枕話5 これまでで一番、美味しかった料理はなぁに?
授業の初めのマクラは、休み時間のおしゃべりから授業へのつなぎですから、少しずつ沈静化させる目的もあります。ただ、時には授業より盛り上がり、記憶に残る場合もあるようです。でも、それは決して教員の真意ではありません。大切なのは、授業です。そのはずです。さて、今日の枕話は「食」についてでした。
テレビでよくグルメ番組とかやっていますよね。「ぅんまーい!」というやつ。あれは、ビジネス「ぅんまーい!」なのでどうでもいいのですが、みなさんがこれまでに食べたものの中で、どこで食べた何が一番美味しかったですか?
がやがや。
みなさんはこれからいろんなところで、いろんなものを食べることになります。これまでは、みなさんの家庭での食事が中心だったと思いますが、そこから離れて「食の旅人」になるのですね。自分の家庭というようなものを作り、新たな食の基地を作るまでの間、みなさんは「食の旅人」となるわけです。「食の浮浪人」かもしれないけどね。彷徨してくださいね。彷徨のうえで、自分の食の基地を作っていく。これも大切な自立の道の一つです。
がやがや、がやがや。
味覚において、みなさんはまだ予想以上に未熟です。味覚はまだまだ成長します。よく「子供舌」とか言うじゃないですか、あれは味覚の成長を示すことばの一つですよね。
ぼくには忘れられない2回の食事があります。今日はその話をしていいですか?
一番美味しかったもの? なになに?
一つは中華料理です。「食は広州に在り/食在広州」ということばを聞いたことがありますか? ぼくはその広州に2年間住んでいました。広州の大学で日本語を教えていたんですね。
赴任して間もないころ、大学から食事の招待を受けました。それで、家族揃ってのこのこ出かけたんですね。それがとんでもないものだったのです。
美味しいとかうまいとか、そんなことばを飛び越えた料理でした。どういうことかというと、まぁたくさんの料理が出てくるのですが、ぼくらは早々にお腹いっぱいになりました。もう入らない、満腹です状態です。
それでも次の料理が出てきます。そして各席に少しずつサーブしてくれます。最初はお腹いっぱいなので、見るのもイヤだ。だからほったらかすわけです。満腹のサインみたいなものです。
ところが少したつと、その料理の匂いがね、鼻腔を刺激してくるのです。なんか興味を惹かれるんですよね。それで何気なく、味見程度にすくって口に入れる。もう、その後は記憶にありません。気がつくと目の前の料理はなくなっている。満腹の上に満腹になったぼくが残されています。
さらに次の料理がやってきます。もう食べられません。満腹満腹ですからね。ところがやはり何かがぼくを誘います。味見だけ……以下同文です。そのうち、無意識に食べ続ける食の拷問のようになってきます。理性では抜けられない美味さなのです。味覚テロ。理性が放棄され欲望が一人歩きを始めたのです。
それがいつまでも続きます。満腹の何乗かになったところで、ようやく食事は終わるのですが、その時にはほとんど意識がありません。すべての血液がお腹に向かっている感じです。脳への血流は、ほとんどありません。
中華料理の本当の恐ろしさを知るのは、その夜のことです。子供たちは寝グソをたれ、ぼくは何度もうんこをするために起きました。夜中におしっこで目を覚ますことはよくありますが、うんこで目が覚めたという経験はあの時だけです。
日本語科の先生が後で教えてくれました。「今回の食事会は、大学からお金が出るということで、広州で一番のレストランにご招待しました。日本人の先生方よりも、中国人である私たちの方が楽しみにしていた食事会です。私たちには、なかなか予約も取れないレストランですから」
理性を崩壊させる料理たち、ですね。あの時の中華料理の暴力的なまでの美味しさは、とても危険だと思いました。あれを食べてしまったら、日本料理はどれも素朴すぎます。
あんなに美味しいものは、生涯に一度で充分な気がします。いや、もう一度食べてみてもいいかな? そりゃあ、目の前にあったら食べざるをえないのですが……。食に狂う自分を見たいか、見たくないかという話ですよね。
満漢全席という料理は、2、3日食べ続けるといいます。食べては吐き、食べては吐きを、繰り返しながら、食べ続けるといいます。その話を思い出して、「あー、吐きながら食べればよかったんだー」と思いました。もう、少しおかしくなってますよね。
うっわー、とか。食べてみたい~とか。いやいやいやいや、とか、生徒たちがやがやです。
もう一つ、忘れられない食事があります。話していいですか?
いやと言うわけもなく、こくこくうなずく顔・顔。
高校3年の秋だったと思います。ぼくは友だちと一緒に、学校をサボってフェス(当時はもちろんそんな言葉はありません。野外ライブですね)に向かっていました。アシッド・セブンとか久保田真琴とか、当時でもアンダーグラウンドの、でもライブにはやたら定評のあるバンドがいくつもやってくるという噂を聞きつけて、出かけたのです。たぶんフリーライブ、無料でした。アシッド・セブンのライブにはそういうものが多かったように思います。
会場は牧草地でした。ぼくらはたぶんヒッチハイクでそこに向かいました。公共交通機関はないし、それしか手段はありませんでした。三時間ほどかけて到着したのですが、誰もいませんでした。雨が降っていたのです。
ダンジョウとぼくは(あ、友だちのあだ名ですね、ダンジョウ)、呆然と雨の中にいました。何かお知らせの立て札とかあるのではないかと、見回しましたが何も見当たりません。携帯など影も形もない時代(1975年!)ですから、もう打つ手なしです。どうやったら帰れるのかもわかりません。
どの位ぼんやりそこに立っていたでしょうか? 1台のトラックがやって来ました。運転していた人が降りてきて「ライブに来たの?」と聞きます。こくこくとうなずく僕ら。長いひげと長髪のいかにもヒッピー然とした運転手は「雨がひどくなるっていうからさ、会場を移動したんだよ。近くの公民館に。乗せていくよ。後ろに乗んな」と言ってくれました。
地獄に仏でしたね。南国宮崎とはいえ、秋の雨に濡れた2人は、もうかじかんでいましたから。
でもねぇ、「後ろに乗んな」の「後ろ」は荷台です。2人はもっと濡れそぼることになりました。
で、公民館の大音量に包まれることになります。公民館は、今でいう人気クラブ状態です。みんなが立って踊っています。開放的な牧草地でのLiveだったはずが、ぎゅうぎゅうのムンムンな公民館です。隣り合う人とどこかしら身体が触れています。いやはや、びしょびしょで申し訳ない。
すぐにタオルを持った人がやって来ました。「寒かったでしょ。急に会場を変更してごめんね。とりあえずこれで身体を拭いて!」
ありがたし。遠慮なくがしがし拭きます。シャツは一度脱いで絞ります。あとは、会場の熱気とぼくの若さ(当時は17歳!)で自然乾燥です。
公民館の舞台ではアシッド・セブンです。会場内は大狂乱でした。そこに両手にお皿を一枚ずつ持った人がぼくらの方にやって来ました。
「お腹すいたでしょ。はい、これ」
ぼくらに渡された皿には、小さな玄米おむすびが二つずつのっていました。
「ありがとう。いただきます」
この玄米おむすびの美味しかったこと。泣きそうなほどに美味しかった。その後、踊り狂う人たちの間を縫って豚汁が届けられました。お椀に半分ほど入った豚汁。うまかったなぁ。
その日のLiveのことは何も覚えていません。しばらくの間、伝説のLiveとしてぼくらの間では噂になっていたけれど、アシッド・セブンも久保田真琴もメジャーへは向かわず、噂は小さなままで、聞こえなくなりました。
でも、あの日の玄米おむすびと豚汁のうまさは、ずっとぼくの中にあります。ぼくの「美味い」の一つの基準になった料理です。
満漢全席を彷彿とさせる広州料理、そして震えながら食べた玄米おむすびと豚汁は、ぼくの「美味い」の両巨頭です。
さて、みなさんはこれからどんなものを食べ、何を「美味い!」という人になるのでしょうか? いろんなものを食べて、いろんなものを美味しいと感じられるといいですね。
あれっ? 今日も少し話が長かったような……。
気にせず授業に入りましょうか。
枕話、次の小話はこちらです。よろしかったら、どうぞ。
