」という言葉もいつか使い古されて、日常使いの言葉になった。何かをはじめるときの比喩としての「船出」。

辻征夫
Light-up studio 031
「立派な人はほらこんなにいたのに/どうしてぼくたち あの無頼漢たち/海賊の方にあこがれたのだろう」
「捕まれば処刑場に高く吊るされるかれらに/ぼくも従兄弟もあこがれて/海賊になろうねと誓った」ね。
そんな少年の日々。きっと誰の記憶にもある冒険に満ちた世界が眼前に広がる毎日。今となってみれば微笑ましくも懐かしい日々。「船出」の言葉にもまだ手垢はついていなかった。
一転。
「もう何年になるだろう/病院のベッドで眼を見開いたままの従兄弟に/ぼくはささやいた」 …… !!
……落ち着こう。落ち着いて、詩の冒頭からもう一度読んでみよう。
医師のリブシー先生、郷士のトレローニさん、スモレット船長、ラム酒びたりのビリー、盲目のピュー、ジョン・シルバー。間違いない。みんなあの懐かしい『宝島』の登場人物たちだ。ぼろぼろになった表紙、古びた挿絵。今もリアルに思い出せる赤黒い布張りの少年文庫の手触り。確かにあったことだ。あの本はどこかの図書館の書庫の奥深く、今も誰かが手に取ってくれることを夢見ているかもしれない。
そんな宝島の登場人物と同様、いやそれ以上に確かに存在していたわたしたち。少年の日々。もちろん少女の日々も。ぼくらは確かにそこにいた。ずっと小さな身体、あるかないかわからないほどのちっちゃなたましい。なのにぼくは確かにそこにいた。今は身体もずっと大きくなり社会的な役割も与えられたぼくなのに、あの頃よりずっと小さくなってしまったように思うのはどうしてだろう。
それはさておき。
「ぼくたち海賊にもならず/妻を娶り 家庭を作り 働いたね/高く吊るされることはなかったけれど/いつのまにかぼろぼろになっちゃった」
たくさんの冒険をした。たくさんの危機にも出会った。でもやっぱりぼくたちは海賊にも、強盗にも、革命家にもならなかった。子どものぼくには見えなかった、平々凡々たる毎日に潜むたくさんの崖っぷち。それを避けるだけで精一杯だったんだ。
ねぇ。でもやっぱりぼくたちは海賊だったんじゃないかな? ときにはリブシー先生、ときにはビリー、たまーにジョン・シルバー。ぼくたちのなかに海賊は住んでいたんじゃないかな? 海賊のような勇気を持ち、平凡な毎日を乗り切って来たんじゃないかな?
「病院のベッドで眼を見開いたままの従兄弟」よ!
ぼくらはぼくらの航海を誰に恥じることもない。
もっと胸を張っていいんじゃないかな?
bon voyage!
あなたはあなたの船の船長でした。
あなたは多くの海を渡り、荒波を超え、ここまでやって来ました。
船長、最後の航海です!
月も明るく
海は静かだよ
bon voyage!
船出
辻 征夫
たとえば医師のリブシー先生
郷士のトレローニさん スモレット船長
立派な人はほらこんなにいたのに
どうしてぼくたち あの無頼漢たち
海賊の方にあこがれたのだろう
頰に刀傷 タールまみれの髪を肩までたらし
ベンボー提督亭でラム酒びたりのビリー
(おい小僧 おれをその男のところへつれてゆけ
さもないと腕をへし折るぞ)と言った盲目のピュー
そしてヒスパニオラ号の料理番
いまも生きているにちがいないジョン・シルバー
捕まれば処刑場に高く吊るされるかれらに
ぼくも従兄弟もあこがれて
海賊になろうねと誓ったのだったが
もう何年になるだろう
病院のベッドで眼を見開いたままの従兄弟に
ぼくはささやいた
ぼくたち海賊にもならず
妻を娶り 家庭を作り 働いたね
高く吊るされることはなかったけれど
いつのまにかぼろぼろになっちゃった
じゃ ひとあし先に
船出するんだね 船長
月も明るく
海は静かだよ
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