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noteのバズは、スマホゲームの「課金」に似ているかもしれない

かつての「無課金派」として思うこと

最近はめっきりやらなくなりましたが、かつての自分はスマホゲームに対して基本的に「無課金派」でした。
もちろん、完全に無課金かというと少しだけ課金したこともあります。世間一般のガチ勢と比べれば「たしなむ程度」ではあったんですが、その時に気づいた事、それは課金する事によって起こる未来が「noteの続け方」にも関連しているのではないかという事です。

お金で買った「強さ」は、飽きを加速させる

スマホゲームは、お金をかければ手っ取り早く強くなれます。攻略のショートカットとも言えます。本来であるなら試行錯誤して時間をかけて超えるべき壁を、お金の力で一気に飛び越えてしまうイメージです。
そして、そこで待っているのは、自分の中の「天井」です。
スマホゲームに終わりはないのが普通ですが、課金によって本来ゆっくり通過していくはずであるプロセスを一気に通り抜け、ゴールが見えてしまい、飽きるタイミングが劇的に早まってしまうのではないかと思うんです。お金で強さを買うことは、裏を返せば「体験の賞味期限」を削ることにもなってしまうのです。もちろん、もっと強くなって上を目指す人もいますけどね。

noteにおける「課金」の正体
さて、今自分が向き合っているnoteの世界。ここには直接的な「課金による強さ」はありません。けれど、ゲームにおける「課金」にそっくりな現象があります。
それは「フォロワやスキの数が、あるタイミングでに一気に伸びてしまうこと」です。
もちろん、自分が出した記事に反応があるのは嬉しいことです。でも、自分の実力や歩幅以上に評価という名の「ブースト」がかかってしまったとき、それはゲームの課金と同じ副作用を生むのではないかと思ってしまいます。まだ、3ヶ月くらいなので、他のクリエイターさんの状況まで把握できているわけではありませんが、開始初期にブーストがかかってしまった人ほどnoteからの離脱が早いような気がします。
同じ時期に初めて、フォロワの伸びやスキの数が多くて感心していた人ほど、ぱったり更新がなくなっているものです。

もし、自分にそれがあったとしたら、ベンチマークがそこになってなかなか、それを下げることが出来ず、 次も同じだけの反応がないと負けたような気がしてしまい、プロセスを軽視してしまい「どう書くか」よりも「どう当てるか」に執着ししている姿が思い浮かびます。

noteの目的は人それぞれですが、収益であるとか自分のビジネスの認知が目的である人と、自分の創作を広めたいという人の大きく2通りがあるのではないかと思います。

中には一気に天井に到達してそれを乗り越えて継続していく事ができる、パフォーマンスの高い人もいますが、多くの人は階段を一段ずつ登って行って、その際の試行錯誤が次のゴールに向けた新しいモチベーションになるんじゃないかと思います。

自分だけの「天井」と付き合う

noteの場合、普通の人は狙ってブーストをかける事は難しいので基本は運任せです。もちろん、フォロー回りスキ回りという相互コミュニケーションによって増えていく部分は地味な活動としてありますが、ショートカットして手に入れた強さは、すぐに飽きがきてしまいそうです。

それよりも、自分の歩幅で、自分の言葉を積み上げていく。
noteという終わりのないゲームを楽しむには、案外「無課金派」のような地道なスタンスが長く続けるコツです。

昭和世代ならわかるかもですが、いきなりドラクエの主人公が鋼の剣をもっていたら面白くないですもんね。


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