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高校生のためのサバイバル講座  考えるヒント  09と10

 夏休みです。夏休みもなく働いていらっしゃるみなさんには申し訳ないのですが、ぼくはこれまでずっと夏休みのある生活をしてきました。北海道の夏休みですから、本州と比べると短いのですが(その分冬休みは長い!)、それでも毎年夏休みを楽しんできました。

 今年も夏休みを過ごしています。とりあえずのんびりして、たまっている仕事を処理しつつ、「そうだ! 毎日noteをアップしよう!」と思い立ち、それには過去に書いたものを持ち出そう! ならばネタに困ることもないだろう、と始めました。なんと連続12日めです。ぼくにとってはスゴイ!

 でも中身は、26年前に書いた国語科通信「高校生のためのサバイバル講座」の一頁め「考えるヒント」の転記です。

 26年前、ぼくは42歳。あの時の生徒たちも今は42歳になっているはずです。当時42歳のぼくが書いていたのは、そこからさらに四半世紀遡った少年時代の記憶です。ですから、現在から考えると半世紀前になりますね。

 さて、26年前のぼくは新しい形の国語科通信を出すのに試行錯誤を繰り返していました。でも、毎週出して9回目になると、なんとなくこんな感じかなと思うようになりました。
 
 では、そんなころの「考えるヒント」です。
 
 どうぞ、ご覧ください。



   9 「イイコト?」「ワルイコト?」

 ぼくの通っていた「しけいようちえん」は仏教系の幼稚園だった。でもぼくらは「死刑幼稚園」だと信じていた。ワルイコは「死刑」になる怖い幼稚園だと。話は先輩から後輩へと語り継がれ、集会が開かれる本堂の黒光りした仏像の奥には、死刑になった昔のワルイコがいるという。
 だからぼくは、イイコになろうとココロに誓った。でも、イイコがどんな子かは知らなかった。帰り道で蜂をつまみ(男の度胸試しだ)、剌されて泣いて幼稚園に戻って怒られた。女シッコができるかという敦くんの挑発に乗って、みんなでのお散歩中に道の真ん中で座りシッコして怒られた。通園バッグにギッシリ詰めた漫画を見つけられて怒られた。怒られることはワルイコトだ。だからそのたびに、仏像の前で正座させられた。先生は「反省しなさい」と言い残して出て行く。反省より恐怖が増した。次こそ死刑に違いない。だから蜂つまみも座りシッコも漫画を幼稚園に持って行くのもきっぱり止めた。イイコになったのだ。
 しかし人生はそう甘くない。ある時幼稚園の帰り道に取り壊し中の建物を見つけた。廃墟。ぼくと敦くんはその誘惑に勝てなかった。黄色い帽子と紺のスモックの二人は、暗くなるまでひたすら宝探しに熱中した。家と幼稚園で大捜査網が敷かれていることに気付きもせず。でも、さすがに懐中電灯の光に照らし出された時には覚悟した。「これでぼくも死刑だ」と。
 ところが、だ。先生もうちの母さんも敦くんのおじさんもおばさんも「良かった、良かった」と言うばかりで、誰一人怒らなかった。その上ぼくも敦くんも死刑にならなかった。ぼくは混乱した。

 イイコって何だ? ワルイコって何だ? それより、あの死刑の話はどうなった?



 上のお話の舞台は昭和37~38年です。1962、3年ですね。幼稚園への道は舗装もされておらず、乾くと土埃、雨が降ると水たまりができていました。
 
 ぼくはとても絵が下手なのですが、このころから簡単なイラストを一緒に載せるようになりました。いずれそのイラストも載せますね。



   10 ライパチの涙

 少年は子供会のソフトボールチームに入って一年になる。少年は五年生で補欠だった。しかし六年生でも補欠の子がいたくらいだから、彼が特別下手だったわけではない。
 ある日、少年は急に試合に出ることになった。人数合わせに過ぎないのだが、少年は緊張した。当然、守備はライトで打順は八番。「ライパチくん」と呼ばれる一番下手な子の定位置だ。それでも少年は気負った。そして密かに、ボールがライトに来ないように祈った。
 試合が始まった。ボールはほとんどライトには飛ばず、たまに来ても、一二塁間をゴロで抜けたヒットで、落ち着いて処理できた。打つ方も二回目の打席でヒットが出たので、ほっとした。
 試合は七回に入り、得点は二点リード。このまま勝てるだろうと皆が思っていた。それが悪かった。ツーアウトから二本続けてヒットを打たれ、走者一、二塁になってしまった。それでもまだのんびり構えていた。次の打者はその日当たっていなかったのだ。
 ところが、快音と共にライト方向にでっかい当たりが飛んできた。少年の頭は真っ白になった。かなり前進守備をしいていたのでやばかった。球を見ながら必死で(首をねじって球を見ながら)走った。チームメイトの「バック、バック」という声が聞こえる。ままよ、とグラブを突き出すと、そこにスポンとボールが入ってくれた。「ナイスキャッチ」遠くから、声が聞こえた。
 呆然としたままベンチに戻った。そこで、みんなの賛嘆の声に迎えられた。「よく取れたな」「ナイスプレー」……。最初は、嬉しかった。ところがみんながあんまりしつこく言うので、少年は嫌な気分になった。

 少年は悔しさに目を滲ませた。


 悔しかったことをとてもよく覚えています。こんな思いをするくらいなら、ソフトボールなんかやめようかなとも思ったことも。
 
 すごく褒められているのに、馬鹿にされているようにしか受け取れなかったんですね。少年の心は推し量りがたいものです。
 
 それはさておき、この「ライパチの涙」を書いた時に、なんか自分なりに何かを手にしたような気がしました。開眼というと大げさなのですが、自分が文章を書くときに目指す方向というか、書き方というか。
 
 自分の中にすっと入って、いつもの感情や理性が働いているところからもう一歩も二歩も奥に入りこんで、しんと心が静まっているところに降りていく。心が静まっているというよりも、心のないところ、心の前段階のようなところ、そこに降りていくことができれば、そしてそこで書くことができれば、ぼくは充分だと思いました。
  
 ぼくにとって「書く」という行為は、その心の前にあるところまで降りていくことで、それができれば「自分としては良しとする」ということです。
 
 文章が上手いとか下手だとか、他の人にどのように評価されるのかというのは、ぼくにとっては「書く」という行為を考えるとずっと外側にある、あまり大切ではないことになりました。
 
 大切なのは、ちゃんとそこ、心の奥の奥、心の前段階のところまで降りていって書けたかが何より大切なことだと、この「ライパチの涙」を書いていて気がつきました。
 
 「あ、これでいける」って感じです。
 
 それまでこの「高校生のためのサバイバル講座」をちゃんと最後まで(生徒たちの卒業まで)書き続けることができるか不安でしたが、この「ライパチの涙」を書いたことで、なんか根拠のない自信を持てました。

 そんな第10回めでした。ぼくにとっては、思い出の回です。




 前回の『高校生のためのサバイバル講座』「考えるヒント」は、こちらです。


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