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高校生のためのサバイバル講座  考えるヒント  05と06

 ずいぶん前のような気もします。まだ、ぼくの家には4人の子どもがいて、何だかんだと毎日がお祭り騒ぎでした。ぼくはなかなか父親らしいこともできず、無駄に怒ったり、説教したりを繰り返していたように思います。5人で暮らす家は狭く感じられました。今はこんなに広いのに。

 先日、3番目の子が「やっと40になったよ」と言いました。その子も、あの頃はまだ中学生でした。上の子は高校3年生。この「高校生のためのサバイバル講座」は、そんな自分の子どもたちにもあげていました。

 そう思うと、やはりたくさんの時間が経っているのですね。

 ということで、26年前の国語科通信「高校生のためのサバイバル講座」から「考えるヒント」の5回めと6回めをご覧くださいませ。


   5 「暗い」とか「明るい」とか、簡単に決めつけないで。

 早く帰ろう。ぼくは雨の中をいそいでいた。川遊び、貸本屋、墓場でのビー玉遊び、駄菓子屋のくじ引き。帰り道の誘惑はたくさんあるけど、今日はまっすぐ家に帰るんだ。
 うまい具合に母さんは家にいない。ぼくは、家中の傘を全部納屋に持ち込む。壊れた傘も、茣蓙もスコップも合羽も、必要な物はすべてこの小さな納屋の中にあった。準備は完璧だ。
 ちょっときつくなった合羽を着て、スコップを手に雨の中に出る。ぼくはスコップで玄関先の砂利を一度盛り上げ、平らにならす。ていねいに、ていねいに。これを適当にやるとすべてがおじゃんになってしまう。そこに茣蓙を敷いて傘でテントを作る。家中の傘を一本ずつ開き、下の方から並べていく。陽の射す方に明るい傘、影の方に暗い傘を置くのが基本だ。父さんの傘は影の方に、母さんや姉さんの傘は陽の当たる方に。こうすれば夕方になっても傘のテントの中は明るい。
 でも一番大切なのは、てっぺんに置く最後の一本だ。ぼくは莫蓙の真ん中に立ち、傘の山を見下ろす。そして、幼稚園の頃使っていた黄色い傘を開き、そのままゆっくりと座り込む。
 その瞬間がぼくは好きだった。薄ぼけた雨の風景が一瞬のうちに赤や青、黄色。茶色、様々な色の空間に変わる。手も足もそれぞれの色に染め上げられる。最後の黄色い傘がぼくの瞼を黄色く染め上げる。雨が傘を打つ音が世界中に広がっていく。四方八方から突き剌さるように飛び出ている傘の柄を避けて、ぼくはゆっくり仰向けに身を横たえる。雨粒は、傘の上で池を作り、川になって流れる。傘のテントは空を明るく映し、その上を雲が横切っていく。
 ぼくは核戦争で生き残った一人だ。世界にはぼくと同じように傘のテントの中にいる子供だけが生き残っている。ぼくはこれからどうすればいいんだろう。どうすれば仲間に会えるんだろう。淋しさが傘一杯に広がっていった。
 小学二年生の頃のぼくの一人遊び。



 当時は子どもを育てていたこともあって、自分が子どもの頃のことをよく思い出していました。

 なかでも傘のテントの思い出は、ぼくの原風景のひとつです。何かことあるたびに思い出していました。

 どうしても明るい元気な生徒ばかりが目立ち、静かな生徒は陰キャ(その頃はまだなかった言葉です)だと冷遇される雰囲気が教室にはありました。それが嫌だなぁと。

 ぼく自身の小学生の頃のことを思い出してみると、明るく元気で、クラスの中心的な人物だったと思います。それでも静かな気分になることもあったように思います。

 で、こんな文章を書いてみました。だって雨の日の傘テントなんて、暗い感じでしょ?

 第六号でも、なんとなく子どもの時のことを書きました。次は、少し成長した高校生のときの思い出です。久しぶりに読み返して、甲斐さんのことや他のいろいろな人のことを思いだしました。


  6 わからないことはわからないままに

 僕の住んでいた家は海から四、五キロも離れていましたが、静かで海風の吹く夜には、海鳴りの音とともに潮の香りが届いていました。そんな夜はよく散歩をしました。僕の部屋は母屋から離れたガレージの二階だったので、簡単に出入りできたのです。
 夜になると友人の誰彼となくやって来ては、夜にしか話せない話をして帰っていきました。僕が十六の頃です。
 二つ年上の甲斐さん(仮名)がやって来たのもそんな潮の香りのする夜でした。甲斐さんは部屋にあるアルコールランプを見つけると(僕は実験少年でいろんな実験器具を持っていました)部屋の明かりを消し、こたつの天板の上にアルコールを流し広げました。そしてためらうことなく、火をつけたのです。青く薄い炎が静かに燃えました。
 「大丈夫、火事にはならないから」甲斐さんはそう云いますが、僕は気が気ではありませんでした。「黙って見ててごらん」と甲斐さんは云います。僕は黙りました。青白い炎は恐ろしいほどに静かでした。
 「私……」
 それだけ言うと、甲斐さんは黙って泣きました。火が消えてもずっと泣いていました。僕は仕方なく黙ってそれから何度かアルコールを流し、火をつけました。暗闇になるのが怖かったのです。そのうち甲斐さんは泣き疲れて寝てしまいました。僕は明け方の道を散歩しました。遠くから宮崎の海の音が聞こえていました。


 こんなことを書いていいのかなぁとおそるおそる出したのを覚えています。ちょっと想像力を刺激する気がして。ま、いいや、これも「考えるヒント」の一つになるでしょと投げだしました。

 中学生の頃は、庭の物置を改造した「一歩庵」がぼくの部屋でした。三畳にも満たない「一歩庵」は、連夜、中三男子がやってきて、明け方に帰っていきました。

 高校生になると、ガレージの上の部屋に引っ越しました。鳩小屋と呼ばれていたそこにも誰彼となくやってきていました。

 鳩小屋には女子も時々やってきていました。甲斐さん(仮名)もその一人です。甲斐さんと最後に会ったのは、ぼくが34歳の頃だと思います。彼女は東京で出版系の会社に勤めていたように覚えています。

 川崎でのライブを見ての帰りに台風で札幌に帰れなくなり、一泊させてもらいました。

 それっきりになっちゃったけど、元気にしているのかなあ?





 ……岩手の大沢温泉に一週間の予定で来ています。湯治です。上の写真は、移動中の一コマでした。
 あ、noteの一週間連続投稿成立しました! ぼくにとっては快挙です。連日投稿を平気な顔でやっているみなさんには尊敬しかありません!




 前回の「高校生のためのサバイバル講座」は、こちらです。


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