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Light-up studio 033  こころのなかの小さな部屋  「月夜の浜辺」  中原中也

 忙しくなると疲れが溜まる。最近ようやくこの言葉がリアルに感じられるようになった。そうか、疲れは溜まるのか、と。

 疲れが溜まると判断力が鈍る。判断力が鈍るというか、頭がぼんやりする。今がまさにそうだ、ぼんやりした頭を抱えている。頭がぼぉーっとするのだが、それはそれで世界は回っていく。

 頭がぼぉーっとする。何を考えても頭に紗の幕がかかったようだ。集中力が鈍っているのだ。集中力が鈍ると不快である。なにをするにも余計な時間がかかってしまう。その上、その結果に自分で納得できない。こうやって文章を書いていても、もっと他に言い方があるだろうと思ってしまう。

 疲れが溜まると、なんか毒づいてしまう。疲れを溜めた自分以外に悪者はいないのに、なんか周りに毒づいてしまう。「爺さんだね」と妻は言う。「嫌われる爺さんになっているよ」と。わかっている。わかってはいるのだが、疲れているのだ、きっと。こんな時は漫喫に一日籠って時間を融かしたり、映画館の暗闇に身を浸すのがいい。でも、その数時間を使えば、少しでも仕事ができると思ってしまう自分の貧しさに腹が立つ。

 もちろん、できれば全く違う環境に身を置いて(生活の場から二時間以上離れて)、仕事を切り離すのがいいことはわかっている。でも、それには何日もの休みが必要になる。今のところとれる休みは二日、三日が限度だ。それでもたいがいの休日には仕事が侵食してくる。あ゛-っ! である。

 いろんなことを忘れる時間が必要だ。

 モルディブでトロピカル・ジュースを飲まなくったって、
 バリ島でオイル・マッサージをしてもらわなくったって、
 プーケットで美味しい料理を食べなくったっていい!

 あれやこれやを忘れて、ゆっくり疲れをとる時間が欲しい!


 ……そうだ! 詩を読もう!! 

 いかにも詩らしい詩がいい。
 詩には難しいことを言わないでほしい。お説教はされたくないのだ。
 できれば、ぼくを少し優しい気分にしてほしい。

 そして、それはきっと小さな寂しさを思い出させてくれる詩なんだ。

 どこにある? そんな詩は? どこにいる?


 ぼくらには、中原中也がいるじゃないか!

 もうずっと前から、ぼくらには中也がついているじゃないか!

「月夜の浜辺」
中原中也
Light-up studio 033


 ほっとするのだ。その静けさと少しの寂しさに。

 明るくなくてはいけない。積極的でなくてはいけない。前向きに生きていかねばならない。……本当だろうか? ぼくらのこころのなかは、本当にそんなにポジティブで前向きで、明るいのだろうか? そうでなくてはならないのか?

 ぼくのこころのなかを覗いてみる。
「こんこん、誰かいますかー?」

 こころの表層はざわざわとして、いろんなことが無節操に泡立っている。やらねばならないこと、やりたい仕事のこと、今晩の夕食のこと、近づいてきたライブのこと……。考えなくてはならない今の出来事。いつもの暮らしのなかで、ぼくはほとんどこの場所にいる。でもまあ、今はそこをスルーして……。

 もう少し潜っていく。あれやこれやの心配事や夢想が並んでいる。表層にあるものより、もう少し長いスパンの時間、広い世界を見ている。いつの間にか、そんな歳になっていた。ちょっと驚き、ちょっと嘆く。たまにしかこないけれど、いずれはちゃんと向き合わねばならぬところ。でも、今はまだいいかと見ないふりをする。  

 今日は、もう一つ潜っていく。家族も、どんなに近しい友人も入ってこられない自分だけの小部屋。きっと誰のこころのなかにもあるけれど、誰にも見せることのできない小部屋。鍵をしなくても誰も入ってくることができないところ。

 そこはいつも、しんとしている。ひとりぽっちだけれど、ひとりぽっちじゃないところ。寂しいけれど、すっと安らぐところ。この部屋のありかに気がついた50年以上前から、少しも変わっていない小部屋。メールもSNSも、ここには届かない。

 中也の描いた月夜の浜辺は、きっとそんな小部屋の風景だ。

  月夜の晩に、ボタンが一つ
  波打際に、落ちてゐた

 繰り返す波の音。潮のかおり。
 空に浮かぶ満月が海に映り、波はその月を岸辺に打ち上げる。
 ボタンに姿を変えた満月は、濡れた砂の上で静かに光っている。
 ぼくはそれを袂に入れる。
 空には月、海にも月、袂には月の似姿たるボタン。

 世界はそれで完成している。

 波の音は耳から遠のき、潮の香も遠ざかる。

 月とぼくだけの物語。

 月夜の浜辺
         中原 中也

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
なぜだかそれを捨てるに忍びず
僕はそれを、たもとに入れた。

月夜の晩に、ボタンが一つ
波打際に、落ちてゐた。

それを拾つて、役立てようと
僕は思つたわけでもないが
    月に向かつてそれははふれず  
波に向かつてそれは抛れず
僕はそれを袂に入れた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
指先にみ、心に沁みた。

月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?

Light-up studio 033


 帰ってくると、少し元気になっていた。



 前回の Light-up studio はこちらです。


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