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高校生のためのサバイバル講座  考えるヒント  07と08  

 考えるってどういうことだろう。それはある意味、徹底的に自己中心的になることかもしれない。

 生徒に「どう考える?」と聞くと、どこかで聞きかじった答えが返ってくる。「どうして、そう考えるの?」と追及すると最終的には「親がそう言ってた」「先生がそう言ってた」「本で読んだ」「ネットで見た」……。そんな「考え」ばかりだ。

 考えの根拠はせめて自分の体験であってほしい。だから、ぼくは自分の考える根拠になっている自分の経験を書いた。でも、「こういうことがあったから、ぼくはこう考えるようになった」とは、書かない。ただ、ぼくの考える素材になった経験を書いた。

 たぶん、人の考えることなんで大同小異だと思う。人の経験も似たようなものだろう。ぼくの考えるヒントになった体験と同じような経験を生徒もしているかもしれない。

 そんな彼/彼女の経験を揺り動かすことができたら、そこから彼/彼女の「考える」という行動がスタートするかもしれない。

 「考えるヒント」という大仰なタイトルは、そんな素朴な思いのあらわれに過ぎない。小林秀雄には何の関係もないのだ。

 ただ、そんな思いの通り読んでもらえたとは思っていない。それは「もし読んでくれたら」「もし似た(あるいは反対の)経験をしていたならば」「もし自分の経験から何かを『考え』てくれたならば」といういくつもの「たられば」の思いである。

 教育、教師の仕事というのは、そんな薄い可能性にすがっている。願いというか、祈りのようなものだ。そう思っている。
 
 祈りというほど高尚でもないのだが、『高校生のためのサバイバル講座』第7回と第8回目の「考えるヒント」をお読みください。



  7 S先生、僕は今でもわかりません

 小学二年のある日のことです。担任の先生が朝の学活で突然「今日は四時間の予定でしたが、先日の臨時下校の振替で五時間授業になります。」と宣言しました。当然僕らはみんなブーイングです。すると担任のS先生は、突然「帰りたい人は、勝手に帰りなさい」と言うのです。みんな静かになりました。僕は「あ、そうか帰っていいんだ」と納得しました。
 給食の時間が終わり、掃除を終えて(僕の通っていた小学校は昼休みに掃除をしていました)、僕は家に帰りました。何の悪気もありません。僕は先生の言葉に素直に従っただけです。いつものようにニキロの道のりをバッタをつかまえたり、トンボをからかったりしながら帰りました。
 すると家の前でお母さんが待っています。「すぐ学校に戻って先生に謝ってきなさい」と怒っています。僕は泣きそうでした。何が何だかわからんのです。「何で」と聞くと「何でもいいから、学校に戻って謝ってきなさい。謝ってくるまで家には入れない]と、身も蓋もありません。
 それ以上何も言えず、僕は学校に戻って塩谷先生に謝りました。「ごめんなさい」と。先生は怒っていて、一時間以上もお説教をしました。家に帰ると母さんからまた説教です。
「先生に逆らうのは悪い子だ」と。
 僕は二人とも嘘つきだと思いました。そして、帰ったのが僕だけだったと聞いて、クラスの友達にも裏切られた気がしました。


 自分の「考えるヒント」になっていると書いたが、これがあったから何をどう考えるようになったというわけではない。ただこのような記憶が積み重なって「ぼく」ができているんだろうなという程度の漠然とした思いだ。
 
 「考える」って、実は素朴な行いの積み重ねだと思っている。
 
 そんなことを考えながら書いていたのだろうけれど、なかなかどの方向性で行けばいいのかがわからない。なんとなくな方向は決まっているけれど、「こっちだ」という覚悟ができていない。まだそんな時期の「考えるヒント」だ。


 

   8 十七歳の凶暴性

 それはティーンエージャーと呼ばれる年(十三歳)から始まる。抑えようのない衝動だ。
 教室の中で騎馬戦をやって中村(仮)くんをボコボコにした。殴っているとその間だけは胸のつかえがとれた。てんかんの発作を起こしていた遠藤(仮)くんを、物見高く覗いていた。真夜中に真っ裸でまだ冷たい水を張ったばかりの田圃をゴロゴ囗転げ回って、泥だらけになっていた。先輩の卒業記念誌に、前の年と同じ原稿を載せて、ボコボコにされた。好きでもない女の子を口説いて、その気にさせて「うっそだよ~ん!」と言って笑った。友達はシンナーでラリッて、バイクで学校にやってきた。隣の学校に殴り込みをかけたり、かけられたりしている奴もいた。中学生の頃。
 高校では、冬の体育の時間はずっとラグビーをやっていた。気に入らない奴に意味なくタックルし、どさくさに紛れてエルボーを入れた。女の子をだまして、小遣いをもらっていた。体育祭の棒倒しは公認の喧嘩だった。殴り殴られる爽快さがあった。拳でコンクリートの壁を殴ったり、ガラスを割ったりして血だらけになった。ピエロの格好をして町を歩いた。最悪の時は自分が死ぬだけだと、気楽にアメリカの路地に入り込んだ。同級生にはヤクザの舎弟になった奴も、飲み屋の女の所から通ってきている奴もいた。頭を丸めてハーケンクロイツの旗を振り回していたネオナチ野郎は京大に入り、年中ランニングと下駄で登校していた奴は東大に入った。
 「いちご白書」という映画に、コカコーラのビンで洗面台を叩くシーンがあった。ビンは割れず、洗面所が粉々になった。そのシーンを見た瞬間、僕の中の凶暴性は強烈な無力感に襲われ何かを失った。おかげで僕は人を殺さずにその年代を潜り抜けることができた。


 ぼくはその学校で二回目の担任だったと思う。入学から卒業まで担任を持つことを、ぼくらは一回目と呼ぶ。
 その一回目の担任で学んだことは、「彼らはぼくだ」という気持ちだった。もしぼくが彼らのような環境で育っていたら、きっとぼくも彼らのような高校生になっていた。そんな気持ち。
 ぼくにはぼくの素朴な黒歴史があって、あの時代の(当時からやはり四半世紀前の)ティーンエージャーの狂気のようなものがあった。
 
 2026年のぼくは、あのような年代を経験していない現代のティーンエージャーたちのことを心配したりする。「黒歴史」を持たない若者、ずいぶん小さくなってしまった「黒歴史」しかない若者。それはきっと悪いことではないんだろう。でも、本当にそうなのかな?

 今だったら、こんな文章を生徒に見せたら、絶対保護者からクレームが来るだろう。それも悲しい。






 前回の『高校生のためのサバイバル講座』「考えるヒント」05と06は、こちらです。


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