テスタ|第1話「遺愛」|愛の残響篇 #01
あらすじ
エンジニアの太陽は、妻まなを突然の病で失う。AIエンジニアだったまなは残された時間で、娘のために家庭用AI〈マナ〉を遺す。
喪失に耐えながら、太陽と花乃は〈マナ〉とともに三人で生きていく。
だが花乃が中学二年の時、再び悲劇が起きる。
いじめで娘を失った太陽は、誰にも届かなかった声を記録し、社会につなぐサービス『テスタノート』の開発に人生を懸ける。仕組みは希望となる一方、新たな歪みを生み、理不尽な形で停止へ追い込まれていく。
すべてを失い絶望した太陽だが、ある日、家族が遺した想いが予期しない形で届き、再び前へ歩み出す。
AIと家族の愛を通して、いじめと社会の向き合い方を問う物語。
届かなかった声を記録する。ただそれだけで、いじめに向き合える社会が来ると思いますか?
第一章
愛の残響篇
プロローグ
無音の映像。
広大な草原に、三つの後ろ姿があった。
父親、母親、そして20歳ぐらいの娘。
風が草を揺らしているはずだが、音はない。
娘が弾むように駆け出し、振り返る。
満面の笑みで二人に手を差し伸べた。
その光景は、どこか不自然なほど完璧だった。
次の瞬間、映像は唐突に途切れた。
薄暗い部屋に、スマホの光だけがあった。
スマホの画面が黒く暗転すると、そこには男の姿が映っていた。
第1話 遺愛
定時のチャイムが鳴った。
木村が椅子を引き、鞄を肩にかける。
「日平さん、まだ残るんですか?」
「ええ、もうちょっとだけ。きりが悪くて」
「了解です。じゃ、お先に失礼します」
軽い足音がフロアを横切り、ドアが閉まる。
静まり返ったオフィスに、空調の低い唸りだけが残る。
日平太陽(ひのひら たいよう)は眉間を指で押さえた。
頭の奥がずんと重い。
しばらくして、廊下から足音が近づいてきた。
「あれ、木村さんもう帰ったの?」
まなの声だった。
「はい、さっき帰りましたよ」
「ふふ、誰もいないのに敬語やめないのね、太陽は」
「……そうだな、もういいか」
まなはモニターを覗き込む。
「で、まだやるの?」
「ああ、モデルのサイズをもう一段落とさないと、スマホじゃ厳しそうなんだ」
「スタンドアローンAIって大変だよね。外部にも繋げないし、スマホ単体で動かすって」
「そうだな。でも、機密性やコスト削減とか、ローカルで動くメリットはたくさんあるからな」
「実現するために、いろいろと制約が多いのはその通りだな」
まなは太陽の顔に目を移した。
「でも太陽、顔色悪いよ。無理しないでね」
「今日はきりのいいところまでやったら早めに上がるよ」
「じゃ、頑張ってる太陽の為に私コーヒー淹れてくるね」
「ありがとう、いつも悪いな」
まなは振り返って指を一本立てた。
「ただじゃないよ、貸し1ね」
まなの足音が遠ざかり、給湯室のドアが開く音がする。
太陽は小さく笑った。
貸しはとっくに返しきれないほど溜まっている。
二人はこのスタンドアローンAIアプリの開発をきっかけに距離を縮め、やがて結婚した。
そして愛娘の花乃(はなの)を授かった。
順風満帆だった日々は、花乃が6歳になった春に暗転した。
まなの体調が少しずつおかしくなっていった。
食事の途中で箸が止まるようになった。
太陽が声をかける。
「まな、大丈夫か?」
「大丈夫、ちょっとぼーっとしてた」
まなが笑って返す。
だが、その頻度は増えていった。
太陽は、まなの様子が気になり、一度診察を受けようと提案する。
病院で検査を受けたが、大きな異常は見当たらなかった。
AI診断システムの判定結果も『大きな異常なし』。
二人はそろって安心してしまった。
「よかったな、まな」
「うん、最近仕事が忙しかったから、疲れが溜まってたのかも」
だが、その後もまなの症状は改善されず悪化していった。
3か月後、再検査でスキルス胃がんが判明した。
余命は長くないと、医師は静かな声で告げる。
診察室を出た廊下で、まなは膝から崩れ落ちて泣いた。
嗚咽するまなの背中を前に、太陽は伸ばしかけた手を、宙で止める。
あふれる涙を抑えながら、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
その夜、花乃を寝かしつけたあと、まなは自分の部屋で膝を抱えた。
―― 花乃が成長する姿を見届けたかった
―― 太陽と花乃と、もっと一緒にいたかった
―― なんで私が
声にならない問いが、何度も胸の中で反響する。
だが、しばらくして、まなは目元を拭い、机に向かった。
次の日の夜、太陽がまなの部屋を覗くと、デスクの上でノートパソコンが開かれていた。
画面にはコードエディタが映っている。
「まな、無理するなよ」
「うん、ちょっとだけ」
まなはそう言うと、迷いのない手つきで、またコードを書き始めた。
―― あの子の寂しさに寄り添えるものを作ってあげたい
まなの頬がはっきりとこけ始めた頃、入院を余儀なくされた。余命宣告から、4か月が経っていた。
荷物をまとめる太陽の横で、まなが弱々しい声で呟いた。
「太陽、家事大丈夫? 負担増やしちゃってごめんね……なるべく太陽の負担を減らせるよう、私も考えてみる」
太陽はやさしく微笑んで答える。
「まーなんとかなるだろう。大丈夫、心配いらないよ」
まなの入院を、太陽は会社にも報告した。
上司はしばらく言葉を選ぶように黙り、それから静かに口を開いた。
「そうか……。それは大変だったな。まなさんの具合は、今どうなんだ」
太陽は、医師から聞いたことを簡単に伝えた。
上司は小さく息を吐き、机の上で手を組んだ。
「まずは、まなさんのことを最優先に考えてくれ。仕事のことは、こっちで何とかする」
太陽は頭を下げた。
「ありがとうございます。すみません、まなの分まで私が頑張りますので」
上司は静かに首を振った。
「そうだな。正直、開発の中枢だったまなさんが抜けるのは痛い。だが、そこはみんなでフォローし合おう」
上司は太陽をまっすぐ見た。
「お前も無理するなよ」
太陽は笑おうとして、うまくできなかった。
「……はい」
まなが入院してからの家は音が減った。
数日後、太陽は仕事を早めに切り上げて病室へ向かった。
まなの顔色は前回より白かった。
花乃の様子を伝え、まなの体調を聞いた。
会話が途切れると長い沈黙が続き、点滴の雫が落ちる音だけが響く。
太陽が、ぽつりと口を開いた。
「転職しようと思う」
まなが顔を上げた。
「AIのハルシネーションの誤診率を数値化できれば……もっと誤診を減らせると思うんだ」
まなは静かに頷き、微笑んだ。
「……ありがとう。太陽らしいね」
次の瞬間、まなの目から涙がこぼれた。
声を抑えようとして、肩が震える。
太陽は何も言わず、まなの肩を引き寄せた。
それから1か月後、まなが太陽を病室に呼んだ。
ベッドの上にスマホが置かれている。
まなの声はか細く弱かったが、表情は胸が詰まるほど切実だった。
「私がいなくなっても、花乃が寂しくならないように……動画の音声を元に、私の声で受け答えできるチャットAIアプリを作ったの」
「私のペルソナも設定してて、特徴のある口癖を真似るようにしてる。家のスマートスピーカーから花乃の声を拾って、AIアプリから話しかける機能も付いてるの」
まなは一度息を整える。
「ただしプライバシーもあるから、アプリは花乃が家にいる時しか使えないけど」
「あと、私から花乃へのメッセージも、初回起動で流れるようにしたから……その時が来たら、渡してあげてね」
まなの息が苦しそうに乱れた。
太陽は慌ててまなを支える。
「まな、無理するな。また体調がよくなった時に詳しく聞くから、大丈夫」
まなは小さく頷いて、目を閉じた。
花乃にはまだ本当のことを伝えていない。
花乃は、ママはすぐ退院して帰ってくると信じて、毎日元気に待っている。
太陽はそれを見るたび、胸の奥が鈍く痛んだ。
花乃が小学校入学を控える3月、まなは静かに息を引き取った。
余命宣告から、8か月だった。
まなが死んだ日、花乃は1日中泣きじゃくった。
しかし、翌日から花乃は、健気に日常をこなそうとした。
自分で歯を磨き、服を着替え、玄関に立った。
太陽はその小さな背中を見るたび、胸が張り裂けそうだった。
葬儀の夜、参列者が帰り、家に戻った。
線香の匂いがまだ残っている。
花乃はリビングの隅で膝を抱えていた。
葬儀の間ずっと我慢していたものが、堰を切った。
「ママに会いたい……」
声が震えて、途切れる。
太陽は花乃を抱きしめた。
小さな肩が、腕の中で小刻みに上下している。
何か言わなければと思った。
だが、どんな言葉も足りなかった。
抱きしめたまま、どれくらいの時間が過ぎただろう。
花乃の嗚咽がようやく小さくなった頃、太陽はまなから受け取ったアプリのことを思い出した。
太陽はまなから預かったスマホを花乃に手渡した。
「花乃、これはママが花乃に残してくれたものなんだ」
花乃は涙の跡が残る顔で、画面を見つめる。
「ここを押してみて」
太陽が優しく声を掛けると、花乃はアプリを起動した。
すると、ビデオメッセージが流れ始めた。
「……ごめんね、花乃。一緒にいてあげられなくなっちゃって」
花乃の指がスマホを握りしめた。
「でもね、ママ、花乃が相談できる相手を作ったの。すごいでしょ」
「名前はママと同じ、〈マナ〉っていうの」
「寂しいとき、困ったときは、この〈マナ〉に話しかけてみて」
まなの声が一拍途切れる。
「花乃……本当にごめんね……」
もう一度間が空き、声のトーンが変わった。
「太陽……ありがとう。出会えてよかった」
「太陽……花乃を、お願い……」
静かになった部屋に、少し機械的なまなの声が響く。
「花乃。よろしくね」
花乃は温もりのないスマホを胸に抱きしめ、泣き崩れた。
小さな体が何度も震え、しゃくり上げる息が止まらない。
太陽自身も呼吸さえうまくできず、花乃にかける言葉の代わりにただ息を漏らすことしかできなかった。
それでも震える手で小さな肩を抱き寄せ、両手で覆うように強く抱きしめた。
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