AIが70点を出す世界で、私たちが「赤点」を愛でる理由
今朝の散歩で、病院の駐車場を通過していた時にふと思いました。今時の車ってどれも似たような形で、色も変わり映えしないなって。
確かに安全性や燃費効率、部品の共有化などが進んだ現代では、ある程度仕方ないのかもしれません。昔は、例えばフランス車と言えば何だか日本人には理解し難い前衛的な形で、でも一目で分かって、「エスプリ」という表現がスッと出てくるイメージです。ルパン三世だと峰不二子が乗ってそうですね。

この先、さらにこれが加速していくと、車なんてエンブレム以外ほとんど区別がつかない時代がくるのかもしれません。
そして、AIの登場によって、色々なものがさらに均質化してきています。noteでも良く書かれている通り、どこか似たような文章が並びます。業務での活用においてもそうです。AIは及第点の回答をするのは得意ですが、それが100点であったり、もしくはそれを突き抜けるような回答をする事は今のところ難しい印象です。
そういう意味で、AIが浸透し切った未来は、効率化の名のもとに、どこか無機質な世界に向かうような気がします。
スマホを開かなくても勝手にAIが、一月の献立を考えて、定期的に食材が勝手に送られてくる、ファッションの動向とその季節のお出かけ回数を予測して勝手に服を注文する、家は、性格や能力診断をもとに生涯予定年収と転勤・転職予測から最適な間取りや物件を提案してくれて、ボタンを押すだけ。とても便利な未来です。
これは果たして、私たちが辿り着きたいゴールなのでしょうか?
そして、朝の散歩は続きます。郵便局の前を過ぎたあたりで、過去に年賀状を出さなくなった記事を書いたことを思い出しました。
年賀状が廃れていった背景には、SNSの浸透という側面もありますが、手書きから印刷へと進んだ効率化の中で、少しずつ意味を失っていった、という見方もできるのかもしれません。
そう言えば、小学校の先生から手書きの年賀状が来ていました。先生へのお返事はラインでしたので、それはそれで先生に大変失礼な話ですが、手書きの年賀状には温かみがあります。
AIによる効率化の果てに無機質な方向に向かう未来には、この逆張りが活きてくるのかもしれません。もちろん、AIが完全になくなることはないにせよ、手作りや手書きといった、一見すると効率的ではないものに価値が見いだされる未来です。
今のAIにこういった創作を投げかければ、赤点で添削だらけの回答になることでしょう。けれど、平均化した世の中において、その「赤点」にこそ価値が生まれる可能性がある、そんな未来はありそうです。
今日の散歩もそうです。特に日課にしている訳ではなく、ふらっと外に出ただけの無駄な時間です。いつも通る何の面白みもない住宅街の路地ですが、通勤でいそいそと歩いていると気づかない、ちょっとした変化に気づきます。
こうして今日のnoteの記事が出来上がるのです。
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