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「叫び人」と元「叫び人」 ー袖振り合うも多生の縁ー

年が明けてから2ヶ月が過ぎました。

そこでちょっと気付いたことがあるんですけど、

1年を6つのブロックに分けると、この時期が圧倒的に1番多いんですよね。

「叫び人(さけびびと)」の方々の数が。

「寒い」ってのは、人の怒りや苛立ちをより助長するんですかね?

僕の警備現場にも、この時期たくさんの「叫び人」の方が通り過ぎていきます。

「彼ら」にもいろいろタイプがあって、

「ちょっとイキっちゃってるのかなあ?」なんて感じの「酔っぱらい系の若き叫び人」の方々などは、

ある程度の距離は保ちつつ「イキりたい年頃なのねえ。よしよし」みたいな具合に穏やかに絡めばいいわけで、対応はそう難しくないんですよ。

ただ、前述の方々と同じくこの時期に劇的に増える別系列の「叫び人」の方々もいらっしゃっいましてですね。

こちらの方々なんですが、

道行く人々に向かって、誰彼構わず暴言を吐く」

or

「あらぬ方向に視線を泳がせながら、誰に向かってでもなくあらぬことをつぶやく」

タイプの「叫び人」なんです。

この両タイプの方々は非常に対応が難しく、一筋縄にはいきませんから、現状「出来るだけ彼らの視界から消える」という策を取っています。

その際なんですけどね。

「怖いなあ」

という皆さんと同じ感情が普通に出てくるのは当然として、僕の場合は、それとはまた別に

「どうか、この人が救われますように」

といった「祈りに似たような感情」も、前述の気持ちと同じくらい湧いてくるんですよ。

これってね。

僕が「善人だから」というわけではまったくなくて😆、「他人事じゃないよなあ」って、心の片隅で感じているからだと思うんですよ。

僕は昔から「叫び人」の方々との遭遇が多くて、

ママとのお付き合い時代によく一緒に散歩に行ったんですが、数回に1回は必ず「叫び人」の方に出くわしました。

ひとりでいる際にも銀行やら、薬局やらで。「件の方々」との遭遇は、数えたらキリがないくらいです。

1番凄かったのは、それも「若かりし時」なんですが、帰宅途中の僕の10m強前を、外国人と思われる女性が歩いていたんです。で、誰に向かってでもなしに何やらつぶやいている感じなんですよね。

なんとなくその人の「ただならぬ空気」を察した僕は、適度な距離はキープしつつ、彼女の声に耳を澄ませてみました。

すると彼女。

「殺してやる」

ってつぶやいていたんですよ。しかも、よくよく見るとその手には刃物まで。

びっくりしますでしょ?

今こうやって改めて字面にしてみるとゾワゾワが止まらないですが、当時はそんな状況下でもそこまで「怖い」とは感じていなかった気がします。

「それはなぜか?」と考えると、当時の僕も「件の方々」と一緒で「叫びたいくらいにやさぐれた心」の持ち主だったからなんでしょうね。

彼女らを「怖い」とは思いつつも、同時に「少しばかりのねじ曲がったシンパシー」も感じていたのかもしれません。

「類は友を呼ぶ」なんて言いますからね。

「叫び人の方々」との異常な遭遇率の高さは、こういった「僕側の要因」もあったかも?です。

これまで僕はいろいろ「イヤな思い」をしてきましたが、

ママという「よき理解者であり、最高のパートナー」を得て、今は前述の思い出したくないような出来事の数々も僕の人生の「血肉になってくれている」と思えます。

そんな今だからこそ、前向きに「次なるフェーズ」に進んでみたい気持ちなんですよ。

この遭遇率の高さを「ただの偶然」と片付けてもいいのですが、なんかそれだけだともったいない気もしてきましてね。

「どうせなら、この『引き寄せ力?』を有効活用して、少しでも人の役に立てたらなあ」

と。

実は医療事務時時代にそのなんとなくの「とっかかり」は掴んでいて、その時は

ありがたいことに、○✕さんという方に「あなたは太陽みたいだ」と言っていただけたんですよ☺️

上の文章でも触れたんですが、

僕のように自らも「やさぐれた」心を多分に持つ人間だからこそ、「今やさぐれている」人の心によりリアリティーを持って寄り添え、その人の心を解すことも出来たりする。

僕にとってのママ。○✕さんにとっての僕。

「叫びたくなるほどのやさぐれた今の心の内」を他の誰かに話せるだけでも、随分とその人の気持ちは救われるんですね。

もう医療事務でもない僕がそういった方々に密接に関われる機会も、今後随分と減ってくることでしょう。

しかしながら、警備員になった今現在でも「叫び人」の方々と僕は、依然異常な確率で「出会い」続けているんですよね。

それを「まるっきり無視する」のも、なんかそれはそれで気持ち悪いんですよね。「袖振り合うも多生の縁」なんても言いますしね。

一昨日も巡回中に、歩道橋の上でまるでオペラ歌手のごとく大声で「誰も聴いたことのないような」不思議な歌を情感たっぷりに歌い、彼の半径15mに誰も寄り付かなくなっている「叫び人」の方を見たんです。

さすがにそういう雰囲気にはなかったので、彼に話しかけることこそしませんでしたが、その5mくらい横を「どうか、この人が救われますように」と心中で祈りながら通りすぎてきました。

この行動は「何の意味もない」「ただの自己満足」なのかもしれません。ちょっと危ないですしね。

ただ、僕が51年間生きてきた実感として、こういった「正の感情を飛ばした」時って、「負の感情のそれ」より、割と相手方にこちらの想いが伝わってるような気がするんですよね。

こういった「小さな働きかけ」を繰り返しつつ、また○✕さんのような方と関わりを持つようなことがあったなら、医療事務時代の僕と同じようにたくさんお話を聞いて、その心に少しでも寄り添えたらと思います。

ママを筆頭にした愛する家族がもちろん絶対軸。そして、上述のことにもアンテナを立てながら生きていく。

それが「元叫び人」としての、僕なりの社会貢献な気がしてます。

まあきっと、僕の「引き寄せ力」ならほぼまた「叫び人」の方々に出会うんじゃないでしょうか。

しっかし、あれですね。

「叫んでいる人」を見ながらこんなことを考えている僕は、だいぶな「変なやつ」ですね。

でも。

「そんな自分も悪くないな」

と思える今日この頃です☺️




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