質問1574:ネットのどこを通してどこにバウンドさせるかをイメージします
吉田様
フォームは気にしていません。
ボールをついてからはコートはみていません。
ボールを突く前にネットのどこを通してどこにバウンドさせるかをイメージします。
スマッシュもぎこちない動きになりタイミングがずれます
▶そのイメージは「思考」
イメージといいながら、それは思考なのだと思います。
ネット上のどこを通して、相手コートのどこへバウンドさせるかを、「考えている」。
よくストロークなどでも常識的なテニス指導では、「打つ軌道を黄色い矢印としてイメージせよ」などと言いますが、それは打つ軌道を意識している「思考」。
▶「思わず」がイメージの本質
私のいうイメージとは『テニス・ベースメソッド』でもご説明しているとおり、考えなくても体を衝き動かす力ですよね。
山道でとぐろを巻いた細長いロープを足元に見つけたら、潜在的に蛇だと思い込む力に衝き動かされて「思わず」飛び避ける。
「思わず」ですから、その動作は「思ってない=考えていない」のです。
▶狙わなくても狙える理由
たとえば私たちテニスプレーヤーなら、考えなくてもボールが飛んできたら「前へ」打ち返しますよね。
それは、考えなくても前へ打つ「イメージ」があるからです。
それが証拠に、バックフェンスやサイドフェンス、あるいは地面に向かって打ちつける稀有な人はあまりいません(笑)。
狙っていなくても、イメージがあるからです(関連記事「無意識的に狙っている」)。
しかしイメージがまだないテニスを始めたばかりの子どもなどは、とにかくラケットに当てようとして、ボールが飛んできたら前後左右上下にスイングを、パタパタと羽ばたかせたりもします。
▶あらゆる言動を支配する「自己肯定感」
イメージとは、私たちの言動を支配する普段は意識しない力。
顕著で分かりやすい例を挙げます。
たとえば自己肯定感とは、「自己肯定イメージ」なのですけれども、仕事中や会話中、遊んでいる最中など普段は、そのイメージについてほとんど考えませんよね。
しかし自己肯定感は、私たちの意識しないさまざまな領域で、無意識的なありとあらゆる言動を司っています。
たとえば人間関係や、ミスに対する受け止め方、プライドのあり方、他人への寛容度、怒りやすさ、チャレンジ精神、NOと言えるか、など。
自分の好き・嫌いの主張であったり、挨拶・謝罪の仕方でだったり、相手の都合に合わせる・合わせないだったり、遠慮したり・しなかったりだったり、社交辞令のウソ・ホントだったり。
▶嫌われるのが怖いのは「親の呪縛」
人から「嫌われても構わない」と思えるかどうかも、自己肯定感由来。
それが高いと、「人は人、自分は自分」と線引きできます。
自己肯定感が低いと、嫌われるのを怖れる。
特に親や学校の先生から博愛的に「みんなと仲良くしましょう!」などと言われて育った子どもは、仲良くできない自分(←それ、大人の世界でも普通!)は、だめだと思い込む。
「みんなと仲良く」ができないと、親を悲しませてしまう「罪悪感」にさいなまれるのでしょう。
その思い(イメージ)を、大人になっても引きずる人がいるのです。
「三つ子の魂百まで」というから一生涯、囚われ続けるかもしれません。
そのせいで、相性が合わない他人にも合わせようとして自分を偽り、「楽しいふり」を演じるのが自己否定的であり、生きるのがつらくなるのです(関連記事「仲良くしなくていい。嫌われても構わない」)。
▶完璧主義の悲哀
度を超えた完璧主義などもそう。
完璧に成し遂げないと、気が済まない。
それは、そこまで頑張らないと自分の存在価値がないと思い込む「自己肯定イメージの低さ」に由来しています(関連記事「完璧主義の人の『自己肯定感が著しく低い理由』と、テニスも仕事も家事も創作活動も『パフォーマンスが上がるとっておきの方法』」)。
0か100かだから、どうせやらないなら「一切やらない極端」にも走りがち。
あるいはダイエット中なのに、食べてしまったのだから「とことん食べる極端」にも、本人はとても悲しい思いを背負いながら突っ走ってしまうのです。
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